第四話 二つの川が出会うところ

 川を渡る。河口が近いので、川幅は広く、流れは緩やかだ。


 大きな橋の途中、ところどころに橋の幅が川下側に膨らんでいる箇所がある。ベンチなんかも置いてあったりする。

 ここから下流の方を見ると、二本の川の合流地点がある。それをゆっくり眺めるための場所なのだろう。


 シルがその光景を見て、不思議そうに瞬きをした。


「川を見るの?」

「みたいだね、みんな、二本の川が繋がるところを見に来たのかな」


 つまりは、観光地みたいなものなのだろうか。

 シルと手を繋いで、歩きながら川の下流の方を眺める。


 ベンチの近くには、大抵花を売っている人がいる。恋人どうしだろうか、腕を組んだ男女がその花を買って川に投げ入れた。


「あれは、何?」


 シルがその様子を指差す。俺は困って首を振った。


「わからない。なんだろう」


 籠に花を入れた女の子が、にこにこと話しかけてくる。花売りなので、花を売ろうとしているのはわかる。俺はいつものように、カタコトを返す。


ココ少しだけポケ言葉パーレ


 物だったら「名前ノマゼレ?」と聞くところだけど、行為の理由を聞くのは難しい。

 少女は花を差し出してくる。マトナ・メ・アメティ。一つの茎に二輪の花が咲いている。深い水の奥底のような青い色の花。

 少女は何事かを説明してくれている。川の方を指差して、時折「アメティ」という言葉が混ざる。

 食べ物なら目の前に実物があるから、ある程度想像で補える。

 同じように、花を買って川に投げ入れるという行為も、見ていればわかる。でも、それがいったい何を意味しているのかは、さっぱりわからない。


待つリメネ少しだけポケ


 そう少女に伝えてから、シルの方を振り返る。


「シルは、あれ、やってみたい?」


 シルはちょっと首を傾ける。


「面白いの?」

「うーん、どうだろう。多分だけど、願いごととか……そういうようなものだって気がする。俺がいたところだと、神社って神様がいるところにお金を投げ入れて願いごとをするのがあって、そういうのに近いんじゃないかな。だから、面白いとかじゃないと思うけど」

「願いごと」


 シルの視線がぼんやりと宙を漂う。シルは何か願いごとを持っているのだろうか。

 何度か瞬いてから、シルの目が俺に戻ってきた。彼女は、アイスブルーの瞳に好奇心を浮かべて頷く。


「うん、やってみる」




 俺は少女から花を買う。

 花は二人で一本。一本の茎に花が二輪。受け取った花は、二人で川に投げ入れる、らしい。

 先ほど花を投げ入れた恋人たちは、近くで肩を抱き合って川下を眺めている。このまま気分が盛り上がったら目に毒なんじゃないかという雰囲気になってきているので、正直ちょっと離れたい。


「二人で投げ入れるんだって」


 そう言うと、シルの手が花を握る俺の手に添えられる。


「願いごとってどうするの?」

「神社だと、お金を投げ入れた後に、心の中だけで願いごとを唱えるんだ。なんとかができますように、とか。でも、これがそれと同じかはわからないけど」

「わたしは、願いごとしたい」

「じゃあ、投げ入れたら願いごとしようか」


 シルはこくりと頷いた。


 二人で橋の欄干から手を差し出して、せーので花を投げる。

 花は風に煽られて一瞬ためらう様子を見せたけど、そのままはらはらと落ちていった。


 そっとシルの様子を伺うと、真剣な顔で花の行方を追って、そのまま水面みなもを眺めている。銀色の髪が風に巻き込まれて広がり、その揺らめきは陽を受けてきらきらとした輝きになる。

 俺はそんな横顔を眺めながら、心の中でそっと、シルの仲間のドラゴンが見つかりますようにと願った。




 先ほどの恋人たちが本格的にいちゃつき始めたので、俺は慌ててシルの手を引いて歩き出した。

 その人たちのそれは公衆の面前で行う範囲は超えてはいないとは思うのだけれど、正直そういう雰囲気とは縁遠かったものだから、目の前で繰り広げられるそれから感じる生々しさをどうして良いのかわからなくなる。

 いや、彼女がいるクラスメートからその手の話を聞いたことはある。なんならもっと生々しい──人前では見れないたぐいの写真や漫画だって見たこともある。でも、俺自身にそういう経験はない。残念ながら、今までそういう機会に恵まれたことはない。

 不意にシルの裸を思い出してしまって、握っているシルの手の感触が急に生々しく感じられる。慌てて頭からその光景を追い出す。


 そうやって橋を渡りながら気付いたけれど、どうやら恋人っぽい人たちが多い。もちろん、そうでない人たちもいる。でも、足を止めて川下を眺めている人たちは、男女の二人組が圧倒的に多い。

 もしかしたら、デートスポット的な場所だったのだろうか、と今更気付いて、足を止めてシルを見る。俺たちはどう見られていたのかと思って、急に恥ずかしさが込み上げてきた。

 シルは急に足を止めた俺を不思議に思ったのか、首を傾けていた。


「ユーヤ、どうかした?」

「あ、いや……」


 気恥ずかしさを誤魔化すために、俺は首を振った。まっすぐにシルを見ることができない。


「シルは……シルの願いごとは何?」


 シルはぱちくりと瞬きをした。それから、俺の指先がぎゅっと握られる。


「美味しいもの、もっと食べたい」


 そう言って、シルは唇を綻ばせた。マリダーニか、カーポか、ギーコースタか、彼女が思い出しているのはどの味だろうか。

 俺は体の力を抜いて、また歩き出す。シルと並んで。


「そっか。俺はマリダーニをもう一回食べたいな。あれ、美味しかった」

「マリダーニってどれ? みんな美味しかったし、みんなまた食べたいな。あ、それから」


 シルのアイスブルーの瞳が俺を見上げる。日差しを受けてきらきらと輝く。


「ユーヤも一緒が良い」

「……え?」


 突然にシルの口から俺の名前が飛び出てきて、俺は意味をはかりかねた。


「ユーヤと一緒に美味しいもの食べるの、好き。だから、願いごと、ユーヤも一緒が良い」


 シルは無邪気にそう言っているだけだ、多分。だから、照れることなんか何もないはず。

 だというのに、俺は自分の顔が赤くなっているのがわかった。これは多分、周囲の雰囲気のせいだ。

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