旅をする──ドラゴンの少女と巡る異世界

くれは

第一章 ドラゴンの少女との出会い、そして旅の始まり

第一話 ドラゴンの少女との出会い

 日本にいた。高校生。学校から帰る途中だった──と、思う。


 今だって、学校の制服を着ている。面白みもない紺色のブレザー。それから邪魔だけど仕方なく着けているマスク。

 ブルートゥースのイヤホンが片耳だけになっている。いつの間にか片方落としてしまったみたいだ。片耳の奥で、少し前に流行った曲が流れている。


 いつも学校に行く時に使っている黒いリュックを今も背負っている。中には教科書やノートや筆記用具、採点済みの英単語の小テストと宿題の数学のプリントが入っている。

 あとは制汗スプレー、ティッシュとハンカチ、除菌用のウェットティッシュ、予備のマスク。

 それからコンビニで買ったベーコンチーズパンとクリームパン。ペットボトルのお茶。レジ袋は貰わなかったけど、レシートは受け取ってしまった。そのレシートも一緒に突っ込んだ気がする。


 そんないつも通りの出で立ちで、気付いたら、体育館くらいの広さの場所に立っていた。




 窓はないけれど周囲の壁に灯りがあって、真っ暗じゃない。じゅうぶんな光が行き届かないその中でも、目の前に見上げるほどの大きな塊があるのは見えていた。


 体育館の半分ほどを埋めるその塊がなんなのか、最初俺にはわからなかった。

 その塊は全体的に白っぽくて、壁に付いている青白い灯りを反射して輝いて、雪をかき集めた巨大なかまくらのように見えた。


 ポケットからスマホを出して場違いに能天気な音楽を止めると、シューシューという規則的な音に気付いた。片耳に残ったイヤホンを外して、ついでにマスクも外して、スマホと一緒にポケットに突っ込む。

 そのシューシューいう音に合わせて、その塊の表面がわずかに動いていた。


 生物的な動き。大きな生き物。


 身の危険を感じてもおかしくない状況だったのだけど、不思議と、あまり怖いと思わなかった。だからそのまま、その動く雪山に一歩踏み出した。

 ピクリとその雪山が揺れて、規則的だった呼吸音が乱れる。そして、雪崩のように大きく動き出した。


 俺が口も開きっぱなしにして眺めているその前で、雪山は首を持ち上げて、前脚を揃えて座る姿勢になった。




 それは、ドラゴンだった。




 白銀色の鱗がキラキラと輝いている。

 この部屋の広さは体育館ほどだけど、天井は体育館よりも低い。体育館の天井は結構高かったような気がする。

 ドラゴンの首はその天井につっかえて狭そうに曲がり、そこから俺を見下ろしている。その瞳は透き通った湖のような青い色。


 曲げた首に、大きな光の輪っかのようなものが巻きついている。

 首輪、だろうか。首輪だとすれば、飼いドラゴンなのだろうか。ドラゴンを飼えるのかは知らないけど。

 その光の輪っかは、揃えた前脚にも巻きついている。

 それが何かを知らないのに、俺はその光の輪っかがあまり良いものではないような気がした。ドラゴンが苦しそうにしているからだろうか。


 ドラゴンの何を見て苦しそうと思ったのか、自分でもよくわからない。


 ドラゴンは、何か言いたそうに首を下げて、その頭を俺の前まで持ってくる。

 口の中に俺がすっぽり入ってしまいそうな大きさだ。一飲みにだってできるだろう。でも、このドラゴンはそんなことをしたいわけじゃないって、俺はなぜかわかっていた。


「助けて」


 そう、聞こえた気がした。

 知らない外国語の歌を聞くように、意味を持たないハミングのように俺の耳に届く。でも、俺はその言葉の意味を理解していた。

 氷が砕けるように高く透き通った声、でも苦しそうな響きに、俺は両手を持ち上げてドラゴンに差し伸べる。

 なぜかドラゴンが目の前にいて、助けを求められた。だから、助けようと思って、手を差し伸べた。その時の俺には、それはとても自然なことのように思えた。


「助けるよ」


 俺の声は小さくて、ドラゴンに届いたかはわからない。それでも、ドラゴンの顔が恐る恐るというように近付いてきた。

 その鼻を両手でそっと撫でた時、ドラゴンの首に巻きついていた光の輪っかが弾けた。前脚の輪っかもだ。

 飛び散った光が眩しくて、両手で顔を庇って目を閉じる。


「嬉しい」


 その声は弾んでいて、苦しさから解放されたんだな、良かった、と思った。




 そして、次に目を開けた時には、あの雪山のようなドラゴンはいなくなっていた。


 代わりに、そこにいたのは美少女だった。




 腰よりも長い銀色の髪はわずかに青味がかっていて、部屋の灯りを受けてキラキラと輝いている。

 その髪に縁取られた顔は白い。触ったら滑らかで心地良いのだろうなと思ってしまう。

 輪郭はどこか幼げで、けれど整ったバランス。そこに、アイスブルーの瞳がある。冷たい湖のように透き通った眼差しは、まっすぐに俺を見ている。

 唇は花を乗せたように鮮やかで、ゆるく弧を描いて──微笑んでいるようだ。

 背の高さは、俺と同じくらい──いや、俺よりも少し低いくらい。首筋はほっそりしていて、手足はすらりとしている。


 さっきまで大きなドラゴンがいたのに、突然同じ年頃の美少女が目の前に現れて、俺はぽかんと眺めてしまった。

 メスだったのか。いや、人の姿をとる相手にメスという呼び方は適切じゃないか。


 いや、それよりも。




 彼女は──服を着ていなかった。




 目の前のその少女は、現実感が感じられないほどに美しかった。陳腐な表現だけれど、まるで一枚の絵のように。

 左胸の膨らみ──ちょうど心臓がある辺りの白い肌に、浮き上がるように複雑な模様が描かれていて、それが金色の淡い光を放っていて、それが余計に現実感を失わせていた。

 だから俺は、ただぽかんとその姿を眺めてしまっていた。


 その──全裸の美少女を。


 その事実が脳みそに到達した瞬間、俺は自分が何をしたら良いのかわからなくなって、とりあえず声を上げてしまう。


「うわあぁぁぁぁああああ!!!!」


 俺の上げた声に驚いたのか、目の前の美少女が口をぽかんと開けて目をまん丸にした。

 美少女の反応を気にすることもできずに、俺は自分の着ていた制服のブレザーを脱いで、裸体を隠すように正面から彼女の体を包む。


 俺のその動作は、目の前の美少女に抱き着く形になってしまった。

 体温が低いのか少しひんやりしている。美少女の整った顔が至近距離に見える。そして、彼女はパチクリと瞬きをして、俺をじっと見ている。




 それが、彼女との出会いだった。

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