第六話 雪の歌
あの部屋から持ち出した地図。そこに書かれたバツ印。あれは、やっぱり何かしらドラゴンに関係してそうだと考えた。
最初のバツ印は、シルがいた場所。次は
この地図に印を付けた人は、ドラゴンについての何かを調べていたんだろうか。だからシルはあそこに閉じ込められていたのだろうか。
考えてもわからないけど、地図を辿れば、何かが見付かるのかもしれない。今回みたいに。
宿屋の部屋で地図を広げて、シルと二人で覗き込む。砂漠の真ん中のバツ印を指差す。
「ここが、今いるところ」
そこから、内海とは反対側に指を滑らせる。海岸線のでこぼこを辿って、大きく引っ込んで湾になったところ。その湾の中に、バツ印があった。
「次は、ここに行こうと思ってる」
シルは、俺の指先をしばらく見て、それから頷いた。
「わかった。この場所に行くんだね」
その後も、シルはしばらく地図を見ていた。まるで、初めて地図を見るような表情で。
砂漠を越える人たちに同行させてもらう。また、エーラーナーに乗って旅をする。
相変わらず、シルはエーラーナーに怯えられるし、俺はやたらとエーラーナーにくっつかれる。エーラーナー酔いも相変わらずだった。
アズムル・クビーラを出ると、また暑い昼間に休んで涼しい夜に移動することになった。再びの昼夜逆転にも、やっぱりすぐには慣れることができない。
揺れるエーラーナーの上で、気持ちの悪さを誤魔化しながら座っている。後ろに座っているシルが「大丈夫だよ」と言うので、遠慮がちに体重を預ける。
「ユーヤ、冷たいのって気持ち良い?」
シルに寄りかかっているせいで、シルの声が体に響くように聞こえる。
「そうだね。今は、ひんやりしたものが気持ち良いかな。涼しい風とか」
俺がそう応えると、シルは軽く身をよじって、それから俺の体に腕を回してきた。俺は後ろから、シルに抱き締められるような形になる。
「これ、冷たくなったから、ユーヤが持ってて」
シルの手が、俺の体の前に回っている。その手には、ラハル・クビーラが握られていた。アズムル・クビーラで買ったものと同じ形の──でも、あれは曇っていたはず。そこにあるのは、透明なラハル・クビーラだった。
「冷たくなった?」
シルの言葉の意味がわからなくてぼんやりしていたら、シルは焦れたようにラハル・クビーラを俺の胸元に押し付ける。服越しにも、その冷たさがわかった。
俺は慌ててシルの手からそれを受け取って──あまりの冷たさに投げ出しそうになって、また慌てて服の裾で包むようにして──ラハル・クビーラを握った。ひんやりと冷たい。
「ずっと持ってたら、冷たくなったよ」
シルは自由になった手を引っ込めることはせずに、そのまま俺の体を支えてくれた。俺は、ぼんやりと、ラハル・クビーラを見ていた。
他の人のラハル・クビーラは、早ければ翌日に、長くても二日ほどで曇って冷たくなくなっていた。それがまた冷たくなるという話は聞かなかったし、どの人のものも、白く曇ったままだった。
シルが持っているものだけが、また冷たさを取り戻して透明になっている。
「シルが、ドラゴンだから、なのかな」
「そうなの?」
「わからないけど」
ドラゴンが持っている何かの力なんだろうか。その力は、本体のドラゴンが死んで
ハンカチを出してラハル・クビーラをくるんで、首に巻いた砂よけの布の中に入れると、ひんやりと体が冷える。胸元につかえていた気持ちの悪さが少し薄らいで、久しぶりに深い呼吸をしたような気分になる。
「ユーヤ、やっぱり具合悪そう。寝ても良いよ。落ちないように捕まえてるから」
「うん、ありがとう」
眠るつもりはなかったのだけど、視界が揺れると気持ち悪いのは確かで、だから目を閉じた。
「ごめん」
「どうして?」
自分が情けなくなって、口をついて出た言葉に、シルが不思議そうな声を返してくる。それが余計に情けなくて、小さく「なんでもない」と言った。シルもそれ以上何も言わなかった。
「空の雫は花と咲く」
シルが、ラハル・クビーラのようにひんやりとした声で歌い出す。
「白く冷たい花になる」
砂漠の夜の冷えた空気、ラハル・クビーラの冷たさ。シルのひんやりとした声が心地良い。
「咲けよ、咲けよ、空の花よ。白く、白く、全てを隠せ」
ドラゴンがいないかもしれないという気持ちも、このまま見付からなくても良いという気持ちも、どちらも俺の中にはある。
でも、ドラゴンが見付かると良いとも思っている。シルがほかのドラゴンに会えたら良いとも思っている。それは、嘘じゃない。
「シル、俺はシルと一緒にドラゴンを探すよ」
シルの歌がぴたりと止まって、そのまま黙ってしまった。俺は構わずに言葉を続ける。
「それだけじゃなくて、ドラゴンを探しながら、美味しいものを食べたり、面白いものを見たり、楽しいことをしたい。一緒に」
「一緒に?」
「うん、俺と一緒に、旅をしてほしい。ドラゴンが見付かるまでで良いから。ここまで、シルと一緒で楽しかった。だから……一緒にいたいんだ」
口にしたら、あれこれ悩んでいたのが馬鹿らしくなるくらい、あっけなかった。ふっと体の力が抜けたのが、自分でもわかった。
「わたしもね、ユーヤがきて、助けてくれて、それで美味しいものをいっぱい食べたし、綺麗なものもいっぱいあったし、初めてのことがいっぱいだった。ユーヤと一緒ですごく楽しいし、ユーヤと一緒が良い」
力の抜けた体で、シルに支えられながら、俺はシルの言葉を素直に受け止めた。俺もシルも何か間違っているのかもしれないけど、少なくとも今は、それで良いんだって思うことができた。
「うん、一緒に……ドラゴンも探そう。見付かるかは正直わからないけど、でも、探すから。約束する」
シルはまた黙り込んでしまった。シルに背中を預けているし、目を閉じてもいるから、シルが今どんな表情をしているかはわからない。
でも、不思議と気にならなかった。これは、俺がそうしたいと思ったからやることだから、それで良いんだって思ってる。
エーラーナーのひょこひょことした足取りに合わせて、体ががたんがたんと揺れる。俺の体はシルに抱きとめられていて、そのシルの体も同じように揺れている。
ぽつりと、シルの言葉が、
「そっか……ありがと。ユーヤが一緒にいてくれて、良かった」
深い夜の冷えた空気と首筋に当てたままのラハル・クビーラで、さすがに体が冷えてきてしまった。砂漠を旅する人は、夜の間は体を冷やさないようにする。凍死することだってあるらしい。
ラハル・クビーラを砂よけの布から取り出して「ありがとう、もう大丈夫だから」と、一度シルに返す。シルはそれを受け取って、またポシェットの中にしまったみたいだった。
それから、肩掛けのバッグから大きな布──これはタザーヘル・ガニュンで買ったものだ──を取り出して、シルに渡して二人でそれにくるまった。
ラハル・クビーラの冷たさがなくても、背中にはぴったりとシルがいて、気分の悪さは落ち着いていた。
それからシルは、また歌い始めた。
「静かで白い夜がくるよ」
シルの声は、静かに雪が降り積もるようで、俺はそのまま眠ってしまった。
『第八章 ドラゴンの骨』終わり
『第九章 森に住む人』へ続く
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