第二話 大きな雲
ルーというのは、騎乗用の動物らしい。
ルーに乗って飛んで行った先にトウム・ウルと呼ばれる場所がある。そこで暮らす人たちのことをトウム・ウル・ネイと呼ぶ。
最初に話しかけたその人は「ルー・ドゥー」と名乗った。名前にルーが付いているのは、何かルーに関係しているのだろうか。
その人に案内されて、トウム・ウルを訪れることになる。案内料を払う時に、ラーロウにもこんなふうにお金を払ったな、なんて思い出した。
トウム・ウルにはルーに乗ってゆく。当然、俺とシルもルーに乗ることになった。
シルはどうやら、ルーと相性が悪いみたいだった。
ルーたちは、シルが近付くと落ち着かなくなる。しきりに首を振ったり、そわそわと後脚で地面を掻いたりする。
パニックになったようにぎゃーぎゃーと騒ぎ出すこともあった。初めて見掛けた時のように。
シルが本当はドラゴンだと、もしかしたらルーにはわかっているのかもしれない。
そのせいか、シルはなんだか機嫌が悪い。
俺の方は、ルーとの関係は良好だ、理由はわからないけど。
ルー・ドゥーさんに言われるまま、見様見真似で、手袋をした手で首筋にそっと触れると、ルーは首を曲げて俺の腕に頭を擦り付けるようにした。
それから、嘴で腕を挟まれたりもした。腕を挟まれるのは少し怖かったけれど、ルーたちにとっては、じゃれついているようなものらしい。ルー・ドゥーさんが小さく「シッ」と声を出すと、おとなしくなった。
ルー・ドゥーさんに服を借りておいて良かったと思った。
ふわふわとした厚手の防寒着の上から、腕と脛に革を巻く。最初はなんのためかと思っていたけど、こうやってルーのじゃれつきに備えてのものだったらしい。
ルー・ドゥーさんは、自分の腕を軽く挟ませて、ルーの頭を撫でる。
そんなワケで、シルが一人でルーに乗るのは難しそうだった。
シルが近付くとルーが落ち着かなくなるせいもあったし、シルが俺の手を離そうとしなかったせいもあった。
俺は俺で、一人でルーに乗って空を飛べと言われたら、また「無理」って叫ぶところだ。
ルーの背中は、結構な高さがある。落ちて怪我で済むのか、と思う。地上ですらそんななのに、さらにその状態で飛ぶなんて、とも思う。
ルー・ドゥーさんと相乗りをしようにも、ルーの背中に二人は乗れても三人は難しいみたいだった。
それで結局、俺とシルで二人乗りをすることになる。
ルーどころか馬にだって乗ったことがないのに、どうしたら良いのか。ルー・ドゥーさんはルキエー語で「
俺の前にシルの体が乗ると、シルを抱き抱えるような格好になる。その状態で、俺とシルの体が離れないように紐で縛る。鞍と体も紐で結ぶ。
それから俺とシルの体に手綱をかけて、手に巻き付けて握らせて、もう一度「
その前に、他のルーに荷物を乗せて縛り付けているのを見ていたので、なんだか自分が荷物になったような気分だった。
それで気付く。ルー・ドゥーさんが乗っている以外のルーには、誰も乗らない。荷物を乗せて、ルー・ドゥーさんに付いていくのだ、きっと。
なので俺とシルも、きっと荷物として連れていってくれるのだろう。何もしなくても、ルーが勝手に飛んでくれるのだ、きっと──多分。
そうして、ルー・ドゥーさんは自分もルーに乗る。騎乗の準備を終えたのか、指笛を吹く。
ピィーっという音がしたかと思うと、ルー・ドゥーさんを背に乗せたルーは翼を広げながら駆け出した。崖に向かって。
そのまま駆けるスピードが上がり、そして崖から飛び出した。
その体が崖の向こうに消える。落ちたみたいに。
山の中腹、崖の向こうには裾野の景色が小さく見えている。
その景色の中を、翼を広げたルーがくるくると高く登ってゆく。
ピィーピィーっとまた指笛の音がして、俺とシルが乗っているルーも翼を広げながら駆け出した。揺さぶられて、シルの肩に顎を乗せて、シルの体を抱え込むように、ぎゅっと背中を丸める。口は閉じて歯を食いしばる。そうしないと、舌を噛みそうだった。
そして、崖から飛び出す。
浮遊感を感じたのは一瞬。
ひゅ、と体が縮こまって、急な上昇。内臓を落っことして体だけ持ち上げられた気分だった。
フードからはみ出た髪の毛が風になぶられる。頬に当たる風が痛いほどだ。
そうやって飛び立ったルーたちは、先頭をゆくルー・ドゥーさんのルーを追いかけていた。
時折、合図のように指笛が聞こえる。
ルーたちは、どんどん上昇する。さっきの山がもう下に見えるくらいだ。
切り裂く空気が冷たい。体は鞍と結ばれているとはいえ、体が固定されているとはいえ、やはり落ちそうで怖い。シルの体にできるだけくっついて、それからできるだけ前傾姿勢になる。回る景色が気持ち悪くて、登る先も周囲も、あまり見たくなかった。
鐙に足をかけたまま、シルの体を抑え込むようにする。
そんな中だと言うのに、シルは辺りを見回す余裕があるみたいだった。俺の腕の中からしきりに首を伸ばして、あちこち見ようとしていた。
「危ないよ」
俺の声は、白い息になって空中に置いていかれる。
「わたしも飛べるから大丈夫」
シルの声は、まだなんとなく不機嫌そうだ。
大きな雲の塊かと思った。
ふっくらとした流線形の、随分綺麗な形の雲だと思って、その影を見上げた。
やがて、それを見下ろす高さにまで上がると、今度は島に見えた。
雲のように空に浮いているというのに、そこには地面のようなものがあった。でこぼことした地面の上に、わずかに草が生えている。そんな、遮るもののない広々とした地面と、空が向かい合っている。
地面に、テントのようなものがいくつか並んでいる。ルーの姿もある。
その地面から鳥の群れが飛び立つ。ルーはさらに高く上がって、見下ろしたそれがクジラのような形をしていることに気付いた。
あの地図に描かれていたような姿の、大きな流線形の生き物。雲の波間を泳ぐ、クジラ。
ルー・ドゥーさんのルーたちは、今度はそのクジラの背に向かっていった。
尾に近い方に向かって、降りてゆく。クジラの背が近付けば、やっぱりそれはもう地面にしか見えなかった。
そうしてルーたちは、地面に降り立った。
ルー・ドゥーさんに紐を外してもらって地面に降りた時、情けない話、その場に崩れ落ちてしまった。足ががくがくと震えている。
吐き出す息が白い。
シルは平気そうだった。地面を見下ろして足踏みをしてみたり、薄い色の空を見上げたり、広々とした景色を見回したりと忙しい。
ぐらぐらと地面が揺れたけど、自分が震えているだけだと思った。
それからすぐに、確かに揺れていると気付く。地震だろうかと思ってから、そういえばここはクジラの上だったと思い出す。
落ち着いて思い出せば、このクジラは今も空を飛んでいる。揺れたりするのも当たり前かもしれない。
地面から伝わる震えと共に、低い音が響く。体が振動を感じて、それを音として聞いているんじゃないかと思うような響き方だった。
そして、視界の先で白い霧のようなものが吹き上がるのが見えた。噴火のように。
白い煙は空高く吹き上がったかと思うと、上空で広がって、そのまま地面に降り注いできた。きらきらと輝くそれは、小さな氷の粒だった。
その、空を飛ぶ大きなクジラが「トウム・ウル」だった。
後で聞いたところによると「トウム・ウル」というのは、トウム・ウル・ネイの言葉で「大きな雲」という意味らしい。
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