第九章 森に住む人
第一話 海と森の音
ウリングラス・ナングス──あるいは単にウリングラス──あるいはもしかしたら、単にナングスというのが、この辺りの地域の名前らしい。
緑濃く生い茂る、じっとりと湿った空気の森。その森は、海岸線を越えて、海にまで広がっていた。
複雑な形の根っこが海面の下を這い回り、そこから海面を超えて太い幹が力強く立ち上がっている。幹は大きく枝を伸ばし、葉を茂らせている。
根っこの上に木の板を渡して道が作られていて、この国の人たちはそこを行き来していた。
そんな、海上の森の中で、風鈴のような音が時々聞こえてくる。
「ユーヤ、これ、なんの音?」
シルにそう聞かれたけど、その音がなんなのか、俺もしばらくわからなかった。
何か──それこそ、風鈴のような風習があるのだろうかと、海に張り出した木の根っこの上を歩きながら頭上を眺めたりしていたけれど、その音の正体は、葉っぱだった。
普通の緑色──少なくとも俺が知っている葉っぱの色としては──の中に、ところどころ、深い海の色のような濃い青色の葉っぱが重そうにぶら下がっている。その青い色は他の葉っぱに比べて厚みがあって、そしてガラスのように透き通って木漏れ日をきらきらとばらまいている。
その葉っぱが揺れる度に、どうしてなのかわからないけど、風鈴のような音が出ているのだった。
それとは別に、陽気な太鼓のような音や歌が聞こえてくることもある。これは、この森の中のどこかで、誰かが演奏しているものらしい。
「この葉っぱ、石みたい。きらきらしてて綺麗。あ、あそこにもあった」
シルが頭上の音を見上げて、指を差す。シルは目が良い。木々の緑色のグラデーションの中から、少し変わった青い色をすぐに見付け出す。
湿気の多い潮風が吹き抜けると、高く澄んだその音がそこかしこから聞こえる。波の音が絶え間なく聞こえることすら蒸し暑く感じる中で、その音はやけに涼しげに響いていた。
ウリングラスの森を見て、雰囲気が全然違うルキエーの
ルキエーの
森のその奥には入らない──少なくとも、俺やシルみたいな外から来た人にはその奥を見せない。
ウリングラスの人たちは森の中で暮らしている。
森の木々のすぐ脇に立って、よじ登ったり、駆けたり、飛び移ったり──森の中に入り込んでいる。家だって樹上にあるくらいだ。
海の日射しは明るく賑やかで、けれど不意に表情を変えた。
強い風が通り抜けてたくさんの風鈴のような音が鳴り響いたかと思うと、辺りにいた人たちが空を見上げたり海を眺めたりして、「ダングラ」「デリクケ」と言い合う。それからするすると木に登って家に入り込んだ。
俺とシルも引っ張られて近くの木に登る。木には縄梯子がかけられていて、それを登ってかまくらのような形の家に入り込む。
家の中は意外と広い。俺とシル、タザーヘル・ガニュンから一緒だった人が二人、それからウリングラスの人が三人いる。みんなで寝転ぶには狭いだろうけど、丸く座るくらいには余裕があった。ただ、天井はそれほど高くないから、立ち上がると頭をぶつけそうだ。
壁も天井も木の枝を編んで作られているみたいだった。俺たちが中に入ると、先にいたウリングラスの人が入り口から頭を出して外を眺めて、それから入り口を板や布で塞いでしまう。
少しして、ばらばらばらっと激しい音が始まって、そしてそれが雨なのだと気付いた。大粒の雨が木の葉や、この天井や、海面を叩き付ける音だ。
周りの人は落ち着いているので、ここではこういった激しい雨が当たり前なのかもしれない。
シルは音の激しさが気になっているのか、俺の服を握って、そわそわと周囲を見回していた。その視線は、不安よりも好奇心の方が勝っているようで、その壁の向こうの雨の景色を見たがっているみたいだった。
タザーヘル・ガニュンから一緒にいた人のほとんどは、森に入る前にエーラーナーと一緒にまた砂漠に戻っていった。二人だけ、海の方まで行くという人がいて、今一緒にいるのはその人たちだ。
ダキオさんとウワドゥさん。
二人は、タザーヘル・ガニュンとウリングラス・ナングスをよく行き来しているらしい。この森にも慣れている様子だった。
正直、ここまで一緒に来ることができて、とても助かっている。
ウリングラスでは、オージャ語もルキエー語も通じない。タザーヘル・ガニュンの言葉であれば少しは通じるらしいけど、ずっとオージャ語に頼りきりでタザーヘル・ガニュンの言葉はまだあまり話せない。
ダキオさんとウワドゥさんの二人がいなかったらもっと大変だっただろうと思う。
今だって、ウリングラスの人に何かを言われたけれど、何を言われているのかさっぱりわからない。
わけもわからずにいる俺たちを気遣って、ダキオさんとウワドゥさんがオージャ語で話してくれる。
「オージャ、
俺の拙い言葉の意図──ウリングラスの言葉を知りたいのだと、通じたのだろうか。ウワドゥさんが「アー」と呟いた後に、教えてくれた。
「ダングラ」
「ダングラ、
「
「
最初に言われた「ダングラ」が雨のことかと思ったけれど、
そこから何度も聞き返して、やりとりをして、どうやら
つまりそれは、雨の種類──激しさとか降り方とか──に名前があるってことだ。そして、大雨、豪雨、暴風雨なんて日本語を思い出す。
「ああ……
俺が繰り返すと、ウワドゥさんが笑って「ネメ」と言った。ネメはタザーヘル・ガニュンの言葉で肯定の意味。
どうやらまた、新しい言葉を覚えることになりそうだな、と思いながらその
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