33 忘れられないこと

 遠くで銃声が聞こえる。


 ああ、イヴァン。あれは、お別れの合図かな。薄れゆく意識のなかで私は、彼に別れを告げた。

 でも、待っていて。私も、すぐ、傍に行くから。天国なんて信じないけど、ここではないどこかで、私たちは一緒になれるわ。そう信じてね。私もそう信じることにするから。

 そうすれば、私たちはもう離れることはないわ。


「スノウ! スノウ!」


 唐突に身体が激しく揺さぶられて、私は我に返った。

 はっ、と目を開けてみれば、イヴァンの顔が至近距離にあった。彼は顔から足先まで、雪まみれ、そして血まみれだ。私は寒さでかじかむ唇を、なんとか動かして、尋ねた。


「……キースは?」

った。もう安心していい」


 彼は無表情にそう言いながら、私の手の縄を解く。手が自由になった途端、私の全身から力が抜ける。私は雪の中にまた崩れ落ちる。その身体をイヴァンが抱き起こす。私は彼のおかげでなんとか立ち上がれたが、今度は冷え切った身体が私の歩みを妨げる。

 イヴァンが叫ぶ。


「スノウ、このままじゃ凍死する! なんとか歩くんだ!」

「スノウがスノウに殺されるなんて、洒落にならないわね」


 人間は不思議な生き物だ。こんな場面でも冗談口を叩くことが出来る。私は朦朧とした意識の向こう側で、ふふっ、と笑った。


 私たちは雪の中を這うように、乗せられてきた車に向かった。私たちの足跡もすでに埋もれ、吹雪で視界はきかず、しかも夕闇が迫っていたが、私たちは、こんもりとした白い小さな山と化した車を、何とか見つけ出すことが出来た。

 イヴァンが扉をこじ開けて、そのなかに私たちは命からがら滑り込む。

 だが、車を動かすエネルギーはすでに枯渇していて、車内の暖房は切れていた。


「キースの奴、そこまでお人好しじゃなかったか……」


 イヴァンが震えながら呟く。それでも吹雪を避けられるだけまし、と、私たちは車内で固く抱き合って暖を取る。

 いつ、終わるともしれない吹雪、そして闇が世界を覆う。



 肌と肌、息と息だけが重なる闇のなかでどれだけ時間が経っただろう。

 イヴァンの声がした。


「君を抱きたい」


 私にはすぐ傍にいるはずのイヴァンの表情が分からない。どんな顔でそう、私に言ったのか、まったく、分からない。

 突然のことに返事が出来ないでいると、重ねてイヴァンの声が聞こえた。


「スノウ。俺は、君のなかに入りたい」


 私は微笑んだ。そしてそっと、彼に身体を寄せた。


「私も、あなたを、欲しい」


 「夜」が来ていた。あの夜から何度目かの夜が。



 肌と肌が、触れあう。

 絡まり合う。

 焦がれていた熱に、私は包み込まれる。


 彼がゆっくり、私の白いワンピースを剥ぐ。


 私は、彼に成されるがままに、目を瞑る。


 彼の手によって、ワンピースのボタンが、一個、二個と外れる気配がする。


 最後のボタンが外れると、彼は、静かに私を抱き寄せ、今度は下着に手を伸ばす。

 同時に、もう一方の手が、私の露わになった腿に伸びる。

 彼は私のスカートを払いのけ、顔を私の足の間に埋める。

 

 つっ。と彼の冷たい唇が、そして、熱い舌が、私を撫でる。


 掠れた声で私たちはお互いの名を呼びあう。交わしあう。求めあう。

 唇と唇を貪り合い、肌と肌を絡めながら。


 やがて私たちはほぼ時を同じくして、絶頂を迎えた。


 彼の精液が私の腿を伝い

 私は果てて動けずにいる

 

 いつまでも忘れることの出来ない、雪の夜のこと。

 それは、私が娼婦としてでなく、初めて心から愛する人に抱かれた記憶。

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