第六話 結末はまだ選べないから
翌日、ルー・ドゥーさんは、トウム・ウル・ネイの地図を見せてくれた。陸地がほとんど描かれていなくて、最初に見たときはなんだかわからなかった。
たくさん引かれている線は、風の流れを示しているらしい。その風の流れに沿うように、不定形の線で囲まれた範囲が、わずかに重なり合いながら、いくつもある。
時折、山の姿が描かれていて、そこに地名が重なる。地図は縦に細長く、現在地が下の方、少し上に行くと「ルキエー」で、さらに上に行ったら「オージャ」があるらしい。俺の持っている地図とは向きが違うということが、なんとなくわかった。
ルー・ドゥーさんは、トウム・ウルの言葉で色々説明してくれたけど、申し訳ないことに俺にはほとんど聞き取れなかった。
身振りとか、時折混ぜてくれるルキエー語なんかから、なんとなくそういうことなんだろうな、なんて勝手に思ったりするだけだ。
ルー・ドゥーさんに連れてこられたこのクジラは、サーハノースという名前で、俺の知っている地図で言うとルキエーの右側辺りを泳いでいるらしい。
次の目的地を話したくて、俺は少し悩んでから、地図を取り出した。
シルが閉じ込められていたあの部屋で見付けた、デチモさんには
その地図を見て、ルー・ドゥーさんは「ホゥ」と声を出した。驚いたように目を見開いている。
俺はできるだけ、なんでもないような顔を──できているだろうか。
とにかく表情を変えないように意識しながら、人差し指を地図上の一点に置いた。ルキエーを飛び越えて、オージャの対岸をさらに左──内海の入り口に進んだ先。その内陸にあるバツ印。
「
そう言って、ルー・ドゥーさんを見る。ルー・ドゥーさんは、しばらく首を傾けて俺の地図を見ていたけれど、やがて自分の地図に指を置いた。
最初はサーハノース。それから隣のクジラは、ルキエーの上空。その隣のクジラは、内海から少し離れて、そこからまた隣に移って内海に近付く。
そうやって、何頭かのクジラの縄張りを経由して、辿り着いた先を指先で何度か叩く。
その指先を、今度は俺が指しているバツ印に向ける。
「タザーヘル・ガニュン・
どうやら、目的地の名前は「タザーヘル・ガニュン」というらしい。
目的地が決まったので地図をしまう。それでドラーン・ヤークをもらって飲んでいたら、シルがツェッツェシグ・ウータさんに話しかけられる。
ツェッツェシグ・ウータさんは、糸を編んで作った
シルは困ったように落ち着きなく視線をさまよわせる。シルが近付いた時のルーみたいに。
それでもツェッツェシグ・ウータさんはちっとも気にした様子もなく、言葉が通じないのも構わずに、シルにあれこれ話しかけている。そうして、布や、糸や、ビーズのような石、服や小物なんかを次から次に運んでくる。
シルがどれかに興味を持ったような視線を向けると、ツェッツェシグ・ウータさんはすかさずそれを持ち上げて、シルに見せる。
会話にはなっていないと思う。ツェッツェシグ・ウータさんは一方的に自分のものを見せているだけだし、シルはわけもわからずそれを見ているだけだ、多分。
もしかしたら、昨日
しばらくそうやって、ただ一方的に差し出されているものを見ていたシルが、不意に胸元を探って、厚着している服の下から
紐を摘んで前にかざすと、ツェッツェシグ・ウータさんは身を乗り出して目を輝かせてそれを見た。しきりに「クークー」と口にする。
その意味はわからないし、シルだってわからないはずなのに、シルは少し自慢げな表情になった。
シルは紐を離すと、俺の方を振り向く。
「ユーヤ、出して、魚の鱗」
シルなりに、好きなものや綺麗なものを見せ合う場だと理解したのだろうか。俺はバッグに手を入れて、
シルは、その小瓶を受け取ると、それをツェッツェシグ・ウータさんの方に差し出した。ツェッツェシグ・ウータさんは不思議そうな顔でそれを覗き込む。
「ヴェー・エンユー」
そう言ってから、言葉が通じないことを思い出してか、困ったように俺とシルを見た。それから、ルー・ドゥーさんの方を見て、呼び掛ける。
ルー・ドゥーさんが近付いてきて、シルの手の中の小瓶を覗き込む。そして、ああ、というように笑って、ツェッツェシグ・ウータさんに何かを伝えた。多分それが「魚の鱗」だと伝えたんだと思う。
ツェッツェシグ・ウータさんは、目を見開いてその小瓶を見詰める。
シルとツェッツェシグ・ウータさんは、なんだか少し仲良くなったみたいだった。シルも時々、小さな声で「綺麗」とか「好き」とかの言葉を返すようになった。もちろん、その言葉は通じていないけど、ツェッツェシグ・ウータさんはそれでも、笑って何かを応える。
そうやって、シルはツェッツェシグ・ウータさんの刺繍の様子をしばらく眺めて、それで出来上がったバッグを見て、それがすごく気に入ったらしい。
大きめのペンケースくらいの大きさの、ポシェット。青い布地に刺繍──多分、植物とか雲とか、鳥とかの模様の──がされていて、刺繍糸がきらきらしているので、角度によって輝いて見える。
それは、もともと商品として作っているものだったらしく、代金をきちんと支払ってそれを買った。
シルは、自分が持っていた小瓶の中から、魚の鱗を一枚取り出して、それをツェッツェシグ・ウータさんにあげた。
ツェッツェシグ・ウータさんはそっと受け取って、それから「バーラーラー」と呟いて、大事そうに小さな布に包んで、細かなビーズと一緒に箱にしまった。
シルは、魚の鱗の小瓶をその青いポシェットにしまうことにしたらしい。時折蓋を持ち上げて中を覗き込んで、嬉しそうに目を細めていた。
タザーヘル・ガニュンという場所まで、しばらくはルーに乗って旅をすることになる。
旅支度をして、ルーの首筋を撫でてやると、甘えるように嘴を腕に押し付けてくる。
シルが隣で俺の服を引っ張ると、ルーはびくりと首を引っ込めて、そわそわと地面を引っ掻く。やっぱりルーには、シルがドラゴンだって、わかってしまっているんだと思う。
その時、また地鳴りのような音が響いて、しばらくして向こうにトウム・ウルの呼気が吹き上がった。
天高く吹き上がった呼気は冷たい空気に晒されて氷の粒になる。そして、風に流されながら、きらきらと舞い降りてくる。
シルは氷の色の瞳を大きく見開いて、その光景を見上げた。
「ユーヤ、これ、綺麗」
そう言ってはしゃぐシルの髪に氷の粒が落ちて、シル自身もきらきらと輝いて、とても綺麗だった。
俺もシルも、この世界のことをまだ何も知らない。だから、選べない。だから、知らなくちゃいけない。
先のことはわからないけど、でも、だから、今はこうして旅を続けようと思う。シルと二人で。
『第六章 大きな雲の一族』終わり
『第七章 偉大なるガニュン』へ続く
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