第9章 惑星ローディ

25 つかの間の微睡み

 私たちは旅の目的地、惑星ヒモナスまでもう少しのところまで来ていたけれど、ここで宇宙船を、寄港地である惑星ローディにて途中下船することにした。

 名目は、麻薬商人によって酷い目に遭わされたイヴァンの療養、ということだったけれど、それよりかは、イヴァンの事件でショックを受けていた私の心のケアという意味合いが強かった。


 もっとも、イヴァンは表だってそうは言わず、逆に「俺のせいですまない」などと謝ってくれたけれど、それは彼の優しさで、何より私の精神的なショックを気にしてくれていたのは、言葉にせずとも伝わってきた。


 何しろ、イヴァンの殺人未遂事件以来の私の消耗ぶりは、我ながら、やわすぎる、と思うほど酷かった。

 イヴァンが病室から客室での療養に変わっても、私は、また彼の身に何か起こって、今度こそ、取り返しの付かないことになってしまったらどうしよう、という不安で夜も眠れず、泣いてばかりいた。

 当のイヴァンといえば、ゆっくりとだが、療養生活のなかで健康を取り戻していき、麻薬による中毒症状からもすっかり脱し、下船前には経過は良好と船医に太鼓判を押されるほどであったというのに。


 でも私がそのことを口にすると、決まってイヴァンはこう言って微笑むのだ。


「スノウ、君が、一生懸命看病してくれたからだ」


 私はそんな彼の優しさがありがたいやら、胸を苦しくするやらで、気持ちのやり場に困り、結局、またしても涙してしまうのだ。


 ともあれ、私たちは久々の有人惑星に降り立った。

 ローディは苔むした石が転がる岩だらけの惑星で、スフェーンのような美しさとは、ほど遠い星ではあったが、辺境星域ならではの、のどかさがあり、心を落ち着かせるにはもってこいの場と言えた。



 私たちは、今度はホテルには泊まらず、ローディの田舎に部屋を借りて、宿とすることにした。

 イヴァンの知り合いの大家さんが経営するアパートメントの四階にある、小さな部屋である。アパートメントは古びていたけれども、落ち着いたレモンイエローの外観といい、大家さんの手入れが行き届いた花と緑豊かな中庭といい、宇宙空間に疲れた私たちには、なんとも心安まる仮住まいだった。


 イヴァンと私は、そのささやかな憩いの空間で、静かに暮らした。

 近所の商店に野菜や肉を買いに行ったり、日当たりの良いバルコニーに椅子を引っ張り出して、心ゆくままふたりで眠ったり、近くの公園まで散歩に出かけたりした。


 夜は夜で、私は眠れなければ、遠慮せずにイヴァンのベッドに潜り込んで、甘えさせてもらった。もちろん、添い寝するだけの関係なのは変わらず。相変わらず、私が素振りを見せても、イヴァンは断固として私を抱こうとはしなかった。だけど、その代わりと言っては、とでもいうような不器用な表情で、ゆっくりと不自由な手を私の身体に差し伸べては、私が安心して眠れるように抱き寄せてくれる。


 好きな人が、私への思いやりの気持ちを、惜しむことなく与えてくれる、毎夜。

 それは私がそれまでに経験してきた、どんな情事での快楽より、愛しく、幸福で、陶酔できる瞬間だった。


 こんな幸せがあるだろうか。これを幸せと言わずしてなんと言おうか。このまま時が止ってしまえば良いのに、とすら私は思った。

 だけど、これは旅の途中の、ひとときに過ぎないのだ。私たちの旅は、唐突に始まったように、終わるときも唐突なのかもしれない。

 私は何より、それが怖かった。



 そんなある日の、午後のこと。

 私はいつもの日課通り、近くの商店で食糧を買い求めていた。買い物を済ませ、エレベーターでアパートメントの四階まで上がり、部屋のドアに手を掛けたときのことだ。室内からイヴァンと、誰かの声がする。大家さんが来ているのかな、と私はのんびり思いながら、ゆっくりとドアノブを捻ると、鋭い誰何の問いが飛んできた。


 久々に聞くイヴァンの厳しい声だった。


「なんだ、スノウか」


 振り返って私を認めたイヴァンの声は、もういつも通りの柔らかい声だった。

 だけど、私は部屋の中に、イヴァンの他に見知らぬ村人らしき男が数人いて、部屋の中央のテーブルに置いた何やら地図らしき紙を囲んでいる様子に、すっかり驚いて、その場に足が固まってしまった。

 すかさずイヴァンが私の方に歩み寄り、手を引く。そして、私をベッドルームに連れて行き、小声で囁いた。


「スノウ、すまん、ちょっとここにいてくれ」


 そんなわけで、私は何が何だか分からぬまま、あれこれの食糧を抱えた格好でひとりベッドルームに押し込められてしまったのだけど、その時間は、全然ちょっと、ではなかった。夕暮れ時になっても、男たちが帰る様子はなく、何やらイヴァンと会話をしているのが、ドア越しに聞こえる。もっとも内容は分からない。一体何事だろうと思いながらも、私は買ってきたレタスやトマトを足元に転がしたまま、いつしかベッドで寝入ってしまった。


 気が付けばすっかり夜の帳が下りていて、飛び起きた私は慌ててリビングのドアを開けた。

 すると仄暗いリビングの中にはイヴァンひとりが立っている。私は、ほっ、として彼に声を掛けた。


「イヴァン、お客さんはもう帰ったの」

「ああ。すまなかった、スノウ」


 部屋が暗かったので、彼の表情ははっきり見えなかったが、それはどこか沈んだ声音だった。私は訝しげに思いながらイヴァンに声を掛ける。


「電気、付けるね」


 部屋が明るくなり、私は途端に息をのむ。

 煌々と照明に照らされた部屋の中心で、イヴァンは自らのレーザー銃を片手に厳しい顔つきで突っ立っていた。


「イヴァン、何事?」


 イヴァンは私の問いに答えず、銃を杖に戻すと、ゆっくりと身体をドアに向け、こうとだけ言った。


「スノウ、今からちょっと出かけてくる」

「また、ちょっと、って! しかも、こんな時間に?」


 だが、イヴァンは無言のまま、扉を開けて外に出て行ってしまった。

 私は慌てて後を追ったが、エレベーターの扉は私の目前で無情にも閉まり、あっという間にメーターは一階を指していた。


 何やら階下で人の集まる物音がする。やがて、イヴァンの杖の音が、他の足音に紛れていき、すぐにそれも聞こえなくなった。

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