第四話 揚げたてのファッフェ

 俺がぼんやりしている間に、お姉さんは掴んでいたトカゲタフル・クビーラさばき始めた。


 クビーラがドラゴンラーゴなのだとしたら、あれが、ドラゴン?




 ぽかんとしている俺の袖を、シルが引っ張る。俺はそれで、はっと振り返る。


「ユーヤ、あのね、あっちの甘いにおい」


 シルがはしゃいだ声で道の先を指差す。その先にあるのは──どうやら、飲み物みたいだった。口の中も喉もまだ痛い気がするけど、甘い飲み物なら大丈夫かもしれない。

 俺はまた、シルに手を引かれて歩き出す。


 今日のシルは、とても楽しそうだ。




 ジュースを売っているみたいだった。果物を絞って、そのまま。あるいは、何か──多分お茶のようなもの──と混ぜて飲むらしい。果汁の甘酸っぱいにおいに刺激されて、まだひりひりとしている口の中によだれが溢れてくる。

 ロヌムを絞ったものは、半透明の白い色の中に種のツブツブが浮かんでいる。

 それから、鮮やかな赤い色の飲み物。ジェロという果物を使っているらしい。


 最初にロヌムを食べた時は控えめな甘さだと思ったけれど、こうやってジュースを飲むととても甘く感じる。ツブツブとした感触と酸っぱさをアクセントに、ふわふわした甘さが口の中に広がる。

 ジュースは冷たくはないけれど、とろりと優しくて、ひりひりとする喉に心地良い。


 シルはジェロのジュースを飲んで、ポルカリを食べた時みたいに、目をぎゅっと閉じた。それから、また一口飲んで、ぎゅっと目をつむる。酸っぱいんだろうか。


「酸っぱいの? 少し飲んで良い?」


 俺が聞くと、シルは自分の器を差し出した。


「そっちも飲みたい」


 それで、二人で器──木を削ったものだろうか?──を交換して、お互いの飲み物を飲む。

 ジェロのジュースは、とても酸っぱかった。ポルカリとどっちが酸っぱいだろう。においだけでも舌がぎゅっと縮こまって、よだれが溢れてくるくらいだ。口に含めば、酸っぱい中にほのかな甘みも感じる。

 ポルカリの時も思ったけれど、俺は酸っぱいものが割と好きなのかもしれない。


「これ、昼間食べたよね。美味しい。これ好き」


 シルはすっかり、ロヌムを気に入ったみたいだった。そうやってまた、お互いの器を交換して、酸っぱい、甘い、美味しいと笑い合った。




 次にシルが足を止めたのは、揚げ物のにおいだった。

 隣では、またルハル・ナーが焼かれて売られている。ルハル・ナーは人気の料理なんだろうか。煙が目に沁みて痛い。

 ルハル・ナーの辛い煙に紛れて、確かに油のにおいがしていた。


 ファッフェというらしい。食材はいくつかあったけれど、どれも「ファッフェ」と呼ばれていたので、単に揚げ物のことをファッフェと呼ぶのかもしれない。

 ファッフェ、というのはとても発音しにくいのだけど、そうとしか聞こえないのだから仕方ない。

 何かホーブ・ファヤを潰して丸めて揚げたもの、それから、ハマルに衣を付けて揚げたものを買って食べた。

 衣を噛むと、まずはさっくりとして、次にはふんわりとした口当たり。中身まで熱々の揚げたてで、熱を逃がそうと口を開けて舌の上で転がしてしまう。

 シルも俺と同じようにはふはふと口を開けたり閉めたりして、しばらくそうやっていたかと思うと、顎を持ち上げて飲み込んだ。


 何かを潰して揚げたものホーブ・ファヤ・ファッフェは、ほくほくとした食感で、じんわりと甘みがある。ほんのりとスパイスが効いていて、それが美味しい。

 魚の方ハマル・ファッフェはふっくらとして、噛むと口の中で柔らかな身がほろほろとほどける。こちらもスパイスのにおいがした。

 辛いスパイスも、ルハル・ナーほどでなければ美味しく食べることができる。後は、ルハル・ナーの目に沁みる煙がなければ、もっと美味しく味わえたと思うけれど。




 その店先には背の高いテーブルが並んでいて、椅子はなかった。みんなテーブルに皿を置いて立ち食いしている。

 そのテーブルの一つに揚げ物ファッフェの皿を置いて、シルと二人で、指先を油でべとべとにして食べる。夜が深まって空気が冷たくなってきたせいで、熱々の揚げ物が美味しい。

 近くの店で、ビーダ・ルサータムという料理も買った。

 野菜が辛いスープで煮てあって、そこに卵が入っている。その具を薄くて平ったいパンに乗せたり挟んだり、あとはスープを付けたりして食べる。「ホブザ」というのが、パンの名前だ。

 スープは少し辛味が強かったけど、卵の味がマイルドにしてくれて、野菜の甘さもあって、食べられる辛さだった。パンの甘さもきちんと感じることができる。美味しさを味わえて、ほっとする。

 シルはちぎったパンホブザを皿に突っ込んでは、スープをたっぷり付けていた。パンホブザを口に放り込んで、指先に付いたスープも舐め取って、幸せそうに目を細める。


 テーブルの上には、石でできたコップのような形の入れ物があって、その中で火が揺れている。その器は、白と茶色のマーブル模様の石で作られている。その白い部分は不思議なことに、中の光を透かして火の動きを伝えている。ゆらゆらと、まるで石自体が炎のようだ。

 シルがふと、食べる手を止めて、不思議そうにその揺れ動く光を見詰める。

 シルの髪に飾った森の飾りオール・アクィトが、夜の暗さの中で、揺れ動く火を反射する。貝殻真珠ボックニィズ・ミジャアは特に、小さいけれど強く輝く。


「ユーヤ、これ、綺麗」


 揺れ動く火の色で、シルの髪も肌も、ほんのりと赤く染まって見える。なんて相槌を打てば良いのかわからなくなって、俺はただバカみたいに頷いた。


「うん……綺麗だね」


 シルは火の色を映してきらきらした瞳で、俺を見た。


「これ欲しいな。これって、買える?」

「わからないけど、食べ終わったら探してみようか」


 俺の言葉に、シルは嬉しそうに頷いた。


「うん、約束だね」


 何気なく投げかけられた約束に、俺は咄嗟に言葉を返せなかった。黙ってしまってから、シルの視線にはっとして、慌てて頷く。

 シルは機嫌良くもう一度頷いて、残っていた揚げ物ファッフェを一つ摘んだ。

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