第二話 初めての着衣

 気付いたら知らない場所にいた。目の前にドラゴンがいた。

 ドラゴンが消えたと思ったら、目の前に裸の美少女がいた。慌てて自分のブレザーで彼女の体を覆った。

 これが、ここまでのこと。


 俺は単にその裸体を隠そうとしただけだったのだけれど、それは彼女に抱きつくような格好になってしまっていた。

 ブレザーから手を離しかけたけど、そのままブレザーが落ちそうになるので、また慌てて掴んで押さえる。


「ご、ごめん、その、とにかく服を……!」


 俺の言葉に、彼女の手がおずおずと持ち上がり、俺のブレザーを掴んだ。俺はホッとして、改めてブレザーから手を離す。

 肩にかかっていた布地が下に落ちたけれど、体の前面──つまり俺から見て隠れていないとマズい部分は覆えている──裾から覗く足の位置がちょっと危ない気はするけど──俺はそのまま一歩下がった。


「服……人は服を着る……」


 さっき聞いた声と同じだった。まるでデタラメなハミングのように意味がわからない、心地良い音の連なり。

 だというのに、その言葉の意味が理解できる。

 耳で聞こえる音と脳みそで理解している言葉のちぐはぐさに戸惑いはしたけれど、目の前の裸の美少女のインパクトが大きすぎて、それどころじゃなかった。


「服を着る! そう、服を着て!」

「これは、あなたの服」

「俺はシャツもあるから! これは君が!」


 彼女は、片手をブレザーから離して──幸い、もう片手でブレザーを握っていたので、体は隠されたままだ──いや、でも、胸の辺りはちょっと際どい気がする──俺の後ろの方を指差した。


「あっちに、色々置いてある。前にいた人が置いていった。必要なものがある。服も必要なら、服もある?」

「わかった、見てくる」


 彼女の言葉に、俺は彼女に背を向けて走り出した。ドラゴンがいるには狭いと思った部屋だけど、人が動き回るには広い。

 彼女が指差した先には、部屋の出入り口らしい扉がある。もちろん、一般的な人のサイズの扉だ。ドラゴンの大きさでは出入りできない。

 その隣に、棚や引き出しや扉付きの収納家具が並んでいた。




 彼女は服を着るのが生まれて初めてだと言った。

 そもそも、生まれて初めて人間の姿になった、らしい。


 引き出しを開けると、中にいくつかの衣服があった。いくつかを引っ張り出して、多分女性向けっぽいブラウスとスカートらしき布の塊を見付けた。それから、下着らしきものも。


 この辺りの具体的な話は避けたいと思う。


 もう一度言うけど、彼女は人間の服を初めて着た。

 裸のまま下着を広げて「これ、どうするの?」と無邪気に聞かれて──その状態で俺はどうすれば良かったのか。

 いや、これ以上のことを思い出すのは良くない──ただ、俺は頑張ったと思う。


 くるりと回って膝丈のスカートがふわりと広がるのを楽しんでいる彼女の前で、俺はしばらくの間、ただ床に座り込んで休んでいた。




 そうやって、しばらくスカートの裾で遊んでいた彼女が、やがて俺の目の前にぺたりと座った。こうやって座り込むと、長い銀色の髪が床に届きそうだ。

 ブラウスは襟ぐりが横に広く開いていて、鎖骨のくぼみと華奢な肩が見えていた。胸元は逆にそれほど下までは見えない作りになっていて、ホッとする。

 七分袖くらいだろうか。ふんわりとした袖には銀と青の糸で細かな模様が刺繍されていて、その色合いは彼女に似合っていた。

 スカートは濃い青い色で、こちらにも銀の糸で刺繍が入っている。ウェストで編み上げて位置を固定する造りになっていて、編み上げがうまくできない彼女を手伝うことになって──いやいやいや、その話は今は違う。

 余計なことを思い出さないように、俺は彼女から目を逸らす。

 そんな俺を彼女は、透き通った瞳をキラキラとさせて、真っ直ぐに見詰めてくる。


「ありがとう」

「服のこと?」


 何に対してのお礼かわからずにそう聞くと、彼女は首を傾けた。


「首輪を外してくれたから」

「首輪?」


 聞き返すと、彼女は大きく頷いた。


「うん、あれがあったから、ずっと動けなくて苦しかった。でも、あなたが来て、助けてって言ったら助けるって応えてくれて、そしたら首輪が外れた。あなたが壊した」

「俺が?」

「違うの?」


 彼女がしゅんと俯く。その姿に、妙な罪悪感が芽生えてしまう。


「あ、いや、確かにあの時、助けるとは言ったけど……でも、首輪を壊すとか、考えてなかったから……」

「助けるって言ってくれた?」


 そっと伺うように、彼女が顔を持ち上げて俺を上目遣いで見てくる。俺は何も言えずに、ただ小さく頷いた。

 俺の頷きを見て、彼女は目を細めて口元を緩めて、顔を持ち上げる。


「じゃあ、やっぱりあなたが助けてくれた。ありがとう。嬉しい」


 キラキラとした美少女にお礼を言われて、良い気分にならなかったと言えば嘘になるけれど、でも身に覚えのない──いや、実際にそれは起こったことではあるのだけれど、自分がやったという自覚がないことなので、居心地が悪い。

 何を言えば良いのかわからないまま、今度は俺が俯く番だった。




 彼女は俺の目の前で、なぜだか嬉しそうに俺を見ている。

 俺は居心地悪く黙り込んで、俯いている。


 そのまましばらく二人で黙って座っていたけれど、このままだといつまでも状況が変わらないということに気付いてしまった。




 ここはどこなのか。なんなのか。どうしたら良いのか。

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