第二話 シルの不安と俺の大丈夫と美味しいご飯

 舟いっぱいに荷物を乗せた小さな舟がやってきて、大きな声で何事かを言う。これは、移動販売のようなものらしい。

 果物だとか、食べ物だとか。選ぶことも名前を伝えることもできない俺は、テイトーさんから便利な言葉を教わっていた。


お任せでカムンダン・ウィター


 俺の言葉に、その舟を操っていた女の人は手を挙げて大きく横に振って見せた。これは、承諾の意味らしい。

 それから、女の人は棒を取り出してこちらに差し出してくる。その先端にはやっぱり布が結び付けられてバッグのようになっている。最初はまだ空っぽだ。

 俺はそこに、何枚かのコインを入れる。

 女の人は布の中からコインを取り出して、俺の方を向いた。


ありがとうカムンダン・ハイフイしなさいラウム・ディエ・ウィター」


 そうして、大きな葉っぱを広げて、船の上に並んだ器の中からいくつかのものを取り分けて乗せてゆく。そんな包みを二つ用意して、木の細長い──多分水筒のようなもの──を二つ取り出して、それら全部を布の中に放り込んで、こちらに差し出してくる。

 俺がその中から包みを取り出すと、棒がするすると引っ込んでゆく。


ありがとうカムンダン・ハイフイ


 大きな声でお礼を言えば、また「カムンダン」と返ってきて、そうして舟は動き始めた。ぱしゃぱしゃぱしゃ、と櫂が水面を叩く。

 これが、この辺りでの買い物のやり方だった。




 ここまでなんとなく誤魔化していたけど、実はまだ少し気分が悪い。船旅にもだいぶ慣れてきたし、吐くほどでもない。けれど、なんとなく胸の辺りがもやもやと気分が悪くて、何か食べるのが億劫だった。

 ハイフイダズの家は、船が進んでいる間ほどではないけれど、それでも多少は揺れるし──何より海の上にいるということ自体が、なんとなく落ち着かない。

 だから、せっかくもらったクァラ・ダチェンも、買った食べ物も、食べられるだろうかと不安に思っていた。


 けれど実際に食べ始めてみたら、思ったよりも食べることができた。

 甘酸っぱい味付けが良かったのかもしれない。それと、木の水筒に入っていたお茶。苦味の強い味だったけれど、香ばしくて、飲み込むと胸につかえていた気持ち悪さがすっと溶け落ちたような気持ちになった。

 後で教えてもらったけれど、このお茶は、チャーガという名前らしい。


 クァラ・ダチェンは、何かを揚げたような見た目だった。一口大の、ごつごつとした茶色の塊。表面は揚げ油が滲んでいて、それと何かソースが絡んでいるみたいで、つやつやべたべたとしている。

 その見た目の油っぽさに、また気持ち悪くなったらどうしようかと少し怯んだけど、シルがその瞳に期待の色を浮かべてじっと俺を見ていたので、思い切って一つ摘み上げて口に入れた。

 甘酸っぱい。絡んだソースの酸味が、つん、と鼻を刺激してくる。心配していた油っぽさは、ソースの味に誤魔化されているのか、思ったほど気にならなかった。むしろ、酸っぱいにおいに反応して溢れた唾液に甘さと油が絡まって、美味しい。

 柔らかくてすぐに嚙み切れるけど、ぐにぐにと身が詰まっている。その淡白な中身に、甘酸っぱいソースが絡む。その食感に、不意にちくわを思い出して、そうか魚のすり身かと気付いた。

 俺が食べるのを見ていたシルも、我慢できないみたいに手を伸ばして、クァラ・ダチェンを一つ摘む。上を向いて開いた口に、まるで丸呑みでもするかのようにそれを放り込む。

 弾力があるからか丸呑みは諦めたみたいで、シルは顔を下げて大人しく咀嚼した。まだ口を動かしていて飲み込む前だというのに、手を伸ばして二つ目を掴んでいる。気に入ったらしい。


 それから、移動販売の舟から買った包みも開ける。

 薄くて平ったい丸い生地を半分に折って、その中に炒めた肉や野菜を挟んだもの。生地にはほとんど味がなかったけど、挟んである肉と野菜はやっぱり甘酸っぱい味付けになっていた。

 なんの味だろうか、すっとしたにおいが鼻に抜ける。それから、何かのほんの少しの辛味。

 何かの茎みたいな見た目の野菜が、しゃきしゃきとした歯応えで気持ち良い。肉は淡白で食べやすい。甘酸っぱいにおいと味で湧き上がる唾液を、薄い生地がさらっていって、素材の歯応えと味が混ざり合うのが美味しい。

 この生地は、プレチュ・ヌーアと呼ぶらしい。これも後で教えてもらった。

 二つ入っていたそれを、シルと一つずつ食べた。俺が食べるのを見て、シルが目を細める。


「ユーヤ、美味しい?」


 シルの突然の質問に、戸惑いつつも頷いた。


「美味しい。甘酸っぱくて、さっぱりしてて、食べやすいし」

「ユーヤ、食べてる。良かった」


 シルは嬉しそうに笑ってそう言うと、プレチュ・ヌーアの生地に噛み付いた。

 俺が船酔いで酷い状態の間、シルはずっと不安そうにしていた。食欲がなくて吐いてばかりだった時は、シルはぐったりしている俺を前に一人で食べていて──ずっと落ち着きがなかったのは感じていた。


「ありがとう。大丈夫だから」


 俺の言葉に、シルは口の中のものを飲み込んで、それからちょっと考えるように首を傾けた。


「ユーヤはいつも大丈夫って言うけど、でも、ずっと大変そうだった。今は食べてるから、良かった」


 シルの不安が怖くて、だからいつも「大丈夫」って言ってたけど、それはシルにとってはかえって不安になる言葉だったのかもしれない。

 それに、実を言えば自分では結構「大丈夫」のつもりだった。でもきっと、ちっともそうは見えてなかったってことだ。情けないけど。


「ありがとう。今は大丈夫」


 シルをどうやったら安心させられるのかわからなくて、結局俺は「大丈夫」と繰り返してしまう。それでもシルは笑って、頷いた。


「うん、良かった」


 船の上では──今も船の上ではあるんだけど──ろくに食べずにぐったりしていたから、どれだけ「大丈夫」なんて言っても安心できるはずがない。それでも、やっぱり俺は、「大丈夫」以外になんて言えば良いのかわからない。




 もう一つの包みは、デザートだった。食べたら甘いお菓子みたいだったので、多分デザートだ。

 淡い黄色の花びら。その花びらで、薄い緑色の塊を包んである。花びらごと持ち上げると、みっちりとしていて、そして柔らかい。団子のような触り心地に、クンタンを思い出した。

 試しに花びらを剥こうとしたけど、中身の緑色にくっついていて破れてしまうのでやめた。きっと、花びらごと食べるんだと思う。

 ころころと小さなそれが、大きな葉っぱの中で十個くらい並んでいる。包まれている大きな葉っぱの濃い緑色、その中に柔らかな黄色と緑色が並ぶ見た目は、花の咲く草原のようだ。シルが不思議そうに顔を近付けて、じっと見ている。


 口元に近付けると、ほんのりと甘いようなにおい──花のにおいだと思う。口に入れると、その花びらはほんの少しだけ塩っぱいけれど、それ以上の味はしなかった。

 思い切って噛むと、やっぱり団子のような感触。そして、中からどろりとした何かが飛び出してきて、少しびっくりする。

 どろりとしたものの甘さが舌に絡みつく。緑色の部分は少し苦味がある。弾力を噛み締めていると、甘さと少しの苦さが混ざり合って美味しい。花びらの、少しの塩っぱさも良いアクセントだった。


「甘い。甘くて、美味しい」


 俺の言葉に、シルは瞳孔を膨らませて、それを一つ摘み上げた。


「この緑色のはクンタンと同じだったよ。多分そのまま飲み込むと詰まるから気をつけて」

「わかった」


 口に一つ放り込んで、もぐもぐと咀嚼しているうちに、シルの顔がだんだんと笑顔になってくる。きらきらと瞳を輝かせて、飲み込むと、俺の方を見る。


「これ、美味しい。もっと食べたい!」

「食べて良いよ。また、見付けたら買って食べよう」


 シルは嬉しそうに目を細めて一つ摘み上げて、それから俺の方を見た。


「ユーヤも! ユーヤも、もっと食べて!」


 その視線に促されて俺も一つ。俺が手に取ったのを確認してから、シルは口に入れる。

 シルがもぐもぐと口を動かしながら、同じように咀嚼している俺を見て、嬉しそうな顔をする。それで、シルを安心させるのに必要なのは、言葉じゃなかったということに気付いた。


 この花びら団子の名前は、ホゥエン・カオ。「ホゥエン」は花という意味らしい。

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