プロローグ~黒い少年~

 黒い少年がいた。

『大和国』における由緒正しき名家、『————』の家に、彼は生を受けた。

 優秀な父親と母親の元に生まれた黒い少年は、多くの期待を一身に背負い、すくすくと成長した。


 しかし、黒い少年が成長するにつれて、両親や親族の顔は曇っていく。


 なぜなら、いつまで経っても黒い少年の身には《奇跡》が宿る気配もなく、持った魔力の量は極端に少なく、魔術は使えず、剣術や武術も平凡以下の上、特別賢しい訳でもなかったからだ。

 ひと昔の大戦で類い稀なる武功を上げ、大和国を勝利に導いたことから生まれたその家系は、その成り立ちに見合う武門の家として今も名を広め、そのことを誇りにしている。

 だが黒い少年はその優秀な血筋を受け継ぐにも関わらず、その身に宿る才能は至って平凡、むしろそれよりずっと下だった。

 一方で、黒い少年の後に生まれた弟妹たちは、歴代の中でも有数と謳われた優秀な父親にも勝るとも劣らぬ才覚を開花させていく。

 選ばれし者にしか与えられない《奇跡》をその身に宿し、操れる魔力の量も膨大、魔術や武術の腕前も卓越していた。

 次第に黒い少年は優秀な弟妹たちと比較されるようになり、なぜ弟妹にできてお前はできぬのかと呆れられ、親や親族のそんな態度を見て、弟妹たちも黒い少年を見下すようになった。

 大きくなるにつれ、黒い少年の肩身はますます狭くなっていった。

 やがて通うようになった学院に置いても、黒い少年の成績は常に最底辺。友達もできず、他人とは馴染めず、教師からも見下され、ことあるごとに学院の者たちからは優秀な弟妹たちと比較される。


 黒い少年にとってうんざりする毎日が続いた。どんなに頑張っても出来ない自分に苛立ち、その頑張りを認めない周りの者たちにさらに苛ついた。


 こんな生活、抜け出したいと常々思っていた。


 そんなある日、十五歳になった黒い少年は学院でとある事件を起こした。

 一人の教師を斬り——、殺したのだ。


 剣術の指南を担当している教師であり、普段から黒い少年に色々と難癖をつけてくる男でもあった。別にそれが理由で黒い少年がその男に斬りかかった訳ではないのだが、周りの人々はこう思った。 


 彼は普段の鬱憤を晴らすために、その男を斬り殺したのだ——と。


 誰も黒い少年の味方をしなかった。

 誰も黒い少年の言い分を聞いてくれなかった。


 結果、黒い少年は処罰が決まるまで停学となり、彼の実家で軟禁されることになった。

 埃臭い小さな室内から出ることを許されず、部屋の中にあるのは簡易の便所と鉄格子付きの窓のみ。ろくな食事も与えられることなく、数日が過ぎた。

 

 黒い少年があの教師を斬り殺した時、ドス黒い感情が湧き上がったあの時に目覚めた《奇跡》を使えばこの部屋から逃げ出すこともできたかもしれない。

 この《奇跡》のことを話せば、父親たちが黒い少年を有益な息子と認め、味方をしてくれたかもしれない。

 しかし黒い少年はそれをしなかった。

 ずっと望んで止まなかった《奇跡チカラ》を手に入れたというのに、いざチカラを手にしてみると、黒い少年の心は空っぽだった。

 結局、周囲が黒い少年に望んでいるのは名家に生まれた嫡男に相応しいチカラであって、彼自身ではないと気付いた。そのことが虚しくて、何もしなかった。


 そしてとある日の夜、窓の外に広がる夜空を見て、黒い少年は思った。


 あぁ、空虚な人生だな——と。



 一人の赤い少女が現れたのは、その時だ。


 鉄格子付きの窓を〝魔法〟のようにすり抜けて、室内に入って来た赤い少女。

 鮮血のように真っ赤な髪を流し、神に愛されたとしか思えないほど完成された美貌に埋め込まれた、赤水晶ルビーのような双眸を楽しそうに光らせ、赤い少女は黒い少年に問いかける。


「あなたは、どうして何もしないの?」


「何もする意味がないから」


「やってみなきゃ、意味があるかどうかなんて、分からないわ」


「わかるよ。これまでの人生、ずっとそうだった」


「でも今のあなたには、とっても素敵な《奇跡》があるわ」


「素敵? 笑わせるな。この《奇跡》で、俺は人を殺した。この《奇跡》のせいで、俺は人殺しだ」


「あなたはチカラを求めていたのでしょう?」


「こんなチカラなら、無い方が良かった」


「じゃあ、あなたが望むものはなに?」


「俺が望むものは、何なのだろう」


「——復讐?」


「————」


「——平穏?」


「————」


「——富? ——名誉?」


「————」


「——ありふれた人生? ——恵まれた人生?」


「————」


「——ロマンチックな恋愛? ——劇的な青春?」


「————」


「——舌が蕩けるような美味? ——息を呑むような絶景? それとも——何者にも縛られない自由?」


「————」


「——悲願の達成 ——欲望の完遂」


「————」


「——認められたい ——認めさせたい ——それになりたい」


「————」


「——壊したい ——気に入らない ——笑いたい ——犯したい ——楽しみたい ——独り占めにしたい ——愛されたい ——愛したい ——ぐちゃぐちゃにしたい ——無茶苦茶にされたい ——アレが欲しい ——コレが欲しい」


「————」


「それとも、——全部かしら?」


「————」


「何か一つくらいはあるでしょう? だって、生きているんだもの。人は夢見る生き物よ。——あぁそう、申し遅れたわね。

 ——私はルージュ、『赤い幸せ屋』をやっているの。あなたが欲しい〝幸せ〟を叶えましょう。アナタの望む〝夢〟を叶えましょう。お代はお気持ちで結構よ」


「——————」


「さあ、もう一度聞かせて。あなたが夢見る〝幸せ〟は、何かしら?」


「——俺を殺して」


「お安い御用よ。その依頼、受けましょう」


 赤い少女が片目を閉じて、ふんわり笑う。

 胸に火傷しそうな熱が広がり、その赤水晶ルビーのような瞳に見惚れた。

 赤い少女が手を差し伸べ、黒い少年が手を取る。



 そして黒い少年は、死んだ。


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