第二話 雨宿りのおやつ

 大雨ダングラがやむまでの間、見知らぬ人の家の中で見知らぬ人たちと過ごす。

 湿度が高い中に人が集まっているので、じっとりと暑い。ばたばたと雨が叩く音は激しいけれど、なんだかその音が水の音だと思うと涼しく感じられるような気がしてきた。

 木の枝で編んだ家は、どういう作りなのかはわからないけど、雨漏りするようなことはなかった。強い風に揺れることがあって、それは割と怖いけど、周りの反応を見る限りはきっと大丈夫なんだと思う。


 雨宿り中に、ダキオさんが荷物の中から乾燥させたロヌムを取り出して、俺とシルにくれた。それから、同じ家にいるウリングラスの人たちにも。

 そうしたら、ウリングラスの人たちは果物をくれた。ダキオさんとウワドゥさん、それから俺とシルにも。

 俺も何かを渡した方が良いんだろうか。でも、何かあげられるようなものがあっただろうか。思わずそれらを受け取ってしまってから、自分の持ち物を思い返したけれど、食べ物も飲み物もダキオさんやウワドゥさんと同じものしか持っていない。

 それからお礼すら言ってなかったことに気付いて、慌てた。


ありがとうハリストゥ、あ、えっと……ありがとうクランジラン


 咄嗟に出てきたのがオージャ語で、タザーヘル・ガニュンの言葉で言い直す。タザーヘル・ガニュンの言葉は、まだなかなか咄嗟に出てこない。ウリングラスの言葉はわからない。

 それでも、ウリングラスの人たちも笑ってくれたので、きっと伝わったんだと思う。


 ロヌムのドライフルーツは、ここに来るまでの間にも時々食べた。白い果肉は、乾燥すると皮の色をぼんやりとさせたような薄い茶色になる。噛みちぎると、ざらりと舌に当たって、その中に黒い種の食感がつぶつぶと感じられる。

 でも、そのざらざらとした感触に、俺の舌は甘さを期待するようになってしまった。元は控えめだった甘さが、凝縮されてぎゅっと甘くなっている気がする。


 ウリングラスの人たちにもらった果物は、細長くて──太いキュウリとかズッキーニみたいな形で、表面はごつごつしている。濃い緑──どちらかと言えば黒っぽいそれをどうやって食べて良いのかがわからず、周りを見る。

 ウワドゥさんが俺の困惑に気付いたのか、俺の方を向いて食べて見せてくれた。

 その果物の端っこを口に咥えて、噛みちぎった。その皮を吐き出した後に、指先で潰して端から絞り出すようにすると、中から小さな丸い粒がぽろぽろと出て来る。鮮やかな赤い色の粒は、小さく丸く磨かれた宝石みたいに見える。

 自分の手のひらに出したその宝石みたいな粒々を、ウワドゥさんは口に入れた。どうやらそれが果肉らしい。


 俺も真似をして果物の端っこを咥えて、歯を立てた。ごつごつした見た目からもっと硬いかと思っていたけど、意外と柔らかく、俺の歯は皮に沈んでいった。ぶつぶつとした皮の感触が舌に当たる。

 苦い中にほんのりと、酸っぱいにおいが鼻に抜けた。それから、渋みというかえぐみを感じて舌がざわっとした。

 思わず顔をしかめて噛みちぎった皮を吐き出す。この果物は、美味しいものなんだろうかと、少し不安になった。

 指先で潰すように押して中身の真っ赤な粒を取り出して、それを恐る恐る口に入れる。

 口に入れただけだと、特に味はしなかった。舌の上でその小さな粒々を潰すと、途端に爽やかなにおいが広がった。そして、甘酸っぱい。

 湿度が高くて蒸し暑い中で、この爽やかさは気持ち良い。


 俺が食べる様子をじっと見ていたシルが、手に持っていた果実を口に含む。思い切りよく噛むのを見たその瞬間、はっと思い付いたことがあって、慌ててシルに声をかける。


「シル、皮は食べないよ、吐き出して」


 俺の制止は間に合わず、噛みちぎった皮をそのまま飲み込んだシルは、不思議そうな顔をして俺を見た。


「違うの?」

「噛みちぎったところから中身を取り出して、その中だけ食べるみたい……苦くなかった?」

「そういう味かと思った。面白い味だなって。こういう味の飲み物、あったよね」


 確かに苦いとか渋いとかを楽しむ食べ物や飲み物はある。ルキエーで飲んだアッカだって苦かった。ポルカリのメリ漬けだって皮ごとだったから少しの苦味はあった。食べるか食べないかの基準は考え出すと難しそうだ。

 それでもシルは、皮を食べるのはやめたみたいだった。無事に手のひらに中身の果肉を出して、その粒々が綺麗な色をしていることに喜んで、しばらく食べずにそれを眺めていた。


「ユーヤ、これきらきらしてて綺麗。花の飾りについてる石に似てる。本当にこれを食べるの?」


 シルの髪に結んでいる森の飾りオール・アクィトを見て、確かにと思う。蔦のように編まれた糸を飾る小さな石は、シルの手のひらに乗った果肉のようにきらきらと輝いている。


「確かに似てるね、綺麗だし。でも、美味しかったよ。甘酸っぱくて」


 俺の言葉に、シルは手のひらの赤い粒を少しだけ口に入れた。少し首を傾けて、ちょっと眉を寄せる。


「なんだか、よくわからなかった。さっきの方が味があった」

「口の中で潰さないと、味がしないかも」

「そっか。すぐに飲み込んじゃった」


 そう言ってシルは、もう一度、いくつかの粒を口に含んだ。今度は慎重に。

 口に入れてからすぐに、シルの瞳孔がふわっと膨れた。今度は無事、味がわかったらしい。シルは残りの粒々も全部口に入れて、嬉しそうに目を細めた。


 この果物は、トホグ・アスという名前らしい。

 これは後で知ったことだけど、「トホグ」というのは卵のことだ。「アス」は木の意味。つまり、木の卵トホグ・アスというのがその名前の意味だ。

 宝石みたいだと思ったけど、そう言われて見てみると、確かに魚の卵のようにも見える。いくらとか。




 激しかった雨音がだんだんと穏やかになっていって、ぽたぽたとした小さな雫の音が聞こえるようになった頃、みんなで家を出る。

 家を出る前、みんなそれぞれにトホグ・アスやドライフルーツのロヌムなんかを家の中に置いていった。本当の理由はわからないけど、なんとなくお供え物の雰囲気があって、きっと雨宿りのお礼なんだろうなと思った。




 外に出たら、海面と森が夕焼けの色になっていた。

 ウワドゥさんさんが、何かを言いながら夕焼けが濃い方を指差して、歩き始める。振り向いて「来るダイ」と言われたので、シルと手を繋いで後を追った。

 デコボコとした根っこの上に渡された木の板は、ぐらぐらしないし意外としっかりとした踏み心地だ。歩くと、足音が響く。木々の葉っぱから落ちる水滴が、板に落ちるとぱたりぱたりと音がして、それも賑やかだ。そして、やっぱりあちこちから、あの風鈴みたいな音も聞こえて来る。

 森の木々が、やがてまばらになる。海面から張り出した木の根っこも減ってゆく。

 そして、森が途切れた。


 海面の上、広い範囲に木の板が敷かれている。そこに何艘かの手漕ぎの小さな舟が、ひっくり返されて並んでいる。

 何艘かの小舟が進んでゆく。その進む先に島影があった。そして、その向こうに日が沈んでゆく。

 水平線は夕焼けの色。足元は水の色。空は夜へのグラデーション。

 波の音の中に、人の足音や、風鈴のような音、木の葉から落ちて板を叩く雫の音が聞こえる。それから、この国の人たちが話す声。その言葉の意味は全然わからなかったけど、この大きな夕焼けにぴったりだと思った。


 ウワドゥさんが、目を細めて夕日が沈む海を眺めている。

 俺とシルも、そのまましばらく、日が沈んで夜が来るのをただ眺めていた。

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