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2020年11月13日 10:34 編集済
まずは冒頭部に関して、少し前回と似たようなことを書きます。似てはいますが、かなり方向性は違いますから。> どうやら魔術師らしく、この若さで『魔術師』の称号を持っているのは中々凄い事だ。聞くに、魔術の研究で有名な街『アムレート』の街主の使用人であるらしい。つまり、立派な貴族の遣いである。「中々凄い事だ」と判断しているのは誰か、「聞くに」という形で「聞くに」以下を耳にしたのは誰か。前回ならば「黒子のはずの語り手が自己主張してる!」的に気になる点でしたが、今回は特に気になりませんでした。というのも、その前の部分、特に今回のエピソードのまさに最初の一文、> その日、『赤い幸せ屋』を訪れた人物は、ノワールより一つ歳下の十六歳で、リリアーナという名前の少女だった。 これの存在ですね。「ノワールより」というようにノワールを基準にしている時点で、私の頭の中では、「人称としては三人称だが、文章の主体・読む上での視点としては、とりあえずノワールに固定されている」 と自然に補完されたからのようです。つまり、先ほどの「中々凄い事だ」と判断しているのはノワール、「聞くに」で聞いたのもノワール、という受け取り方です。 そう読み進めて違和感は覚えなかったので、その後、> ルージュの口元に僅かに笑みが浮かぶ。口には出さないが、「面白そう」と思っているのが分かる。 において「分か」ったのはノワールであり、> 実際に人が死んでいる事件に対して「面白そう」などという考えを浮かべるのは不謹慎でしかないが、謹慎や不謹慎の有無で事件は解決しないし、望みが達成される訳でもない。 において「普通は不謹慎だ」と判断したのもノワールである、と私の頭は受け取りました。さらに、これらの直後に、『ノワールは何も言わない。むしろルージュが今回の仕事に気合を入れてくれそうな予感があって、安心してすらいた』とあるのを見て、「やっぱり主体は全てノワールで良かったのだな」 と頭にすんなり入ってきています。 ここまでは「すんなり頭に入ってきた」という話で、プラスの点なのですが……。 前回のコメント返信にあった『いわゆる神の視点、自由な視点を持つ神による描写』というお言葉。あれがあの部分だけに限った話ならば良いのですが、もしも今回も適用されるのであれば、私の読み取り方は作者の意図とは全く違う、ということになります。これは少し問題になる(間違った読み取り方をする読者も出てくるような書き方になっている)、と気になりました。 話の内容としては、適度に世界観を説明しながら(例えば『警衛』についてなど)上手く進んでいると思います。こういう説明は簡潔にサラッと済ませないと話のテンポを悪くしますが(書き手としての自分に対する自戒でもあります)、かといって説明足りないとわかりにくくなるのも事実。その点、バランスが良い、と感じました。 続いて、構成的な話。 前回のコメントで書き忘れましたが、前回「依頼人が来て、いよいよ本筋の事件について語られるぞ」というところで終わっているのは「続きを読みたい」と思わせるような、上手なヒキだと感じました。 そして今回、実際に依頼人が来て語るわけですが「依頼人が来て、色々と語った」だけで終わらず、それは◇◆◇◆までの前半部で済ませて、さらに舞台を移動して物語を動かしているのは、この作品の良い点だと感じました。 WEB小説では「一回のエピソードの文字数が少ないために一回のエピソード内で起承転結を書ききれない」のも多いようですが、この作品はきちんと書ききっているように感じられて好ましい、ということです。個人的な好き嫌いなので、作品を良くする・悪くするとは少し離れてしまい、申し訳ないのですが。 ただ、この「一回のエピソードの文字数」というのは、コンテスト応募形式にも関係してくる話だと思ったので、コメント欄で触れておこうと思ったのでした。 以前に私自身が自主企画で「一次選考を通過して、二次選考で落選した作品」を集めた際、「読者選考の関わるものを除く」という条件をつけたら、結果的に、一回のエピソードの文字数が多い作品が集まった、という印象でした。読者選考を意識すると、WEB小説にありがちな「一回のエピソードの文字数を長くしすぎない」というのも必要なのでしょうが、公募あるいは、読者選考のないWEBコンテストに応募するのであれば、それを考慮する必要なく、内容重視で毎回のエピソードを書ける、ということなのだと思います。例えば今回、前半部は約2,000文字、後半部は約3,000文字。WEB連載では一回あたり約3,000文字が望ましい、と考えるならば、もしも読者を強く意識したWEBコンテストに応募する場合は、それぞれ別エピソードに分ける形ですよね。 後半部の迫力ある戦闘シーン。やはり、こういう場面があると、読んでいて気分が盛り上がります。 最近ふと思うのですが、ラノベは挿絵がつきものなので、やはり絵的に映える場面を随所に用意しておくべきなのでしょう。読者に対してだけでなく、作者以外の制作側(編集様とかイラストレーター様とか)にとっても。 そんなことを考え始めたのは、私自身が(カクヨムとは別のサイトですが)挿絵前提のWEB連載を始めたからです。担当様に「今度の挿絵はどこにしましょう? 第〇〇話から第〇〇話の範囲内です」と聞かれてから、改めて該当部分を読み直して考え直す、というのは、それはそれで時間がかかるのですよね。聞かれた際に(各話タイトルを見た際に)「第〇〇話ならここ、第〇〇話ならあそこ」とパッと頭に浮かぶくらいの方が、その分の時間を、作品の続きの執筆にあてられる。そのためには、毎回「絵的に映える場面」を用意しておくのが手っ取り早いのだろう、と思ったのでした。 ただし、私の場合はあくまでもWEB連載なので、一般の紙媒体のライトノベルとは事情が違うはず。普通は作者の意思は重視されず、編集主導で挿絵の位置は決まる、という噂も聞きます(あくまでも「噂」なので信憑性は高くありません)。でも、その場合でも、それこそ他人(作者以外)である「編集」が見ても悩む必要がないくらい、どのエピソードにも「絵的に映える場面」があれば親切設計だろう、と想像するのでした。 ちょっと作品そのものの感想からは脱線しましたが、『【ラノベ作家志望者批評会】プロのライトノベル作家を目指してる方で批評会ができたらなと思っています!』という企画なので(将来的に「プロになる」ことも想定した企画なので)、こういうのも何かの足しになるだろう、と思って書かせていただきました。(誤解を招くかもしれないので、一応お断りしておきます。私の「挿絵前提のWEB連載」は、あくまでもWEB連載。紙媒体のデビューではないので、まだ「プロのライトノベル作家」になったわけではなく、青井椎茸様と同じく、プロのライトノベル作家になりたい側です。だから自主企画に参加できる立場ですよね? そもそも企画に関して『そこまで強い制約はかけているつもりはない』と言っていただいたので、あまり気にする必要はないのかもしれませんが)
2020年10月30日 20:46
引き続き、「ラノベ作家志望者批評会」です。不思議です。この話は前話より読みやすかったです。なぜなのか……一因として、句読点の多少も理由かもしれません。
編集済
まずは冒頭部に関して、少し前回と似たようなことを書きます。似てはいますが、かなり方向性は違いますから。
> どうやら魔術師らしく、この若さで『魔術師』の称号を持っているのは中々凄い事だ。聞くに、魔術の研究で有名な街『アムレート』の街主の使用人であるらしい。つまり、立派な貴族の遣いである。
「中々凄い事だ」と判断しているのは誰か、「聞くに」という形で「聞くに」以下を耳にしたのは誰か。前回ならば「黒子のはずの語り手が自己主張してる!」的に気になる点でしたが、今回は特に気になりませんでした。というのも、その前の部分、特に今回のエピソードのまさに最初の一文、
> その日、『赤い幸せ屋』を訪れた人物は、ノワールより一つ歳下の十六歳で、リリアーナという名前の少女だった。
これの存在ですね。「ノワールより」というようにノワールを基準にしている時点で、私の頭の中では、
「人称としては三人称だが、文章の主体・読む上での視点としては、とりあえずノワールに固定されている」
と自然に補完されたからのようです。つまり、先ほどの「中々凄い事だ」と判断しているのはノワール、「聞くに」で聞いたのもノワール、という受け取り方です。
そう読み進めて違和感は覚えなかったので、その後、
> ルージュの口元に僅かに笑みが浮かぶ。口には出さないが、「面白そう」と思っているのが分かる。
において「分か」ったのはノワールであり、
> 実際に人が死んでいる事件に対して「面白そう」などという考えを浮かべるのは不謹慎でしかないが、謹慎や不謹慎の有無で事件は解決しないし、望みが達成される訳でもない。
において「普通は不謹慎だ」と判断したのもノワールである、と私の頭は受け取りました。さらに、これらの直後に、『ノワールは何も言わない。むしろルージュが今回の仕事に気合を入れてくれそうな予感があって、安心してすらいた』とあるのを見て、
「やっぱり主体は全てノワールで良かったのだな」
と頭にすんなり入ってきています。
ここまでは「すんなり頭に入ってきた」という話で、プラスの点なのですが……。
前回のコメント返信にあった『いわゆる神の視点、自由な視点を持つ神による描写』というお言葉。あれがあの部分だけに限った話ならば良いのですが、もしも今回も適用されるのであれば、私の読み取り方は作者の意図とは全く違う、ということになります。これは少し問題になる(間違った読み取り方をする読者も出てくるような書き方になっている)、と気になりました。
話の内容としては、適度に世界観を説明しながら(例えば『警衛』についてなど)上手く進んでいると思います。こういう説明は簡潔にサラッと済ませないと話のテンポを悪くしますが(書き手としての自分に対する自戒でもあります)、かといって説明足りないとわかりにくくなるのも事実。その点、バランスが良い、と感じました。
続いて、構成的な話。
前回のコメントで書き忘れましたが、前回「依頼人が来て、いよいよ本筋の事件について語られるぞ」というところで終わっているのは「続きを読みたい」と思わせるような、上手なヒキだと感じました。
そして今回、実際に依頼人が来て語るわけですが「依頼人が来て、色々と語った」だけで終わらず、それは◇◆◇◆までの前半部で済ませて、さらに舞台を移動して物語を動かしているのは、この作品の良い点だと感じました。
WEB小説では「一回のエピソードの文字数が少ないために一回のエピソード内で起承転結を書ききれない」のも多いようですが、この作品はきちんと書ききっているように感じられて好ましい、ということです。個人的な好き嫌いなので、作品を良くする・悪くするとは少し離れてしまい、申し訳ないのですが。
ただ、この「一回のエピソードの文字数」というのは、コンテスト応募形式にも関係してくる話だと思ったので、コメント欄で触れておこうと思ったのでした。
以前に私自身が自主企画で「一次選考を通過して、二次選考で落選した作品」を集めた際、「読者選考の関わるものを除く」という条件をつけたら、結果的に、一回のエピソードの文字数が多い作品が集まった、という印象でした。読者選考を意識すると、WEB小説にありがちな「一回のエピソードの文字数を長くしすぎない」というのも必要なのでしょうが、公募あるいは、読者選考のないWEBコンテストに応募するのであれば、それを考慮する必要なく、内容重視で毎回のエピソードを書ける、ということなのだと思います。例えば今回、前半部は約2,000文字、後半部は約3,000文字。WEB連載では一回あたり約3,000文字が望ましい、と考えるならば、もしも読者を強く意識したWEBコンテストに応募する場合は、それぞれ別エピソードに分ける形ですよね。
後半部の迫力ある戦闘シーン。やはり、こういう場面があると、読んでいて気分が盛り上がります。
最近ふと思うのですが、ラノベは挿絵がつきものなので、やはり絵的に映える場面を随所に用意しておくべきなのでしょう。読者に対してだけでなく、作者以外の制作側(編集様とかイラストレーター様とか)にとっても。
そんなことを考え始めたのは、私自身が(カクヨムとは別のサイトですが)挿絵前提のWEB連載を始めたからです。担当様に「今度の挿絵はどこにしましょう? 第〇〇話から第〇〇話の範囲内です」と聞かれてから、改めて該当部分を読み直して考え直す、というのは、それはそれで時間がかかるのですよね。聞かれた際に(各話タイトルを見た際に)「第〇〇話ならここ、第〇〇話ならあそこ」とパッと頭に浮かぶくらいの方が、その分の時間を、作品の続きの執筆にあてられる。そのためには、毎回「絵的に映える場面」を用意しておくのが手っ取り早いのだろう、と思ったのでした。
ただし、私の場合はあくまでもWEB連載なので、一般の紙媒体のライトノベルとは事情が違うはず。普通は作者の意思は重視されず、編集主導で挿絵の位置は決まる、という噂も聞きます(あくまでも「噂」なので信憑性は高くありません)。でも、その場合でも、それこそ他人(作者以外)である「編集」が見ても悩む必要がないくらい、どのエピソードにも「絵的に映える場面」があれば親切設計だろう、と想像するのでした。
ちょっと作品そのものの感想からは脱線しましたが、『【ラノベ作家志望者批評会】プロのライトノベル作家を目指してる方で批評会ができたらなと思っています!』という企画なので(将来的に「プロになる」ことも想定した企画なので)、こういうのも何かの足しになるだろう、と思って書かせていただきました。
(誤解を招くかもしれないので、一応お断りしておきます。私の「挿絵前提のWEB連載」は、あくまでもWEB連載。紙媒体のデビューではないので、まだ「プロのライトノベル作家」になったわけではなく、青井椎茸様と同じく、プロのライトノベル作家になりたい側です。だから自主企画に参加できる立場ですよね? そもそも企画に関して『そこまで強い制約はかけているつもりはない』と言っていただいたので、あまり気にする必要はないのかもしれませんが)