第二話 「いただきます」という文化
何かを食べると言っていたので、そこは多分レストランのようなところだろう。横穴に入って、登って、下って、その先だった。
ラーロウが入ると、手前に座っていた人が何人か振り向いて、何事かを言い合う。「ラーロウ」とその名前を呼ぶのが聞こえた。彼はもしかしたら有名人なのだろうか。
先を行くラーロウを見れば、彼はそんなことを気にする素振りも見せずに、どんどん奥に入ってゆく。
「
ラーロウに呼ばれて、慌ててシルの手を引いて、賑わうテーブルの間を抜けて、奥のテーブルまで辿り着いた。ラーロウに倣ってそこに座る。
こうやって見ると、この国の人たちは、茶色い髪の人たちが多い。どちらかと言えば、濃い色合いの人が多いように見える。
女性は、やっぱり色とりどりの飾りを付けているので、あちこちに花が咲き乱れて、葉が色付き、木の実や果実が実っているようだ。そして、その植物の中に、動物の毛皮や鳥の羽が見え隠れする。
その様子は、賑やかな森だ。
ラーロウに何かを聞かれて、慌ててラーロウの方に意識を戻す。咄嗟に聞き取れなかったので、聞き返す。どうやら、アルコールのことを聞かれたみたいだった。
「
俺の答えに、ラーロウは軽く応えた。
「
トゥットゥは軽い同意。「わかったわかった」とか「良いよ」とか、そのくらいのニュアンスらしい。ラーロウは、よくこの言葉を使う。
そして、ラーロウは店員さんを捕まえて、何かを注文していた。俺はもう、完全にお任せのつもりで座っているだけだ。
洞窟のような場所だけれど、中は意外と明るい。透明な箇所をうまく明かり取りの窓として活用しているらしい。それだけでここまで明るくなるものだろうかと思うので、他にも何かあるのかもしれない。さっぱりわからないけど。
壁や天井は丁寧に削ってあって、洞窟という感じはあまりしない。中にいると、普通の石造りの家のようだ。
手持ち無沙汰に辺りを観察していたのだけれど、シルも同じように、きょろきょろと周囲を見回していた。
シルはどうやら、女性の店員さんの動きを目で追っている。店員さんの髪に付いている花が、半透明のきらきらと輝く石で作られていて、動く度にそれが光を受けて輝く。それが気になっているのかもしれない。
そういえば、
「ウォ・ド・ヴォイロ・ティラ・ドーブ・ゼ」
不意に、ラーロウに声を掛けられる。俺が返答に困って黙っていると、聞き取れなかったと思ったのか、ラーロウはゆっくりと繰り返した。
「
俺は、悩みながら口を開く。
「
「
ようやく出てきたのは単語だけだった。ラーロウが訝しげに眉を寄せる。
またちょっと悩んでから、なんとか単語を繋げる。
「
俺の語彙では「探している」が表現できなくて、こうなってしまった。
ラーロウは俺の言葉に、眉を寄せたまま、何か言いたそうに口を開く。けれど、言葉は何も出てこない。
やがて、軽く息を吐いて、握った手を胸の前に持ってきて、それを上むきに開く。なんの仕草だろうか。
「
結局、ラーロウが言ったのはその一言だけだった。ラーロウが待つのかと思ったけど、もしかしたら俺とシルに待つように言ったのかもしれない。
お互いにネイティブではないし、伝わる単語は少ない。意思疎通は割と中途半端だ。ここまで、それでもなんとかなっていると思っていたけど、もしかしてラーロウから見たら、なんともなっていないのかもしれない。
料理が運ばれてくると、シルは胸の前で両手を握り締めて身を乗り出した。口は閉じたままだけど、瞳孔が開いて運ばれてくる料理をせわしなく追いかけている。
ソースだろうか、甘酸っぱいにおいがテーブルの周囲を漂う。においの酸っぱさに反応して、唾液が溢れ出す。
シルがテーブルの上の料理から、俺の方に視線を移してくる。早く食べたいんだろうな、と思う。
もう食べても大丈夫だろうかとラーロウを見ると、ラーロウは神妙な顔で右手を持ち上げた。右の手のひらを胸に当てて、歌うように、ルキエーの言葉を口にする。
「ヴァ・オール・マダ・ドゥードゥ・ヴァ・オール・マダ・ニーシェ」
ラーロウは顔を伏せて、目を閉じる。彼の耳の脇で、髪に結ばれた角と耳飾りの羽が揺れる。
「ヴァ・ドゥニャア・カブリュ」
多分、ラーロウのこれは、いただきますのようなものなんだろう。
俺はラーロウとは同じことはできないけれど、それでも両手を合わせることにした。こうやって手を合わせるのは、この世界にきてから初めてかもしれない。随分と久し振りだ。
「いただきます」
ラーロウは俺のその仕草と声を、興味深そうに見ていた。俺がラーロウの仕草を興味深く見ていたのと同じように。
シルが首を傾けて、俺をじっと見ている。
「今の何?」
「食べる前の……挨拶?」
「何に挨拶するの?」
シルの言葉に、俺は考え込んでしまった。そして、苦し紛れに答える。
「これから食べる、ご飯に対して?」
シルは首を傾げながらも、俺の真似をして両手を合わせた。
「イタ、キマス?」
これで良いの? とシルの瞳が問いかけてくる。たどたどしい発音に、俺は頷いて応えた。多分、こういうのは気持ちだけあれば良い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます