魔術師の依頼人
その日、『赤い幸せ屋』を訪れた人物は、ノワールより一つ歳下の十六歳で、リリアーナという名前の少女だった。薄桃色のショートヘアー、上品な装いで、落ち着いた雰囲気を持つ小柄な人物である。
どうやら魔術師らしく、この若さで『魔術師』の称号を持っているのは中々凄い事だ。聞くに、魔術の研究で有名な街『アムレート』の街主の使用人であるらしい。つまり、立派な貴族の遣いである。
リリアーナは革張りのソファに座り、ノワールが用意した紅茶入りのカップを手にしながら、沈鬱な表情で依頼の内容を語った。
「わたしの街で奇妙な事件が起こり始めたのは、大体一週間くらい前からです」
「奇妙な事件、ですか」
「はい……。その、街の人たちの不審死体が見つかるようになったんです」
不審死体と聞いて、リリアーナと向かい合う位置に座っていたルージュの表情が、興味深そうなものになる。彼女は目の前のローテーブルの上に用意されているクッキーを手に取りながら、リリアーナに話の続きを促す。
ルージュの隣に座っているノワールもまた、真面目な顔でリリアーナを見た。
「その死体は何というか説明が難しいんですが、心臓と血液が綺麗に抜かれているんです」
「……へぇ、それは確かに不審ね」ルージュが神妙に言う。「心臓と血……。タガが外れたマッド魔術師の仕業かしら。あとは、飢えた吸血鬼の仕業ってのも考えられるわね」
心臓と血は、生物が持つ魔力と深い関わりがあるとされ、『魔術』とは切っても切れない存在である。実際に、『魔術』を使用する際に欠かせない『魔術陣』の作成には血液を用いることも多い。
「かも、しれません……。私の街は魔術の研究が盛んですし、でも、それにしてもおかしいんです。現場の状況がどう考えても人間技じゃないというか。しかもそんな被害がここ一週間毎日のように起きていて」
ルージュの口元に僅かに笑みが浮かぶ。口には出さないが、「面白そう」と思っているのが分かる。
実際に人が死んでいる事件に対して「面白そう」などという考えを浮かべるのは不謹慎でしかないが、謹慎や不謹慎の有無で事件は解決しないし、望みが達成される訳でもない。
そのことを分かっているからこそ、楽しげなルージュを見ても、ノワールは何も言わない。むしろルージュが今回の仕事に気合を入れてくれそうな予感があって、安心してすらいた。この赤い少女の行動原理は、基本的に『面白そうか、そうでないか』で決まるのだ。
「当然、『警衛』は調査に当たっているのでしょう?」
「えぇ、でも何も手がかりを掴めていない様子で」
『警衛』とは、『警衛騎士団』の略称であり、このルベル帝国における帝国直属の治安維持組織である。この国の至る所に警衛騎士団の詰所があり、街々の平和を維持している。丁度、大和国にある『警察』という組織によく似ている。
「まぁ、警衛には無能が多いものね。無理もないわ」
ルージュは優雅な手取りで紅茶を飲みながら、当たり前のように帝国直属の組織をけなした。下手すればこの帝国を収めている皇帝を侮辱したと見なされかねない。まぁこのくらいの愚痴めいたことで実際に犯罪に問われることは滅多にないが、ルージュは以前にも警衛騎士団と揉めて大事になったことがある。
その時のことを思い出して、ノワールはまた頭が痛くなった。
「わかったわ。つまり警衛が無能すぎてアテにならないから私に依頼を持ってきたのね。リリアは中々見る目があるわ」
「い、いえ、わたしはあくまで街主さまの遣いですので。しかし、ルージュ様のことはかねてよりその噂を聞き及んでおります。とても聡明で、実力も兼ね備えた稀代の才媛である、と」
「いいわね、とてもいい判断だわ。その依頼受けましょう。このルージュに任せてちょうだい。一度依頼を引き受けたからには、必ず望み通りその怪事件を解決して見せるわ」
ルージュが立ち上がり、自信たっぷりに胸を張った。
「はい、よろしくお願いします」
リリアーナは急に立ち上がったルージュに視線を合わせるように己も立ち上がり、頭を下げる。そして顔を上げ、どこか安心したような微笑みを見せた。
「ええ、任せてちょうだい。こちらこそよろしくね、リリア」
ルージュが一歩前に出て、リリアアーナに片手を差し出す。リリアーナはその手を取り、二人は握手を交わした。
リリアーナはルージュと繋いだ自分の手を見下ろし、何かを考えこむように一瞬ぼうっとする。その眼がどこか虚ろになっていることに、ノワールは気付いた。
「どうかしたの?」
「あ、いえ……あの噂に名高いルージュ様と握手できて、光栄でしたので……すみません」
リリアーナが照れたように顔を伏せ、そう言った。
噂に名高いとは言うが、きっとろくな噂じゃないんだろうなとノワールは思った。
「あら、ずいぶん嬉しいこと言ってくれるのね」
ルージュは満足げに微笑んで、リリアーナから手を離すと、どこか期待するような表情で言った。
「さて、それじゃあ久しぶりに、『幸せ屋』の〝お
◇◆◇◆
リリアーナからの話を聞いた後、ノワールとルージュは手早く準備を整え、件の街アムレートに向かうことにした。
アムレートは同じルベル帝国にある街とは言え、ここから行くとなるとそこそこ距離がある。歩いていくには遠すぎるし、ノワールたちは自家用の乗り物を持っていない。正確には持っていたのだが、この前ぶっ壊れて今はない。
となれば、最寄りの『ステーション』に向かい、街同士や街の中の主要地を繋ぐ公共の大型車両『レールトレイン』を使うのが無難だろう。そう思っていたのだが、リリアーナが乗って来たという乗用車で、アムレートまで直接連れて行ってもらえるようだ。。
リリアーナが携帯で呼び出した乗用車は見るからに高級そうな造形で、その中には、運転手として燕尾服を来た初老の男が乗っていた。老いを感じさせない怜悧そうな顔立ちの男だ。
別に疑っていた訳ではないが、彼女が一つの街を収める街主の使用人というのは間違いなさそうだ、とノワールは思った。
「さぁ、お乗りください。まずは街主さまのお屋敷まで案内しますので」
車のドアを開けて、リリアーナがノワールとルージュを後部座席へ乗り込むように誘う。その丁寧な待遇にルージュは満足そうに微笑んで、車の中に飛び乗った。ノワールもそれに続き、乗り込んだ所でドアがバタンと閉じられる。
その後、助手席にリリアーナが乗り込み、「出して」と初老の男に告げた所で車が発進する。
音もなく静かに発進した車と、走っている時の音の無さにノワールは驚き、「最新の魔力エンジンでも使っているのかな」と思いながら、流れていく窓の外を見やる。
今回の依頼の行く末はどうなるだろうか。リリアーナに話しかけて、事件の詳細を聞き出しているルージュの無邪気な顔を一瞬だけ横目で見てから、ノワールはまた窓の外に視線を戻した。
何やら胸騒ぎがするが、所詮いつものことである。
このルージュが関わる運命にある以上、何かしらの〝騒ぎ〟は絶対に起こり得る。そういうことになっているのだ。
そうして出発から二時間ほどが経ち、ノワールたちを乗せた車は目的の街アムレートに近づいてきた。
『幸せ屋』がある街ロートとアムレートの間には山が一つあり、互いの街を行き来するにはそこを通らなければならない。山を通る道路は綺麗に舗装されているため、移動の際に不便はないものの、その両脇にはどこまでも続いていそうな深い森が広がっている。
かつてここは凶暴な魔獣の巣窟だったらしいが、今では帝国騎士団が定期的に魔獣の駆除を行っているため、人が通る場所に魔獣が近付くことは滅多にない。
だが、稀に群れからはぐれて迷ったなどのイレギュラーな魔獣が、人間の通り道に現れることがある。
「——っ!? 止めてください!」
何事もなく走っていた所に突如、血相を変えてリリアーナが叫んだ。急ブレーキが踏まれ、スキール音が鳴り響く。車体が不意にガクンと傾いて、ノワールは正面の座席に頭から思い切り衝突した。
「いってぇ……」
一体何事かと、額を押さえながらノワールが顔を上げた次の瞬間、木々が大きく揺れ、巨大な魔獣が突如として森から飛び出し、車体から十メートルほど離れた位置に立ちふさがった。
この車体を優に超える巨体を有するその四足獣は、真っ赤な口腔からはみ出すほどの鋭利な牙を見せつけ、血走った双眼をノワールたちに向けていた。腹の底に響くような低く大きな唸り声を鳴らし、その魔獣は歩みを前に進める。
「『エニグタイガー』ね。でも普通の個体よりずいぶん大きいわ、二倍くらいかしら? 面白いものが見れたわね」
見るからに凶暴と分かる魔獣を見て、そんな呑気な声を上げているのはルージュだ。
「わたしが対処します」
助手席に座っていたリリアーナが冷静な声でそう言って車から飛び出し、ノワールたちを守るようにエニグタイガーの正面に立った。
そして彼女は懐から一枚のカードを指で挟んで取り出すと、複雑な紋様が刻まれた面をエニグタイガーに向けた。
「——【グランディス・フランマ】」
リリアーナがそう唱えた瞬間、カードに刻まれた紋様——特殊な文字や記号で構成された『魔術陣』に光の線が駆け巡る。そして、カードが灰になって崩れ落ちると同時、燃え盛る火炎が吹き出し、エニグタイガーの巨体を包み込んだ。
ゴウと音を立て火炎に呑み込まれたエニグタイガーはしかし、その業火をものともせず、ビリビリと大気を震わせる雄叫びを上げながら、こちらに向かってくる。鋭い爪が舗装された道路に喰い込みヒビを入れ、ドスドスと地響きが鳴る。
「うーん。妙ね、あのタイプの魔獣は火を恐れるものだけれど」
「確かに妙ですね」
戦闘を行っているリリアーナを眺めながら、車から降りたルージュとノワールは、炎に包まれてなおこちらに向かって駆けてくるエニグタイガーを見て首を捻る。
炎を浴びてもダメージを受ける様子がなく、平均よりずっと大きな体躯、人間を見ても少しも動じない血走った瞳。明らかに普通じゃない。
対象のエニグタイガーに炎が効かないと悟ったリリアーナは、別のカードを取り出し、目先に向けて唱える。
「——【グランディス・ウェントス】」
魔術陣に光が走り、カードがコナゴナに崩れ落ちると同時に突風が吹き荒れた。その強烈な風の塊は突進してくるエニグタイガーの正面から衝突し、吹き飛ばした。
エニグタイガーはひっくり返って、道路の上を滑るように転がっていく。その拍子に屈強な体躯を包んでいた炎は消え、エニグタイガーは何事もなかったように起き上がった。中途半端に攻撃したせいで増々怒っているように見える。
エニグタイガーが吠え猛り、それ見たリリアーナが苦しい表情を浮かべる。
「くっ……」
「リリア、大丈夫かしら? 厳しいのなら手助けするけれど」
ルージュがリリアーナの隣に並んで、そう声を掛けた。
「い、いえ、ルージュ様のお手を煩わせるまでも……」
そうは言うも、リリアーナの顔に余裕はうかがえない。真剣な様子でしきりに正面の魔獣とルージュたちを交互に見やって確認していた。何かを狙っているようにも見えた。そして、リリアーナがルージュを見た所で二人の視線がかち合い、ルージュが微笑んだ。
「じゃあ、私が手を煩わせなければ問題ないわね。——ノワール」
ルージュが正面の魔獣に視線を飛ばしつつ、背後にいるノワールに呼びかける。ノワールはその言葉を受けて頷くと、地面を蹴り、ルージュたちを追い越して、エニグタイガーと対面した。
「危ないですよ!」
そんなノワールの背中に、リリアーナが焦ったように呼びかける。が、ノワールに引く様子はない。
「大丈夫よリリア、ノワールは強いから。まぁ、私には負けるけれど」
背後にいるルージュが余計な情報を付け足しているのを聞いて、ノワールは顔をしかめる。ルージュがそう言ってドヤ顔を浮かべているのが、声だけで分かった。内心でイラッとするが、事実ノワールはルージュに一度も勝ったことがないので、何も言い返せない。
ノワールは無言のまま正面の魔獣の巨体と静かに相対すると、何もない腰から抜刀でもするように片腕を振った。その動作に合わせ、彼の手元にはドス黒く禍々しいモヤが集まって、一振りの刀剣の形を取り始める。
彼が腕を振り切った時には、黒々とした刀剣が彼の手に握られていた。ノワールは
それと同時、エニグタイガーもまた目の前の敵を倒さんと剛脚を地面に叩きつけ前進。そのまま前脚の鋭い爪でノワールを狙った。
風を切るような速度で細身の痩躯と巨大な体躯が交差し、その瞬間ノワールが黒い刀剣をスッと袈裟掛けに振った。魔獣の巨躯に赤い直線が走り、時が止まったような錯覚があった。
瞬きの後には、エニグタイガーの巨体は斜め掛けに真っ二つにされていた。
誰の目にも理解できる絶命。魔獣の表情は、自らの命が消え失せる瞬間を理解できなかったように固まったままである。
二つに分かたれた魔獣の肉体が地面に崩れ落ちたのを確認し、ノワールは黒い刀剣を見えない鞘に納刀するようにして掻き消した。刀剣だったモノは黒いモヤとなって跡形もなく散り散りになる。
「どう? ウチのノワールはつよいでしょう?」
そんなルージュの後ろ姿を見て、ルージュは腰に手を当て誇らしげに微笑み、リリアーナは驚いたように目を見開いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます