二十八話 亡霊
豪邸からトラックで一時間かけて向かった先は全十五階の高層マンションだった。周囲のどの建築物よりも空に近いその黒塗りのマンションに青年は見覚えがあった。伊達のマンションである。
ふと、ひどい頭痛が彼を襲った。左後頭部にナイフを突き立てられたかのような痛覚がはしり、脳髄を掻きむしり、堪らず青年は養生されたエレベーターに寄りかかった。寄りかかりながら呼吸を整え鼓動を落ち着かせると、頭痛の原因がここら付近の臭いにあると青年は思った。ここは途方もなく死に近い臭いがするのだった。
青年は時折呼吸を止めつつ、部屋の玄関とトラックを行き来した。その間、幾度ものふらつきがあった。身体の核の揺れと混ざり合う荷の重みは青年の半身を緩やかに締めつけ、隙を見つけては人目のつかぬところで休息を入れ、青年はそのたび密かにその日欠勤すればよかったと悔いたものだった。
「すみません、よろしければ、これを」
一階の死角で涼んでいると、青年と壁の隙間を縫うように声がした。瞬時肩をびくりと震わせ、音の方を振り返ると、あの盲目の女性が座していた。
汚れを知らぬ全盲の天女が車椅子にもたれながら青年へボトルを差し出している。彼女の白い掌はプラスチックボトルよりも遥かに透明だった。そして彼女が本来知るべきだった汚れのようにボトルの液体は灰色に濁りきっている。
青年はやはり彼女に伊達の影を認めた。あれほど遠ざけていた伊達の死が、今やまざまざと実感できるのである。そして青年は暗黙のうちに彼女が伊達の親類であるとわかった。きっと入れ替わりで伊達の部屋にこの聖女も住むのだと。
これほど美麗な女性との再会も、しかし青年にとっては悪夢に相違なかった。死を忘却して、ある種自堕落な生にしがみついた青年に、伊達の亡霊が再び姿を現したのだと。
自殺志願者青年B 五味千里 @chiri53
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