第二話 約束とロヌム

 二人で目を覚ましたのは昼近くだと思う。部屋に窓がないから、時間がよくわからない。

 夜中に目を覚ました時はうっすらと寒かった気がするけど、起きたら薄着でも大丈夫かと思う程度の暖かさだった。それで、きっと昼間なんだろうな、と思う。

 シルと二人で出かけようかと思ったら、宿の人に止められた。俺はカタコトで食事ケンマに行きたいと言った。それに応じた宿の人もカタコトだった。

 お互いにカタコトのオージャ語でなんとか意思疎通をして、どうやら昼間はみんな外を出歩かない、ということがわかった。暑すぎるらしい。


 この辺りの人は、朝方近くに眠る。昼間に起きても水分を摂るくらいしかしない。活動時間は、日中の一番暑い時間が過ぎて陽が傾く夕方から。

 当然、店が開くのも夕方以降。つまり、昼間に外に出ても暑いだけで何もできない。


 聞いたばかりのそんな事情を説明したら、シルは唇を尖らせた。

 眠りに落ちる前に「約束」だなんて言ってしまったことを思い出して、シルに謝った。


「ごめん。知らなかったから。店が開く時間になったら、今度こそ食べに行くから」

「うん、わかったよ、大丈夫」


 シルはそう言ったけれど、少し俯いてしまった。


 宿の人が、気の毒そうな顔をした後に食べ物を持ってきてくれた。

 ロヌムという果物らしい。外側の皮はゴツゴツと硬そうで、鮮やかなオレンジ色をしている。お金を払うと、宿の人がナイフで櫛切りにして渡してくれた。

 厚い皮の内側は白い断面。その白い中に黒いツブツブ──多分、種──が見える。宿の人は、外側の厚い皮を指差して「食べないリフ・ケンマ」と教えてくれた。

 切られた断片を受け取って、「ありがとうハリストゥ」とお礼を言えば、笑って肩をすくめるような格好をした。


 シルが不思議そうに手の中のロヌムを見ているので、俺は先に食べ始める。皮を持つと見た目の通りに硬い。そのまま白い断面に歯を立てる。

 柔らかそうな断面は、ぎゅっと詰まった滑らかな歯ごたえだった。噛んで溢れてくる果汁の甘さは控えめだったけど、さっぱりとした酸味があって、日射しの暑い時に食べたら気持ちが良いだろうなと思う。

 種のツブツブ感は、舌の上で良いアクセントになった。


 そうやって一口食べてからシルを見て頷くと、シルも小さく頷いて、同じように食べ始めた。

 シルの唇から歯が覗いて、ロヌムの白い部分を齧り取る。果汁で濡れた唇を舌で舐めて、顎を上げる。晒された白い喉が動いて、柔らかな果肉がその内側を落ちてゆくのがわかった。

 シルは顎を下ろして、もう一度、唇を舐めた。開いた瞳孔で俺の方を見て、それから嬉しそうに目を細めた。


「美味しい」

「良かった。外側の皮……硬いところは食べないみたいだよ」


 俺の言葉に、シルは手の中の果実を一回ひっくり返してから、俺を見て頷いた。そしてまた、白い果肉に噛み付く。

 櫛切りにされたロヌムを一つ分、みんな食べ終えてしまうと、宿の人はもう一つロヌムを切ってくれた。


ありがとうハリストゥ


 改めてお礼を伝えて、シルと分け合って食べる。宿の人はもう一つロヌムを切って、そっちは自分で食べ始めた。




「ユーヤ、これは約束?」


 シルが、ふとロヌムから顔を上げて、俺にそう言った。そして、果汁で濡れた唇を舌で舐めて、言葉を続ける。


「一緒に美味しいものを食べるのが約束でしょ?」

「うん、でも……」


 何か言おうとして、でもそれ以上何も言えなかった。確かに今、シルと一緒に美味しいものを食べてしまった。

 でも、俺が考えていたのとは違う。二人で街を見て回って、良いにおいを頼りに美味しいものを探して、二人で見付けたものを食べようと、そういうことだったような気がする。


「シルは、これが約束でも良い?」


 聞いてから、失敗したと思った。シルは「約束」の意味だってわかっていなかった。それなのにシルに決めさせるのは、きっと──ズルいことなんじゃないかと、思った。

 シルは案の定、困ったように眉を寄せた。


「わからない。ユーヤが、これが約束だって言うなら、それでも良いよ」

「俺はシルが……」


 言いかけて、またためらう。シルは、ロヌムを食べて美味しいと言った。それで満足したなら、それでも良いのかもしれない。でも、俺はそんなつもりじゃなかった。


 言葉を止めてしまった俺に、シルは首を傾けた。不思議そうに瞬きをする。アイスブルーの瞳を縁取る白い睫毛が揺れる。


「俺は……」


 シルから視線をそらして、自分の手元を見る。食べ終わった後に残ったロヌムの硬い皮を手の中で持て余して、結局どうして良いのかわからなくなって、またシルを見た。


「俺は、そういうつもりじゃなくて。昨日歩いた時には、美味しそうなにおいもしてたし、それで外で何か美味しいものを探そうって思っていて。だから……一緒に何か探しに行くのが約束のつもりだったよ」


 ちっともうまく話せなかった。こんなことが言いたかったことだろうか。もどかしい。

 ここまで、知らない言葉を使って、少ない語彙で、もどかしい気持ちになったことはたくさんあった。でも、日本語を使ったから全部伝えられる、なんてこともなかった。


「今は外にいけないんだよね?」

「うん、だから、もっと後……夜になっちゃうけど」

「じゃあ、後で行く」


 シルは小さく頷いて、それから嬉しそうに目を細めて言葉を続ける。


「約束だよね。楽しみ」


 俺はシルに笑って頷いてみせたけど、「約束」なんて軽々しく言ってしまったことを後悔していた。シルは「約束」がどういうものだと思っただろうか。




 外に出たのは日が沈む少し前。太陽は傾いているとはいえ、地面からはまだゆらゆらとした熱気が立ち昇っていた。

 土の塊のような家はどれも入り口が閉ざされていて、人の気配もなくしんと静まり返っている。

 乾燥した熱風が人気ひとけのない道を通り過ぎる。


 一軒の家のドアが開いて、ドアの前にテーブルと椅子を並べ始めた。テーブルの上に石の器を置いて、その中に火を灯す。

 石の器は透明でもないのに、中の火の動きに合わせて光を透かし、周囲を明るく照らしていた。

 そうして、次々に家のドアが開いて、通りに人の姿と揺れる灯りとざわめきが増える。


 風向きが変わって、冷たい空気を含んだ風が、地面の熱を拭い去ってゆく。道ゆく人たちは、ゆったりとした暖かそうな布を羽織っていた。

 俺は慌てて上着を出して羽織る。シルはやっぱり平気そうにしていたけれど、シルの分も出して着せる。


 この街は、昼間と夜はまるっきり別の街みたいだな、と思ったりした。

 でも、考えたら他の街だって、賑やかな昼間と寝静まった夜中で雰囲気が違うのは当たり前かもしれない。ただ、ここでは昼間と夜が反対なだけだ。

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