第十一章 幸いの海

第一話 船旅の途中

 手漕ぎの舟でウリングモラの島を渡り、ウリングラスの森が途切れたところにある港で、ナングスの人と別れる。最後にありがとうムームー・スーを伝えることができた。

 そして、大きな船に乗り換える。この海岸線を行く船らしい。

 手漕ぎの小さな舟で進んでいる間も、何度か吐いた。ずっと揺れていたせいで陸地に上がってもなんだかふわふわと体が揺れている気分がしばらく続いた。

 そこから大きな船に乗ったら、船酔いがさらにひどくなってしまった。元気にしているシルを見ながら、自分は本当に乗り物に弱いんだなと思ったりする。学校行事で長時間バスに乗るような時には、酔い止めを飲んでいたっけ、と思い出す。今は酔い止めには頼れない。

 結局また何回か吐いた。風は湿気を多く含んで生暖かく、それでも船室で揺られて寝ているよりはマシだと甲板に出ていた。シルは冷たく透明になったラハル・クビーラを貸してくれて、その冷たさに少しだけ気分が晴れたりもした。

 そうやってしばらく過ごしているうちに、さすがに少し慣れてきた──と、思う。少なくとも吐くほどじゃなくなった。

 気付けばフルーツばかり食べていた。酸味のあるフルーツが気持ち良くて、ポルカリの酸っぱさを思い出す。ポルカリのメリ漬けは美味しかったと、懐かしく思い出す。

 船は海岸沿いにところどころある港に泊まって、そういう時は船から降りて揺れない地面で休んで。そんなふうに、ゆっくりとした船旅は続き、大きな半島をぐるりと回り込んで、その半島に隠れるような湾に辿り着いた。

 ここまで体感的には、フィウ・ド・チタからルキエーに行ったときよりも長いくらい。

 地図のバツ印──つまり次の目的地に対しては道半ば。

 ハイフイダズという名前の場所らしい。これが国の名前なのか、この半島の名前なのか、この湾の名前なのかはよくわからない。




 苔むした岩のような半島だ。でこぼことした岩肌に、貼り付くような緑色。岩肌は鋭く切り立っていて、そこに人が暮らしている気配はない。

 その代わりなのか、ハイフイダズの家は海の上にあった。半島に囲まれた湾の内側に、たくさんの船が並んでいる。平べったい形の船──どちらかと言えば、大きないかだみたいに見える──が多くて、その上で小さい子供たちが走り回っているし、なんなら家畜らしい小さな生き物──うさぎに似ていると思った──までいる。

 船の上には背の低い家もあって、洗濯物らしき布がひらひらとしていて、隣の船の人と大声で喋っている女の人たちもいて、どう見ても船の上が生活の場だった。

 船の人の説明だと、ここに三日ソーくらい留まるらしい。新しく覚えた言葉で意思疎通しているので自信はないけど、数に関しては何度も教えてもらって確認したからきっと大丈夫だ。それが、三日なのか三晩なのかは、自信がないけど。

 説明してくれた人──テイトーさんは、もともとハイフイダズの人で、教えてもらったムーイハソーというのもハイフイダズの言葉みたいだ。テイトーさんは、この三日の間に家族と会うらしい。




「ユーヤ、これは船?」


 大きな船から小さな舟に乗り換えて、ハイフイダズの平ったい船に降り立ったシルが、不思議そうに首を傾ける。銀色の髪が風に揺れて、森の飾りオール・アクィトが陽の光を輝かせた。


「船、だと思う。でも、ここが家みたい」


 平ったい船の上は、意外と安定感があった。ゆっくりとした海面の動きに合わせてふわふわと揺れはしているけど、上に立っている分にはほとんど気にならない。

 ただ、海面がすごく近い。このまま沈んでしまうんじゃないかと心配になるほどだ。

 隣の船では、船の上を跳び回る家畜を子供が追いかけている。その子供は家畜を一匹一匹捕まえては、船の上にある小屋の中に放り込んでいた。

 ここまで連れてきてくれたテイトーさんが隣の船に大きな声で呼びかけると、隣の船の家の中から女の人が出てきた。家畜を追いかけ回していた子供も好奇心を浮かべて、家畜を抱えたまま近付いてくる。

 船と船はだいぶ近くに並んではいるけど、それでも少しの距離があった。女の人とテイトーさんは、向こうの船の端とこちらの船の端で何かを話して──その内容は、俺にはほとんど聞き取れなかったけど、どうやら俺とシルがこの船の家を使うという話みたいだった。

 女の人は、自分の足元で家畜を抱えている子供に何事かを言うと、その子を残して家の中に戻っていった。

 その子の抱えていた家畜が腕の中でもがいて、それでその子はちょっと見下ろして腕を緩めた。腕から抜け出した家畜はぴょんと跳ねるように船の上を駆けてゆく。

 その子の視線は、家畜を追いかけることもなく、また俺とシルを見た。そして、大きな声を上げる。


「カムンダン・旅人ニャンロ・ドゥンヒ


 挨拶の言葉だった。俺も慌てて大声で挨拶を返す。


「カムンダン」


 テイトーさんが、俺の方を見て人差し指と中指と親指で何かを摘み上げるような動作をする。これは、ここまででも何度か見た。お金を出すという仕草らしい。俺は自分のバッグを開ける。ウワドゥさんから受け取ったコインを何枚か出して、テイトーさんに見せる。

 テイトーさんが立てた指を横にしたり、開いたり閉じたりしながら数を教えてくれる。実はこの仕草はよくわかってないので、とりあえずコインを追加で何枚か出す。頷いてもらえたので、多分大丈夫だ。


 さっきの女の人がまた戻ってきた。右手に長い棒を持っている。左手には何かの包み。

 長い棒の先には、布が結び付けられていて──女の人は、ちょうどバッグのようになっているその布の中に、左手に持った包みを入れた。そして、棒をこちらに向かってするすると差し出してきた。

 海をまたいで、その布がこちらの船に届く。テイトーさんはその布の中から包みを取り出して、それから俺の方を見る。


しなさいラウム・ディエ出すティンドゥア


 どうやら、この船で寝泊まりするための代金をここに入れるらしい。「しなさいラウム・ディエ」の意味は推測でしかないんだけど、命令というか──相手に行動を促すような意味合いだと思っている。ここまで、大抵そうだった。

 俺が取り出していたコインをその布の中に入れると、またするすると棒が引っ込んでゆく。そして女の人は、布の中のコインを確認した後、俺の方を見て大声を出した。


「カムンダン・ハイフイ・旅人ニャンロ・ドゥンヒ

「カムンダン」


 俺の返事に笑顔を残して、女の人は戻っていった。子供の方はじっと俺とシルを見ていたけれど、女の人に何かを呼びかけられて、また家畜を追いかけ始めた。

 テイトーさんが、女の人から受け取った包みを俺に渡す。包んでいるものは葉っぱだった。つやつやとして、少し硬くてしなやかな大きな葉っぱ。端っこが爪楊枝みたいなもので止められている。

 そして、甘酸っぱいにおいに気付いて、口の中に唾が溢れてくる。


「クァラ・ダチェン」


 テイトーさんの言葉の意味がわからなくて、俺はただそれを繰り返す。


「クァラ・ダチェン」


 テイトーさんはちょっと困ったように笑う。


しなさいラウム・ディエ食べるアウン・ティ・クァラ・ダチェン」


 テイトーさんは「クァラ・ダチェン」を食べなさいラウム・ディエ・アウンと言っているから、「クァラ・ダチェン」というのは食べ物だ。そして多分、この包みの中身──甘酸っぱいにおいの──が、その「クァラ・ダチェン」ということなんだろう。

 意味がわかって、俺はほっと笑う。


ありがとうカムンダン・ハイフイ


 俺のお礼に、テイトーさんは「カムンダン」と返してくれた。

 この「カムンダン」という言葉はとても便利な言葉らしい。挨拶にも使われるし、こうしてお礼の言葉にもなる。日本語で言うなら「どうも」とかになるんだろうか。


 シルは俺が持っている包みの中が気になるらしく、顔を近付けて、においをかぐ。さらりと流れ落ちた長い髪の毛が、俺の腕をくすぐった。

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