第五話 旅の目的のその先
夕食は、スールと呼ばれる、こってりしたスープ。
肉は、鳥のものらしい。それと、何かの野菜──緑色のもしゃっとしたもの──が入っている。表面には油が膜のように浮いていて、いつまでも熱々だ。
表面の油は、肉から出たものというよりも──口に含んでしばらく考え込んだけど、わからなかった。何か知っている味のような気もするんだけど。
もしゃっとしたものは柔らかくて、口に含むととろとろと甘みがある。肉は少し固いけれど、緑色のもしゃもしゃと油がとろりと絡んで、ジューシーだ。噛むと旨みが口中に広がる。
スパイスが効いていて、飲み込むと足先までぽかぽかと暖かくなる。
いつものシルだったら喜んで、おかわりだってしそうなものなのに、今日はぼんやりとしていて、ちまちまと口に運んでいる。いつもの勢いがない。
カリコの時に和らいだ雰囲気が、今はなんだかまた硬くなってしまったみたいだった。
食事の後、その大きなテントを出て隣の小さめのテントに案内された。俺とシルは、こっちの小さいテントで寝るらしい。
ルー・ドゥーさんに何か説明されたけれど、ほとんど聞き取れなかった。
最初のテントは大きかったけど、それでも全員で寝るには狭いんだと思う、多分。ルー・ドゥーさん、モーン・ザーさん、ツェッツェシグ・ウータさん、子供たち。
それに、寝るときに家族以外の人がいるのは、やっぱり気になるだろうし。俺も気を遣わなくて済むので、少しほっとした。
「
覚えた言葉をさっそく使えば、ルー・ドゥーさんは笑った。
入り口から一番遠いところに、寝床らしい布の塊がある。それ以外は、道具が様々に置かれていた。物置か倉庫のようなところなのかもしれない。
「飾り、外すよ」
テントの外は風が強い。風の音は大きくて、俺の声が届くのか、少し不安になった。
シルは、自分の髪の毛についた花の飾りにそっと触れて、それから首を振った。
「外したくない」
「でも、寝てる間は外さないと、危ないし、壊れちゃうかもしれないし」
俺の言葉にシルは答えず、何か言いたそうに口を尖らせている。俺は黙って、シルの言葉を待つ。
「わたし……わたしも、飛べるよ」
「……うん?」
シルの言葉は予想外で、なんの話をしているのかわからなかった。
「ユーヤは、どうしてここに来たの? ドラゴンとルーが似てるってどういうこと? ルーはドラゴンに似てるから、ルーがいればドラゴンはいらない?」
話し始めたら、シルの言葉はどんどん出て来た。ぽかんとしてしまった俺に向かって、シルが喋り続ける。
「わたしだって、飛べるよ。ユーヤを乗せて飛べるのに」
シルの大きな瞳に、じわりと涙が滲む。
「ユーヤは、わたしじゃなくてルーの方が良いの? それとも、飾りを作れる人の方が良い? わたしは、もういらない?」
情けないことに、その涙が零れるまで俺は動き出せなかった。シルの白い頬を伝い落ちる涙を見て、慌てて、シルの肩を掴む。
「待って、ちょっと待って、俺は……そんなつもりじゃなくて」
「だって、だって、ルーはうるさいし、ユーヤはルーに優しいし、ルーはドラゴンに似てて、ドラゴンに似てたらわたしの家族で、わたしの家族が見付かったら、ユーヤはどこかに行っちゃうんでしょ」
シルは俺の肩口に顔を押し付けて、ううと声を出して泣き出した。
肩に置いた手の行き場が見付からなくて、困って、そっと丸められた背中に触れて、撫でる。シルの体は華奢で、こんなに泣いたら本当に溶けてなくなってしまうんじゃないかと心配になる。
「シル、落ち着いて、シル、大丈夫だから」
声を掛けるけど、うーとかむーとかばかりで、もう意味のある言葉は返ってこなかった。
シルの言葉は思いがけなくて、めちゃくちゃで──とてもショックなものだった。
ドラゴンを──シルの仲間を探す旅。でも俺は、その先なんか考えてなかった。そんなことに、今更になって気付いた。ようやく。
うう、とシルが呻いて、俺の肩を濡らしながら泣いている。俺は呆然と、何もできないでいる。
やがて、シルは泣くだけ泣いたのか、涙が落ち着いたようだった。
鼻をすすりあげて俺の肩口から離れたので、ハンカチを出して顔を拭く。いつもみたいに、大人しく拭かれてくれた。
目は充血して赤くなっているし、俺の服でこすったのか、目の周りも腫れぼったくなっている。肌が白いから、赤くなってしまったのが目立つ。
「シル」
呼びかけると、濡れた睫毛を震わせて、俺を見た。
「シルが飛べても飛べなくても、シルのことを置いていかないよ」
「飛べるのに」
シルの背に乗って、空を飛んだ時のことを思い出す。この世界に来たばかりだった。あれ以来、シルはドラゴンの姿になっていない。
空を飛んだのなんて、あれっきりだ。
「ええっと、そうだね。でも、シルが飛べるから一緒にいるわけじゃない」
「ルーは?」
「ルーは、ドラゴンに似てるって聞いたから、見にきただけ」
「似てるんでしょ?」
「うん、でも、ドラゴンじゃない。シルとは違うよ」
俺の言葉に、シルは睫毛を伏せて、何かを考えていたみたいだった。
少しして、指先で俺の服をぎゅっと掴んで、顔を上げて真っ直ぐに俺を見る。
「ドラゴンだったら? ドラゴンがいたら、わたしのことを置いていっちゃう?」
その質問に、俺は一呼吸置いてから応える。
「その時にどうしたいかは、シルが決めて。俺は……シルがやりたいように、するから」
「ユーヤと一緒にいたい」
ためらいもなく告げられる言葉は嬉しい。シルの真っ直ぐな視線、真っ直ぐな言葉、切り取って飲み込んで、大事にしまいこむ。
でも、未来はまだわからない。だって、シルがそう言うのは、シルの世界に今はまだ俺しかいないからだ。
ドラゴンが──本物の仲間が現れたときにシルがどう思うかは、わからない。
「うん、ありがとう。でも、それはその時になったら決めて。俺は……その時までは、シルが嫌だって言うのに置いていったり、勝手にいなくなったりはしないから」
シルは首を振って──まだ俺の服をぎゅっと握ったままだった。まるで、離したら置いていかれてしまうと思っているみたいに。
シルの手はそのままにして、俺は髪に結んだ
シルの手は、だんだんと緩められていった。安心してくれてのことだったら良いんだけれど、と思う。
寝床らしき大きな布の塊は、たくさん重ねられたふかふかの羽毛布団だった。
それに埋もれるように潜り込んで、何度か寝返りをした頃、布の中でシルの手が伸びてきて──俺を探すみたいに、ぱたぱたとさまよう。
俺は少しためらってから、手を伸ばして、そっとその指先に触れた。そのままぎゅっと握られる。シルは体温が低くて、この布団の中でも少しひんやりとしている。
部屋は暗いし布団の中に埋もれているし、お互いの表情は見えなくて、俺はそのことに少し安心していた。なんだか俺まで泣きそうだったから。
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