赤い少女と黒い少年



 『大和国』という島国が属する『エルドラド大陸』。その西に広がる『ハイオリエンタル大海』を挟んで、『パストワイル』という大陸がある。

そのパストワイル大陸の大半を支配する『ルベル帝国』の端に位置する『ロート』という街のはずれに、一際目立つ妙な建造物がポツンと建っていた。

それは細く高く、近くで頂上を見上げれば首が疲れる程だ。遠目にもすぐ留まるその細長い建物は、アパートやビルと呼ぶにはあまりに細すぎて、さながら塔のようであり、外装が鮮やかな赤色で塗装されているためなお目立つ。

 その塔のような赤い建物が何なのかと気になって近づくと、両開きの大仰な扉の少し上あたりに、無駄に宝石やらレースやらで派手に装飾がされた看板が嫌でも目に付く。

 その看板には大きな文字でこう書かれてある。


【——ルージュの赤い幸せ屋——~あなたの《しあわせ》何でも叶えます‼~】


 この看板を見た人は、まず「胡散臭い……」と思い、関わろうとしないだろう。実際、街の人々はこの建物を関わってはいけないものと認識して、余程の理由がなければ近づこうともしない。


 だが、一部の者は知っている。

 この『赤い幸せ屋』が、本物であると。

 この『赤い幸せ屋』に依頼した者は、間違いなく『夢』を叶えると。

 この『赤い幸せ屋』を訪れた者は、ただ一人の例外もなく『赤い幸せ』を手に入れるのだと。

 

◇◆◇◆


 『ルージュの赤い幸せ屋』という無駄に派手な看板が取り付けられている赤い塔の中、二階の共有フロアにて一人の黒い少年が叫んでいた。


「ルージュ! この部屋を散らかすなって何回言ったら分かるんですか! 汚すならせめて自分の部屋にしてください!」


「えー、だってそんなことしたら私の部屋が汚れちゃうじゃない」


 部屋は散らかっていた。


 多数の書物(主に漫画)、

 大量のゲーム機器、菓子類の包装用紙、

 カップ麺などの残骸、

 空き缶、

 中途半端に中身が残ったペットボトル、

 脱ぎ捨てた衣類、作りかけのプラモデル、

 配達されたまま中身を空けていない段ボールの山々、

 何やら書きなぐった紙類、

 不用意に投げ捨てられたノートPC数台と、それに繋げられた大量の魔力素子コード、

 優に百畳はある広々とした空間を見事に余すことなく汚した『汚部屋』と呼ぶべき空間のど真ん中で、一人の赤い少女がソファに寝そべりながらスナック菓子を食べ、壁に設置された巨大スクリーンに投影されている動画を見てケラケラと笑っている。一人の女性がゲームの実況をしている動画だ。


 自分でゲームをやるでもなく、知らない人がゲームをやっている動画を見て一体何が面白いのかと思うが、今気にするべきはそこじゃない。

以上の状況は、黒い少年——ノワールが所用で三日ほどこの家を空け、帰ってきた時に広がっていた惨状である。何となく予想していた事態とはいえ、流石に呆れる。

出かける前に何度もまともな生活をするように言い聞かせたのだが、どうやら全くの無駄だったようだ。まぁ、元から期待なんてしていなかったのだが。

「ルージュ、あなたよく三日でこれだけ汚しましたね」

 反省する気ゼロの赤い少女——ルージュに、ノワールは怒る気も失せて、呆れたように額に手をやり、そう言った。

「ふふ、この私を見くびってもらっては困るわねノワール。これくらい造作もないわ」

「そうですか……」

 頭が痛い。ドヤ顔でそう言ってのけるこの少女が、仮にも自分の上司だとは思いたくなかった。

「ルージュは、掃除という概念を知っていますか?」

「当たり前じゃない。ノワールは私を何だと思っているのかしら」

「なら、この惨状を見て、少しは掃除をしようという気にはなりませんか」

「掃除してもどうせすぐ汚れるんですもの」

「掃除しないから汚れるんですよ」

「掃除は面倒だわ」

「毎日こまめに掃除していれば、そこまで面倒じゃありません」

「ノワールは私に毎日掃除をしろと言っているの? 酷いわ、私を殺す気かしら」

「そこまで難しい要求をしているつもりはありません」

「無理よ、無理」

 そう言って、ルージュは手元のスマホをいじり始める。

「……少なくとも、ルージュがやっている数えるのもうんざりするほどの数のソーシャルゲームのログインボーナスを全て毎日欠かさず受け取る事よりは、容易だと思いますが」

「ノワールはバカなの? 掃除とソシャゲのログインボーナスは違うわ」

 スマホの画面に目を向けたまま、小馬鹿にするように言ってのけるルージュ。

 ——ピキッ、っと、ノワールの額に青筋が浮かぶ。ノワールが空気を震わせるような怒気を纏い、強く拳を握りしめるが、ルージュはどこ吹く風。そんなルージュが操作するスマホの画面がちらりと見えて、ノワールは眉をひそめた。嫌な予感がした。

「ルージュ、それは何を見ているんですか」

 ノワールが恐る恐る尋ねる。

「あぁ、これ? ノワールの写真を整理しているのよ」

「ちょっと見せてください」

 ノワールが手を伸ばす。音速にも劣らないような、風を切る速度。しかしそんなノワールの手を、ルージュは何事でもないようにスマホをズラして躱した。

「そんなに見たいのなら見せてあげるわ。ほら、よく撮れているでしょう?」

 ルージュがスマホの画面をノワールに向ける。

 そこに映っていたのは、ノワールの写真。ただし、ただの写真ではない。先日、とある事情からルージュに逆らえなくなった時に無理やり撮影された、ノワールの〝女装〟写真だった。ルージュによる完璧なメイクを施されたノワールが、フリフリの女の子衣装に身を包み仏頂面を浮かべている。

「うーん、流石ノワール、素材がいいわね。こうして見ると、とても美人さんだわ」

「消してください」

 また、ノワールが手を伸ばす。——が、確実に捉えたと思ったのに、ノワールの指先は虚空を掠めた。

「ダメよ。これは私の大切なコレクションの一つだもの」

「……どうしたら、消してくれますか」

 ノワールは羞恥で声が震えそうになるのを我慢して、ルージュをにらむ。

「そうね、私からこのスマホを奪えたら消してあげてもいいわ」

 ルージュがその台詞を口にした瞬間、風が吹いた。

 先の数倍の速度で、ノワールの身体がブレる。しかし、ノワールの動きの線上に、既にルージュの姿は無かった。

 ソファに寝転がっていたルージュは、いつの間にかノワールの背後に立って、「うーん」とあくび混じりに伸びをする。

 それを察知したノワールが後方に向かって回し蹴りを放つ。ルージュはその蹴りを片手でやんわり受け止めた。まるで空気のクッションに包み込まれたような感覚。衝撃が完全に殺された。

「——っ」

 気付けばノワールはルージュに足を払われて、宙を舞っていた。視界が回転する。

 そのままノワールの身体は、先ほどまでルージュが寝転んでいたソファの上に沈む。そんなノワールの顔を覗き込むようにして、ルージュはにっこりと微笑んだ。

「まだまだね、ノワール。それじゃあ、この部屋の片づけはお願いね。私はお風呂に入って来るわ」

 そしてルージュはウインクをすると、テーブルの上にあったスナック菓子の残り破片を流し込むように口に入れる。そして床に散らばった大量の物たちを器用に避けながら、鼻歌まじりに踊るような足取りで部屋を出て行った。

「あっ! ちょっとルージュ!」

 当然そんなノワールの声でルージュが止まるはずもなく、彼女は浴室がある扉の向こうに消える。

「はぁ……」

 諦めたようなため息を吐いて、ノワールはソファから起き上がると、ルージュが付けっぱなしにしていったスクリーンの映像をリモコンで消した。

 


◇◆◇◆


 ノワールは、ルージュが経営する『幸せ屋』で働いている。

 『幸せ屋』は分かりやすく言うと『なんでも屋』である。依頼人クライアントが持ち込んできた依頼をあの手この手で解決し、その対価として報酬を受け取る。そういう自由な店だ。

 ノワールは一度一階まで降りた後、この部屋に戻り、捨てたらルージュが怒りそうな物をあらかた別の部屋に移してから、散乱した大量のゴミを部屋の隅に押しやるようにモップをかけていた。

 そうしてから比較的大きめのゴミをゴミ袋に突っ込んで、次は掃除機でもかけようかと思っていると、長い風呂を終えたルージュが悠々とした足取りでこの部屋に戻って来た。

「ふー、いいお湯だったわ。やっぱりお風呂もたまに入ると良いものね」

 ルージュが移動する度にぴちゃぴちゃと水滴がしたたり落ち、既に掃除をした床が濡れる。それを見たノワールの額に青筋が浮かび、やはり一発ぶん殴ってやろうかと彼は拳を固めた。

 だが、ノワールはその拳を何とか抑え込んで、ルージュをにらむように見た。呆れと怒りが入り混じったような声音で、ノワールは言う。

「ルージュ、言いたいことが二つあります」

「何? さっきの写真は消さないわよ」

「それじゃありません」

「ふむ、何かしら?」

「まず一つ、ちゃんと体と髪を拭いてから出てきてください」

「ふむ、一理あるわね」

「そしてもう一つ、服を着てから出てきてください」

 ルージュの今の姿は一糸纏わぬ全裸であり、全ての女性が羨んで止まないような抜群のプロポーションが惜しげもなく晒されていた。

 鮮血のように艶やかな赤い髪は水滴に濡れ煌めいて、二つの形の良い胸はその豊かさを主張するように揺れ、くびれの目立つ体の線は細く、しかし決して弱々しさは感じさせない肉付きを有している。腰回り下のラインは男の理想を体現したように豊潤で、スラリとした手足の指は白魚のよう、何よりその美貌は完成されていた。

 神に愛されたとしか思えない完成された端正な面立ち。その美貌に埋め込まれた赤水晶ルビーのような両瞳がパチクリと瞬く。

「まぁ別にいいじゃない。私とノワールしかいないんだから」

 ルージュは自らの裸体を隠そうとする素振りも見せず、ノワールに笑いかける。

 そんな呑気なルージュを見て、ノワールは深いため息を吐いた。

 ルージュと一緒に暮らし始めた当初は、このように事あるごとに無防備な姿を見せる彼女に動揺していたものだが、いくら相手が最上級の美貌とプロポーションを持っていると言えど、二年もこんなことを繰り返してしまえば慣れてしまう。

むしろ完成されすぎている彼女の場合、そこにあるのは異性の体というよりもむしろ一つの芸術作品であり、異性としての劣情を起こすことすらおこがましく思えてしまう。

彼女に欲情することが、不躾に神に触れる禁忌であるような気さえしてくるのだ。

それがなくても、彼女のような〝異常〟な少女に手を出す気概はノワールにはなく、そのまま二年が過ぎた。

結果、ルージュの裸を見ても何も思わなくなってしまい、男としてそんな自分に悲しみを覚えるノワールである。

「とにかく、体と髪は拭いてください」

「めんどくさいわ、ノワールが拭いてくれないかしら」

「お願いですからそのままソファに寝転ばないでください……」

 濡れた体のままソファに寝転ぶルージュ。どのみち汚れたソファのカバーは洗濯するつもりだったので、濡れるのは構わないが、これ以上だらしないルージュの姿を見るのは頭が痛い。

「ねえノワール早く。じゃないと風邪を引いちゃう」

 そして、濡れた手のままタブレットPCをいじり始めたルージュに、ノワールは手に持っていたモップを振り上げる。このままルージュをしばき倒そうかとも考えたが、やるだけ無駄だと諦めて浴室に向かい、バスタオルと充電式のワイヤレスドライヤーを持ってくる。

 ノワールは全裸でソファに寝そべっているルージュの前に立つと、ドライヤーを拳銃のように構え、最大熱風をルージュの素肌に向けて発射した。

「あつっ! 熱いわノワール! なにしてるのよ!」

 タブレットPCを見て何やらニヤニヤ笑っていたルージュが跳び起きて、頬を膨らませながらノワールをにらむ。

「いえ、ルージュの体を乾かそうかと」

「どこの世界にドライヤーで体を乾かすバカがいるのよ」

「だったらちゃんと自分で拭いてください」

「もー、仕方ないわね」

 何が仕方ないのか全く分からないが、ルージュは渋々とノワールからバスタオルを受け取って、身体を拭き始める。

その後、結局ノワールは自分の長い髪を乾かすのを嫌がったルージュの髪を乾かすことになった。髪が乾いたルージュは真っ赤なドレスに着替え、ようやくまともな人間として相応しい格好になる。

「うーん、やっぱり服を着ると人間って感じがするわね。ヒトは衣服をまとうことで獣から知性ある人類として昇華するのよ」

 さっきまで服を着るのを嫌がって「裸でもいい」と言っていたルージュだが、服を着たら着たで上機嫌に調子の良いことを言っている。

「さてノワール、今から何をしましょう。ゲームっ、ゲームでもする!? 最近出た面白いゲームがあるのよ」

「いえルージュ、仕事です」

 ノワールがそう言うと、トランプの手札のようにゲームのパッケージを広げていたルージュが露骨に嫌そうな顔になる。

「うーん、なんかこの服を持ってこられた辺りからそんな気はしてたのよね」

 ルージュが自らの真っ赤なドレスを見下ろしながら言った。このドレスはルージュの仕事着であり、たった今ノワールが無理やり彼女に着せたものである。背中の部分が大きく空いており、ルージュの豊かな胸元が惜しげもなく強調されるデザインで、裾は長いがよく見るとスリットが入っている。動きやすさも重視されたオーダーメイドのルージュ専用ドレスだ。

 実はノワールがこの家に帰ってくる時、正面玄関の扉の前で立ち尽くしている一人の少女と鉢合わせた。その少女曰く、ここ数日、とある依頼のために『幸せ屋』を訪れているのだが、中に人が居る気配はあるのに誰も出て来てくれないとのこと。それを聞いてノワールがルージュに呆れたのは言うまでもない。

 ひとまずノワールは少女を一階の応接室に案内してから、少し待ってもらうように告げ、二階に上がったところ汚部屋でだらけているルージュを発見した、という感じである。

 依頼人クライアントの少女には、ルージュが風呂に入っている時に、対応できるまでまだ時間がかかるかもしれないとは告げてあるが、待たせすぎる訳にはいかない。

「なーんか気分が乗らないのよね。今回はパスしましょう」

 自分の赤い髪をクルクルと指先でもてあそびながら、ルージュはつまらなそうに言った。

「ダメです。もう依頼人クライアントを中に通してあるので。それに、僕が思うに今回の依頼はルージュ好みのものだと思いますが」

 ノワールがそう言うと、ルージュの赤水晶ルビーのような瞳が光った。

「へぇ、ノワールがそう言うなら、話くらいは聞いてみようかしら」

 ルージュはソファから跳ねるように立ち上がって、鮮血のように赤く長い髪を流すと、真っ赤なドレスを揺らしながら、一階へと続く階段に向かう。

 久しぶりに仕事をする気になった様子の赤い少女の背中を見て、主に付き従う従僕のように、黒い少年はその後に続いた。


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