第四話 シルの欲しいもの
ラーロウに手配してもらった宿屋ももちろんのこと、洞窟の中だった。
川沿いの宿で、壁の片側に窓がくり抜かれて窓枠がはめ込まれている。外の景色が見えることと開けた窓から入ってきた風に、少しだけほっとした。
街の中はどこも明るいけれど、どこか閉塞感があったというか、なんとなく息が詰まっていたらしい。この国に来るまでは、ずっとからっとした青空の下だったから、余計にだ。
ラーロウは隣の部屋に泊まっている。ラーロウの宿泊代も払った。何かあったら助けてくれる、らしい。何から何まで世話になっている。でもまあ、その分の料金は支払っている、と思う。
そのお金だって、元は別に自分のものじゃないんだけれど。
窓から外を覗くと、岩壁のあちこちにある横穴や窓から灯りが漏れているのが見える。岩の上に広がる森は暗い塊で、その輪郭がざわざわとうごめいているようだった。
岩のあちらこちらに灯る光が川面に反射して、水の流れにゆらゆらと揺れている。
シルは開いた窓から身を乗り出すように、川面できらめく灯りを眺めている。
部屋の灯りは、石だった。白っぽい色の石が、その内側からゆらりと光っている。仕組みはわからない。
部屋の壁には透明な石を削って作られた照明器具があって、そこにこの石を置くと光が部屋に広がるようになっている。光が不要な時は、石を取り外して布で包む。
この石は勝手に光っているだけで、光量を調節したりとか、好きに光を消したりとか、そういうことができるわけではない、らしい。
部屋に広がるその石の白っぽい光が、シルの長い銀髪を輝かせている。窓の外の暗がりに、シルの白い横顔がきらきらと浮き上がっている。
その綺麗さを見て──俺は改めて、本当に異世界なんだな、なんて思う。なんて言ったら良いか、シルのその姿は、日本の高校生活では絶対見ることはなかったものだろうな、と思ってしまったのだ。
俺はベッドに腰をかけて、輝くその光景をぼんやりと眺めていた。
不意に、シルが振り返って俺を見る。
「ユーヤ、水って面白いね。川も海も、きらきらしてる」
そう言ってから、シルの瞳がふわりと宙をさまよう。何かを思い出すかのように。
「窓、もう閉めて寝ようか」
俺が言うと、シルはふわふわとしていた視線を俺に戻して、それから頷いた。
そして、静かに窓──木の板に透明な石が嵌め込まれている──を閉めると、俺の隣にやってきて座る。ベッドに座っている俺の隣に。
そして、俺を見上げる。
「あのね、ユーヤ、あの……欲しいものがある」
シルはそう言って、また視線を泳がせた。シルの両手が持ち上がって、胸の前で何かを掴むようにふわふわと動く。
俺は黙って、シルの言葉が出てくるのを待つ。
「えっと……あの、髪の毛とかについてた」
シルが自分の髪の毛を一房掴んで、するりと手の中をくぐらせる。やっぱり花の飾りのことだったと、俺は頷く。
「きらきらしてるのが、ついていたでしょ? あれ、きらきらしていて、綺麗で、欲しいな」
「明日、ラーロウに聞いてみるよ。買えるかどうか」
俺の言葉に、シルは瞳を輝かせて俺を見上げる。アイスブルーの大きな瞳が、水面のように部屋の光を映している。
興奮しているのか、シルの瞳孔が少し膨らんでいた。
「きらきらしてるの、わたしも髪につけてみたい。あ、あとね、森にもう一回行きたい」
夜ももう遅いのはわかっていたけれど、俺はシルの言葉を止めずに聞いていた。
やりたいことを聞いてもぼんやりとするばかりだったシルが、こんなにはしゃいで欲しいものややりたいことを話している。それを止めたくはなかった。
「すごく木が大きかったから、飛んで上まで行ってみたいなあ。高いところまで飛べるかな」
そんなに森が気に入ったのかと思うと同時に、シルがドラゴンだということを思い出した。
どういう仕組みでシルが人の姿になっているのかわからないけれど、やっぱりあのドラゴンの姿が本当のシルなんだろう。時々は、ドラゴンの姿に戻る時間が必要なんだろうか。
「森でドラゴンの姿になるのは……大丈夫かは、ちょっとわからないかな。シルは、今の姿よりドラゴンの姿の方が楽?」
俺の言葉に、シルは首を傾ける。
「考えたことなかった。でも、羽を広げたいなって、思うときはあるみたい」
「そっか……羽を広げるか……できるかな」
「あ、できなくても平気だよ。この姿の方が良いんだよね。わたし、このままでも大丈夫」
シルはそう言って、俺の袖を掴んだ。そして、小さな声で「だから置いていかないで」と言う。俺は慌ててその声に応える。
「置いていかないよ。大丈夫。でも、シルが時々はドラゴンの姿に戻れるように、何か考えるから。その……できるかはわからないけど」
俺の言葉に、シルが首を振る。銀色の髪がふわりと広がる。そして、俺の袖を握る手をますます強くした。
「羽なんか、どうでもいい。ユーヤと一緒に行くから。本当に、置いていかないでね。ずっと、一緒にいて」
「大丈夫、一緒にいるから。置いていかないよ」
俺が何度そう言っても、シルは俺の袖を離そうとしなかった。
その手はそのままにして、俺は話題を変える。シルの不安を和らげたくて、明日の楽しいことの約束をする。
「とにかくさ、明日は、髪の飾りを買えるか、まずラーロウに聞こう。それから、森にもう一度行って……ドラゴンの姿になれるかはわからないけど、とにかく、もう一回行こう。それから、他にやりたいことはある? 食べたいものとか」
俺の声に、シルは俺の袖を掴んだまま、顔を上げた。
「あの……さっきの、変な味の飲み物、もう一度飲みたいな」
「飲み物は……白い方と、茶色い方、どっち?」
「あ、えっと……茶色い方。でも、白い方も飲みたい」
「うん、じゃあ飲もう。両方、また飲もう」
俺が頷くと、シルはふわっと笑った。
「あとね、あのお肉? それと、甘いのも美味しかった」
「肉は……キチュ・ピチェメかな。赤いソースがかかってた」
「うん、うん、いっぱい食べたお肉。美味しかった」
シルは両手で、俺の袖を掴む。これは、不安からじゃなくて、興奮からだ。さっきの食事の味を思い出しているんだろう。
「甘いのは、最後に茶色い飲み物と一緒に出てきた?」
こくこくと、シルが頷く。
「うん……そう、それ、うん、美味しかった。それとね、ええっと、なんか付ける……塗ったりして食べた……どろっとした……」
「シトゥルマをクメェに塗って食べた話?」
「ええっと……名前は覚えてないけど……」
シルが困ったように眉を寄せて俯く。
「明日、ラーロウに聞いてみるよ。それに、今日食べた以外にも、食べ物はたくさんあるだろうし」
俺の言葉に、シルの俯いていた顔が持ち上がった。目を大きく見開いて、驚いたように俺を見ている。
「そっか……そっか、美味しいもの、いっぱいあるかな」
「あると思うよ」
ぱちぱちと瞬きをした後に、シルの瞳が細められる。嬉しそうに。
「嬉しいな。楽しみ。たくさん食べたい。あ、それに、船に乗る前に食べたのも、美味しかったよね。あれもまた、食べたいな」
船に乗る前。
その言葉に、ポルカリの味を思い出して、懐かしくなる。ポルカリの
島で食べたティリをふんだんに使った料理も美味しかった。
それに、フィウ・ド・チタで食べた甘いものも。
「そうだね。美味しかった。また、食べられると良いけど……」
この先、あの場所に戻ることはあるんだろうか。自分たちがこれからどこに行くかもわからないのに。
シルは俺の歯切れの悪さには気付かず、これまで食べた料理について話している。あれが美味しかった、あれを食べたい、もっと食べたかった。
シルの手は、俺の袖を掴んだまま離さない。
そして気付いたら、灯りの石もそのままで、俺もシルもそのままベッドに倒れ込んで眠っていた。気付けば、二人で、手を繋いでいた。
夜中にぼんやりと目を覚まして、目の前にシルの寝顔があった時は、心臓が止まるかと思った。
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