エピローグ

エピローグ

「――いるよ」


 逡巡の末、私は姉さんの質問にそう答えた。


 結局私は姉さんに嘘なんてつけないのだ。尋ねられない限りは言わずにいられても、質問されてしまえば誤魔化すことなんてできない。


「ありゃ、いるんだ」


「意外だった?」


「んー、意外っていうか、いや意外ってことになるのかな。イヅナはそういう話、昔からあまりしなかったでしょ。だからなんとなく、恋愛になんて興味が無いのかと思ってた」


 どうやら珍しく姉さんの予想を外してやれたらしい。いつも振り回されてばかりの立場としてはちょっとした優越感を覚える。


 ……でも、そういう話をしてない、っていうのは姉さんの勘違いなんだけど。わたしは昔から、というか特に高校生の頃は積極的に姉さんにアピールしていたつもりなのだ。告白こそしなかったけれど、なるべく多くの時間を姉さんと過ごし、隙あらばデートに誘い、手を繋いだり腕を組んだり、おそろいの小物をねだったり、時にはプレゼントしたり。


 でもその殆どは姉さんにとっては仲の良い姉妹としての行動として処理されて、ちっとも意識してもらえなかったみたいで。大学に上がって少ししてからは、わたしの方も少し、ほんの少し実を結ばないアピールに疲れてしまって。


 何より、いくら自分がアピールしてもちっともこちらを意識してくれない姉さんを見ている内に、同性で血の繋がったわたしはそもそも姉さんにとって恋愛対象には決してならないんだと現実を突きつけられた気がしてしまって。


 だからわたしはこの気持に蓋をしようと、そう、思っていたのだけど。


 好きな人がいると答えてしまった。いるよ、と口に出した途端心臓が激しく鳴り始めて、わたしは自分の気持が収まるどころか募る一方だったと思い知る。


 目の前で回転椅子をくるくる回しながらうんうん唸っているどことなくダメ人間風味な女性をどうしようもなく好きだという気持ちが、誤魔化しきれないほどに膨らんでいると自覚せざるを得ない。


「お付き合いとか、してたりするの?」


「してないよ。告白もしてない」


「しないの?」


 清々しいまでに自分とは無関係だと思っている顔で姉さんが聞き返してくる。いっそのこと「じゃあ遠慮なく」とこの場で告白してしまえたらどんなに気が楽になるだろう、とは思うものの、それが出来たら十年もこの人に片思いを続けているわけがないのだ。


 わたしの人生の半分は姉さんで出来ていると言っても過言じゃない。自分の胸にあるものが恋と呼べる感情まで進化するずっと前から、わたしは姉さんを追いかけて生きてきた。


 物心ついた頃から、いつもわたしの近くでものを見て、わたしと同じ目線で考えてくれたのは姉さんだった。初め感じていたのは友情に近い何かで、それが尊敬や憧れなんかと一緒に撹拌されていく内に、気づけば恋に形を変えて。


 気持ちを自覚してからはより一層姉さん尽くしの生活になった。一緒にいる時は姉さんのことを考え、一人でいる時も姉さんのことを考えていた。


 何かを選んだり、決断したりする時は姉さんならどうするかを考えて、姉さんが時々見せるこちらを煙にまくような言動の意味を考えて余暇を過ごした。


 わたしが姉さんが大好きで、姉さんに依存している。もういまさら、姉さんのいない人生なんて考えられない。それほどまでにわたしという存在は姉さんによって構成されていた。


「しないよ。きっと、迷惑になるだろうし」


 関係も、壊れてしまうだろうし。


 わたしという人間の半分を構成するものを喪うのが怖すぎて、わたしは決定的な言葉を口にできない。姉さんが好きだよと、その短い言葉を口には出来ないのだ。


「んー、あたしならイヅナみたいな可愛い子に告白されたら即オッケーしちゃうけどな」


 ドキン、と心臓が痛いほど大きく脈動する。やめて、と心が悲鳴を上げる。期待させないで、希望を抱かせないで、と胸の内で懇願する声がした。


 これ以上この話が続いたら口から何が飛び出すかわからないと、激しい心音を悟られないように表情を取り繕う。顔に力を入れていないと頬が緩みそうだった。


「好きな人いるんだったら、今のままの方がいいかなぁ」


 姉さんの口からぽろっとこぼれた呟きに首をひねる。どうもここまでのやり取りはまだ前段で、本題は別にあるみたいだ。姉さん的にはなぜか好きな人トークの結果如何で話すかどうか迷うことらしいけど「なんだよぅ」と冗談めかしてせっつけば、同じように気軽な調子で応じてくれた。


「いやね、イヅナと一緒に暮らすっていうのは、どうかなと思って」


 ……ん?


 限りなくおかしな言葉が聞こえた気がしてもう一回、とねだる。今度は聞き間違えないようにぐっと唾を飲んで黙った。


「だからさ、ちょくちょくこの家に来るくらいなら、一緒に住んじゃおうか、って」


「一緒に、誰が、誰と?」


「あたしが、イヅナと」


 ど? とあまりに気楽に差し出される究極のイエス・オア・ノー。もちろんイエスと飛びつきたいが、積年の片思いがそれでいいのかと邪魔をする。


 一緒に暮らす。姉さんと二人で。それは一見とても甘美な誘いで、でもその実わたしにとっては我慢の日々が始まることとイコールだ。これは同棲じゃなく同居なのだから。姉さんはわたしの気持ちを知らず、わたしは姉さんの一番近くで自分を殺し続ける。それは本当に、わたしにとって幸せなことだろうか。


 わたしと姉さんは同性で、二十以上年が離れていて、血が繋がっている。


 わたしにしてみればたったそれだけのことで、と思うけれどその価値観を姉さんが共有してくれるとは限らない。だから尻込みし続けて、気づけばもう大学生活も折り返しを過ぎていた。


 決断すべき時にさしかかっている。そういうこと、なんだろうか。


 ふと、中学時代にできた少ない友人の一人に「頑張ってね」と応援されたことを思い出す。彼女は元気だろうか。いまでもあの後輩の子と仲良くやっているだろうか。


 彼女とは互いに「頑張れ」とエールを送りあったのに、わたしは六年もあの時のまま踏み出せていない。

 今がそのエールに応える最後のチャンスじゃないか、そんな予感がした。


「あの、姉さん」


 少しズルくなったわたしは、素直に好きだよなんて言わない。だって不公平だ、いつだってわたしばかりが振り回されて、わたしばかりが好きみたいで、そんなのズルい。


 だからこれは仕返しだ。長い長い片思いの八つ当たりだ。姉さんが少しでも動揺してくれたら、わたしはそれできっと前に進めるだろう。大学で知り合った気の多い友人を見習って、すこしばかり意地悪に攻めるのも悪くない。


 わたしはにんまりと笑いながら、その質問をするのだ。きっと世界中のいろんな人がいろんな場面で繰り返してきたであろう、ひどく面倒で、厄介で、いやらしい質問を。


「姉さんは今、好きな人っているの?」


 姉さんの目が一瞬わたしを捉えてから慌ただしく泳いだのを、わたしはもちろん見逃してあげないのだった。




***あとがき***

以上で完結です。最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。


学生時代に書いたものはちょこちょこ発掘しては上げてるんですが、案外これが一番よく書けていたかな、なんて思ったりもしています。


明確に「百合」を題材にして初めて書いたお話でもあり、当時の自分の思う百合ものの空気みたいなものを詰め込んだ作品(男の子の話も、BLというより百合の文脈を用いて書いた気がします)で、最近百合ばっかり書いているsoldumにとっては原点みたいなものでもあります。


そんな嬉し恥ずかし思い出深い作品を、こうして表に出せたのは嬉しいですね。

よろしければ、他の作品も覗いて行ってもらえたらもっと嬉しいです。それではまたどこかで。

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いつか恋になって soldum @soldum

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