《奇跡》と魔術と魔法



 《奇跡》という特別なチカラがある。


 この世界に生きる〝選ばれた〟生物のみに宿る特殊な力であり、その性質は様々。《奇跡》を得た者によって、どのような奇跡チカラを使えるかは異なる。


 《奇跡》は人智を越え、極めて有能、この世の生物が望む全てを実現する可能性を持つとさえ言われる。


 《奇跡》は遥か昔から存在する奇跡であり、《奇跡》を持つ者は神聖なる『奇跡者アクシスタ』と呼ばれた。


 《奇跡》を得たある者は燃え盛る火炎を支配し、ある者は怒涛の激流を生み出し、ある者は苛烈な暴風を統べ、ある者は大いなる天候を操り、ある者は見えざる力を生み出し、ある者は超理想的な物質を生成し、ある者は不可侵の時空を飛び越えたとされる。


 現在の高度人類文明を支えている『魔術』も、過去の人々が《奇跡》のチカラを《奇跡》を持たない人の手でも再現できるようにと発展させた技術である。要するに『魔術』とは《奇跡》の劣化模造品コピーなのだ。


 だがなお、およそ数千年の歴史を持つ『魔術』も《奇跡》に及ばない。故に奇跡。《奇跡》とは、そういうものだ。




◇◆◇◆




「今のは……?」




 魔獣エニグタイガーを一瞬の内に斬り捨てたノワールを見て、リリアーナが唖然として呟いた。


 それに、隣にいたルージュが嬉々として反応する。


「今のはノワールの《奇跡》のチカラよ! 中々面白いでしょう?」


「…………ノワール様は、『奇跡者アクシスタ』だったのですね。驚きました。し、失礼ですがどのような《奇跡》なのかお聞きしてもよろしいですか……?」


 リリアーナが感心したようにノワールを見る。


 ノワールはそんなリリアーナの眼差しを受け、誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべる。


「すみません、あまり他人に言いふらすようなものでもないので」


「そ、そうですよね。失礼な真似をして、申し訳ありませんでした。また、ご助力いただいたことを感謝します」


 リリアーナが頭を下げ、再び顔を上げてルージュとノワールを見る。その時の彼女がノワールを見る瞳に、少し熱がこもっているように思えた。


「では、お二人は車内にお戻りください。あの魔獣の遺骸を移動させた後、出発しますので」


 その後、リリアーナがエニグタイガーの巨大な遺骸を、魔術を用いて道の隅に退かし、再び車はアムレート街に向けて出発した。


 エニグタイガーと遭遇した場所は、既にアムレートの街主が持つ領土内であるらしい。そのため、後程リリアーナとは別の街主の使者が、エニグタイガーの遺骸の回収にやってくるようだ。まぁ、あのまま魔獣の遺骸を放っていく訳にもいかないので、当然の対処だろう。


 そんな事情を、車内でリリアーナが通話していた内容を盗み聞いたノワールは把握した。


 その後は特筆するようなハプニングもなく、ノワールたちを乗せた車は魔術の研究で有名な街アムレートに入り、そのまま街主の屋敷まで連れて行かれる。


 到着した時にはもう既に日は暮れ始めており、夕焼け空をバックに聳え立つ大きな建物を見上げながら、ルージュが感心したような声を上げた。


「中々素敵なお屋敷ね。街主さんに会うのが楽しみだわ」


 リリアーナの話では、あくまで彼女は遣いであり、本当の依頼主はこの街を治める街主であるため、まずはその街主に会って欲しいということだった。


 大仰な玄関入り口の所に案内された所でリリアーナとは別れ、その後はエプロンドレスを着た別の使用人に屋敷の中を案内される。


 屋敷内には絵画やら壺やら魔獣のはく製などが飾られており、それらを見てルージュが興奮する。


「流石大きな街の街主の家ねっ、面白いものが沢山あるわ!」


「ルージュ、恥ずかしいので大人しくしてください」


 そんなノワールのたしなめる言葉を聞き流し、ルージュはキョロキョロと落ち着きのない子供のように屋敷の中を見渡していた。


 そんなルージュにノワールが呆れていると、案内役の使用人が一つの部屋の前で立ち止まった。


「こちらに街主ガニアス様がいらっしゃいます。少々お待ちください」


 使用人の少女はノワールとルージュに向け恭しく頭を下げてから、部屋の扉をノックした。


「ガニアス様。ルージュ様とその付き人の方がお越しになりました」


——僕はルージュの付き人じゃない……。


 使用人のその台詞にノワールは複雑な気持ちになった。


「おぉ、来たか。入れてくれ」


 中から渋い男性の声が返って来て、それを聞いた使用人が扉を開け、ノワールたちが中に入るように促す。


「失礼するわ」


「失礼します」


 ルージュとノワールが室内に入り、その後に続いて使用人の少女も入室し、扉を閉じた。


 室内の中央には黒く艶やかな木材で作られた執務机があり、その手前の高価そうな椅子に一人の男性が座っていた。


 鋭い眼が特徴的な四十代くらいに見える長身の男で、その口元には楽しげな笑みが刻まれている。その隣には、怜悧な雰囲気を持つ眼鏡をかけた妙齢の女性が佇んでいた。


「よく来てくれた。話は手短に済ますつもりだが、まぁ座ってくれ」


 男性が言う。言われた通り、男性と向かい合う様に設置されている黒塗りの大きなソファにノワールとルージュは腰掛ける。


 それを見て男性は満足そうに微笑むと、肘をついて組み合わせた両手の甲に顎を置き、口を開いた。


「このアムレートの街主、ガニアス・ゼストソウルだ。ようこそルージュ、我が街へ。君の噂はかねてから聞いているよ。本当によく来てくれた。はじめ、君に遣いを送っても音沙汰がなかった時はどうなる事かと思ったが」


「あら? 何のことかしら?」


 ルージュがキョトンとした表情で首を捻る。


「遣いとして送ったリリアからの話では、ここ数日君の住まいを訪れたのに反応がなかったと聞いているが」


「あぁ、そういうことね。ごめんなさい、少し集中したい用事が立て込んでいたものだから」


 ルージュはそう言うが、実際のルージュがソファに寝転びながらゲームをやり、くだらない動画の視聴をして、怠けていたということをノワールは知っている。どうせインタホーンが鳴っても気づいていなかったか、気付いていたとしても、通販の配達じゃないことを確認して無視していたに違いない。


「なるほど。まぁ、君ほどの人物だ。忙しいのも無理はない」


 ガニアスが納得したように言った。


——いいえ、仕事をせずにだらけていただけです……。


 ノワールは内心でそう呟いて、にらむように隣のルージュを見るが、すっと目を逸らされる。


 しかし、ルージュという人物のこと知っている者は限られているはずだが、このガニアスという男はルージュのことを知っているらしい。


 実際、あんな目立つ建物の中で『幸せ屋』という訳の分からない店を経営しているルージュは、同じ街の住民から近づいてはいけない変人としか認識されていない。


 ルージュの本当の〝異常性〟を知る者は、今までルージュが受けてきた依頼に関わる人物と、それ以外にはごく一部である。


 まぁ、高位の魔術師で、街主でもある彼ほどの人物なら、どこかで話を聞く機会もあったのだろう。


「だが、こうしてルージュが依頼を受けてここに来てくれてホッとしているよ。君は、自分が本当に興味をもった依頼しか受け付けないと聞いていたものだからね」


「あら、そんなことないわよ。私は持ってこられた依頼は大抵受けているつもりよ」


 ウソである。


 ルージュは自分では『幸せ屋』に来た全ての依頼を受け、その望みを叶えているつもりだが、ルージュが実際に叶えた依頼者の望みは、〝受けた依頼〟に関してだけである。


 そして、ルージュは本当に自分が興味を抱いた依頼しか受けようとしない。それ以外の依頼に関しては、「めんどくさい」や「今忙しいから次の機会にしてくれ」などと、てきとうな言い訳をして受け付けようとしない。


 それがルージュという『幸せ屋』の主である少女の実態だ。


 ただ、それが〝どんな形であったとしても〟、一度受けた依頼に関しては、〝必ず〟依頼者の望みを叶えているというのは、紛れもない事実である。少なくとも二年間、ノワールが見てきた限りでは。


 ガニアスは、ルージュのことを観察するようにジッと見つめながら、口を開く。


「しかし実際に見てると、聞いていた以上に美しい女性だ」


「あら、ありがとうガニアス。私もあなたのことは知っているわよ。とても聡明で優れた魔術師だって」


「いやいや、私なんてまだまだだよ。自らが治める街で起こる事件も解決できないくらいだ」


「ふふ、魔術師は事件を解決することが仕事じゃないでしょう? 聞くところによると、ガニアスは〝魔法〟に最も近い『魔術師』の一人だそうじゃない。謙遜しなくても大丈夫よ?」


 ルージュが口元に薄い笑みを湛えながらそう言うと、ガニアスは一瞬驚いたように表情を固めた後、豪快に笑った。


「はっはっはっ! どこでそんな噂を聞いたのかは知らないが、それは事実無根だよルージュ。私の研究はまだまだ〝魔法〟には遠く及んでいない。私のような有象無象の魔術師には、無理があるだろうさ。そんな私のことより、君のことも聞かせていただいても良いかな」


 ガニアスがノワールに視線を向けて言う。


「聞くところによると、道中で現れた規格外のエニグタイガーを圧倒したそうだね。名前はノワールと聞いているが、相違ないか?」


 まさか自分に話が振られると思っていなかったノワールは少し動揺したが、冷静な口調で応える。


「はい、ノワールと言います」


「いやぁ素晴らしい。私が話に聞いたことがあるのはルージュに関してだけだが、流石ルージュの付き人。極めて優秀であるようだ」


 どうやらノワールは完全にルージュの付き人ポジションに収まってしまっているらしい。わざわざ訂正することでも無いので、ノワールは曖昧な笑みを浮かべてその場を誤魔化す。


 その後、ガニアスとルージュ、ノワールの間で他愛もない会話が少しばかり交わされてから、話は本題に入った。


「およそ一週間前、正確には九日前の夜からだが、この街で不審な死体が多く見つかるようになったのだ」


「ええ、大まかな話は聞いているわ。心臓と血液が綺麗に抜かれた不審死体なんでしょう?」


「あぁそうだ。しかも狙われているのは魔術師ばかりで、明らかにただ者の仕業ではない」


 『魔術師』を名乗るのはそう簡単な事じゃない。生まれ持った才能と類い稀な努力の末に、ようやく資格を取って初めて魔術師と認められる。


 魔術師には大きく分けて、魔獣の駆除や戦争の要として戦闘行為を専門とする者と、魔術の進歩のため研究に尽力する者の二種類があるが、どちらにせよ『魔術』を扱えるというだけで常人に敵う相手ではない。


 そんな魔術師が易々と殺されているこの事態は、確かに異常であり、それを行っている当事者はただ者じゃないと言える。


「殺された者の中には優秀な『魔術士ウィザード』もいる。この事件の犯人は『奇跡者アクシスタ』か、強力な魔術士ウィザードである可能性が高い」


「そこまで分かって、でも犯人の手がかりが掴めないから私に依頼をしたということね」


「そういうことだ。既に警衛騎士団が調査を行っているが、少しも進行が見られない」


「全く、警衛は本当に無能ね」


「あぁ、本当にそうだ」


 もしこの会話を警衛騎士団に所属する者が聞いたら怒り狂うだろう。そしてこの赤い少女、実際に警衛の人間を前にしても一切態度を変えないからタチが悪い。いや、陰口ではない分むしろタチが良いのかもしれないが、ルージュが警衛をバカにしているという事実は変わらず、現在この街には事件を調査している警衛騎士団がいるだろうというのも事実。


 もしルージュと警衛の人たちが遭遇した時のことを思うと、ノワールは今から胃が痛い。


 この素直過ぎる少女には、少しは社交性というものを身に着けて欲しいと願うノワールであった。


「まぁ私たちに任せてちょうだい。この『幸せ屋』が依頼を受けたからには、どんな望みも叶えてみせるわ」


 ソファから立ち上がったルージュが自分の胸をトンと叩いて、自信たっぷりに微笑む。それを見たガニアスもまた微笑んだ。


「いい表情をする。話に聞いた通り、君にならこの事件を任せられそうだ。よろしく頼むよ」


 そう言ってガニアスが、隣に控えるように佇んでいた女性を見て、「レイラ、例のものを」と声をかけた。すると声をかけられた女性がルージュの前にやって来て頭を下げ、一枚のマイクロチップが入ったケースを差し出した。それをルージュは受け取る。


「その中には今回私や警衛の者たちが集めたデータが入っている。使うといい。無能な警衛も、情報収集だけは早いからな。これで手間が省けるだろう」


 このガニアスという男も中々一言が余計である。


 ノワールはこのガニアスという男から、ルージュと同じ〝におい〟を感じ取った。


 ルージュといい、魔術師の中でも特に優秀らしいガニアスといい、特別な人間はどこかズレている傾向にあるのだなとノワールは思った。ちなみにノワールは自分自身のことをそこそこ普通の人間だと思っているのだが、〝世界で唯一の魔剣使い〟である以上、既に自分も普通とはかけ離れていることに気づいてはいなかった。


「ありがとうガニアス。有益に使わせて貰うわ。それで、今晩私たちが泊まる所についてなのだけれど、どこか適当なホテルを紹介してもらえたりするのかしら」


「あぁ、すまない伝え忘れていたな。君たちは客人だ。事件が解決するまではこの屋敷に部屋を用意したらからそこを使うといい。もちろん、その他の必要なものについてもこちらに任せてくれて大丈夫だ。細かいことはそこにいる彼女に聞いてくれ。」


 ガニアスは部屋の隅で待機している一人の少女を視線で示す。ノワールたちをこの部屋にまで案内してくれたエプロンドレス姿の使用人だ。小柄でまだ幼さを残す可愛らしい少女である。頭部には犬のような耳が付いていることから、純粋な人間ではないと分かる。恐らく獣人種の血も入っているのだろう。


 ノワールたちと目が合うと、その少女はペコリと恭しく頭を下げた。犬のような耳が揺れる。


「サラと申します。ご用件があれば何なりとお申し付けください。事件が解決するまで、ルージュ様とノワール様に尽力させていただきます」


「あら、それはありがとうガニアス。とても助かるわっ。そして! つまりサラはしばらく私たち専用のメイドさんになってくれるってことかしら! 何なりと! 本当に何なりと申し付けていいのね! なんて素敵なのかしら!」


 ルージュが両手を合わせ、歓喜の表情を浮かべる。輝くような笑顔だ。


 そんなルージュの顔に、彼女が事件とは全く関係ないことをサラに要求しそうな予感がして、ノワールはまた呆れるのだった。


「では、もう失礼してもいいのかしら?」


 ルージュがサラの方をチラチラ見ながら、そわそわした態度でガニアスに言う。


「あぁ、伝えたいことは以上だ。君たちには期待しているよ」


「えぇっ、存分に期待していてちょうだい!」


 ルージュは胸に手を当て堂々と言うと、席を立ち部屋の出口へ向かう。ノワールもまた席を立ち、ガニアスに軽く頭を下げてからルージュの後に続いた。そんなノワールの横に、使用人の少女であるサラが付いてくる。


「——サラ」


 その時、ガニアスの側に立っていたレイラと呼ばれていた女性が、静かな声音でサラに呼びかけた。


「くれぐれも、ルージュ様に失礼のないように」


「は、はい!」


 サラは少し異常な程ビクリと身体を震わせ、レイラの方を向くと、深々と頭を下げる。そしてサラはどこか顔を強張らせながら、ノワールに続いて部屋を出るのだった。

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