26 訃報

 それはその日の昼のことだった。

 スノウが買い物に出て行ってまもなく、部屋のインターホンが鳴った。


 珍しいこともあるものだと、俺が身体をよろめかせつつ、ドアを開けると、大家夫妻が立っていた。いや、夫妻だけではなかった。その後ろには村人らしき年老いた男たちも数人いる。俺は嫌な予感がしたが、無視するわけにも行かず、黙って部屋の中に入るよう促した。

 大家の夫人が部屋に入るや俺に言う。


「えっと、彼ら、村の世話役衆なんだけど、折り入ってあんたに話があるって……」

「話っていうか、あんたに頼みがあってね。あんた、元は腕の立つ軍人だったって本当か?」


 夫人の言葉を遮って、世話役衆のひとりがずかずかと俺の前に立つ。その態度と、俺の全身をしげしげと眺めて品定めするような視線に正直、むっ、としたが、大家夫妻の顔を立てて、俺はひとまず落ち着いた声で言った。


「腕が立つかどうかは知らないが、元軍人だというのは本当だ」

「そうだな、この目にこの身体じゃあ、腕が立つかどうかなんぞ、分かりっこない」


 その、まぜっかえすような言い草に俺は流石に顔を険しくさせたが、それを見て、大家の主人が、取りなすように慌てて俺たちの間に入った。


「あんたら、イヴァンは凄腕の軍人だよ。俺は彼を士官学校時代から知っているんだから間違いない」


 すると、男たちが、早速用件をとばかりに、俺に向かい合う。


「なら話が早いが、あんた、この辺に未だ敗残兵が潜んで、村に時々降りてきては物を略奪していく話は知っているか?」

「いいや、初めて聞いたが。……つまり、そいつらを俺に退治しろと?」


 俺は彼らの魂胆が分かってきたので、話をはっきりさせるべく逆に質問してやった。すると彼らは感心したように言う。


「あんた、頭の回転がなかなか速いな。そういうことだ」

「断る」


 俺は即座に返答し、彼らの希望を早々にへし折ってやった。

 だが、彼らは簡単に引き下がらない。


「なぜだ。理由を言ってみろ」

「妻が心配する」

「女かよ。ずいぶん、軟弱だな。本当に軍人だったのか?」


 俺の答えを聞いて彼らはどうやら、呆れたようだ。

 知るか、どうとでも言え、と俺は内心思う。スノウにこれ以上心配をかけないようにしたいのは、何より俺の本心そのものだった。俺の麻薬騒動以来、彼女が、相当精神を参らせているのは事実だ。俺は嘆息すると、そういうわけだから出て行ってくれ、とばかりに手を振った。


 だが、その手をぐい、と掴まれた。視線を投げると、それまで黙っていた一番年上らしい白髪の世話役が俺の腕を掴んでいた。彼が語を発する。


「我々だって、自分の力でやれれば、やる。だがな、俺らの村には今、若い衆がほぼいない。なぜか分かるか。全員徴兵されて、大半は戦死した。それはお前さんたち、軍人による命令によって犠牲になったからだ。それがな、この村の現実なんだ」


 その言葉とともに、村人が一斉に俺を睨み付ける気配を感じた。だが俺は視線を動かさず、黙って、彼の次の言葉を待つ。


「軍人さんよ、俺の言っていることが分かるか?」


 俺はしばしの沈黙の後、姿勢を変えぬまま、口を開いた。


「分かるつもりだ。俺に軍人のひとりとして、その責任の一端を取れ、ということだな」


 そう言いながら俺は一番痛い所を突かれたな、とひそかに息を吐いた。心がずっしりと重かった。

 白髪の世話役がそうだ、とばかりに頷く。村人の視線が痛い。


 俺は自分の退路を断たれたのを、感じざるを得なかった。



 作戦は早速その日の夕方に開始だった。俺はスノウに、出かける理由を言わずに部屋を出てきたことに、罪の意識を感じながら、集合場所のアパートメントの正面玄関に降り立った。久しぶりに手にしたレーザー銃は、病み上がりの身体にはいささか重かった。

 だが俺はそれを村人たちに悟られないように平気な風をして、村人に確認する。


「敗残兵は二名、村外れの渓谷に住処を作って、主に夜、活動している。それで間違いないな」

「そのとおりだ。間違いない」

「分かった。ではその渓谷まで案内してくれ」


 村人たちが頷いて歩き出す。村外れまでは徒歩で十五分の距離だ。杖を突いてのその距離は、やはりきついものがある。俺はなるべく体力を温存しなければと思いながら、歩を緩める。

 すると、隣を歩いていた村人が、俺の肩に腕を回す。見れば、あの白髪の世話役だった。


「すまんな、不自由な身体に無理させて」

「謝るくらいなら、依頼しないで欲しいな」


 俺はぶっきらぼうに返事した。だが彼は怒った風でもなく、しわがれた声で会話を続ける。


「誰にでも大事な存在がある。それを無碍にして、一介の軍人でしかなかっただろうお前さんに、この役目を引き受けさせたのは酷だと思っている」


 俺はそれを聞いて夜空を仰いだ。ああ、俺は見事にこの村人にはめられたんだな。お人好しの俺なんかより、よっぽど頭が良いじゃないか、畜生。


 そんな俺の胸の内を知ってか知らずか、彼はこう言って俺の肩を、ぽん、と叩いた。


「お前さんは立派な軍人だ。もっと誇りにしろ。さ、着いた。気楽にやってくれ」


 俺は村人たちから離れ、杖から銃を取り出して渓谷の岩陰に身を隠すと、息を殺してじっと兵士が現れるのを待った。

 息が詰まるような緊張感と研ぎ澄まされる感覚。まるで、戦時中に戻ったかのようだ。俺は自分が戦線に立った、幾多の戦地を懐かしく思い出す。


 あの血にまみれた日々、俺は誰のことを思って、歯を食いしばり、生きて帰ることを胸に刻んだのだろうか。今はスノウ、昔は。


 そうだ、ターニャにナターシャ。俺の愛しい家族たち。

 俺は彼女たちを愛していた。料理が得意で、明るくて、いつも俺を笑わせてくれたターニャ、ヴァイオリンが得意で「将来はヴァイオリニストになるの」が口癖だったお茶目なナターシャ。彼女らは俺の自慢の家族だった。彼女らを守れればと思えばこそ、どんな辛い任務にも耐えられた。


 だが、それがなぜ、になった?

 どうして、になった?


 そのとき、気付いた。

 俺は、今、確かに、一瞬だが、記憶の一部を引っ張り出すことが出来ていた。そしていつもの発作も、起きていない。


 どうしたんだ、俺は急に?


 そう思ったとき、俺の視界の片隅は、闇夜に紛れ蠢く人影を捉えた。

 俺はすかさず夜戦用のゴーグルを装着して、その方角を確認する。確かに人影が見える。数は、ひとり、ふたり。姿格好からも、彼らが、村人が言っていた敗残兵だと分かる。

 俺はレーザー銃を構えた。渓谷の岩に体重を預け、腕で固定した銃口を兵士たちに向ける。


 だが、狙うのは足だ。命まで取ってはいけない。戦争はもう終わったのだから。

 俺はそう念じながら照準を定める。


 兵士ふたりの下半身が見えると同時に、俺は引金を引いた。

 閃光が闇を切り裂いた。同時に兵士たちから悲鳴が上がる。一発、二発。


 俺はそれ以上撃つことなく、銃口を下ろした。

 全弾命中。どうやら、俺の射撃の腕は、思ったより衰えていなかったらしい。俺は安堵の汗を拭いながらゴーグルを脱いだ。村人たちが俺の後ろから一斉に駆け出す気配がする。彼らは、足を抱えて転がる兵士たちを捕らえて、村に引きずっていく算段だ。


 いつの間にか、俺の後ろにあの世話役がいた。俺に肩を貸してくれた白髪の男だ。彼は俺を見て呟いた。


「お前さん、噂通りの凄腕だな」


 俺はその言葉を受け流して、彼に向かって言った。これだけは言っておかねば、という大事なことを。


「いいか、奴らだって普通の兵士だ。とっ捕まえたからって、殺すなよ。ちゃんとそれなりの裁きを受けさせたら、解放してやってくれ。これは約束だ」

「分かっている」


 そう言うと彼は再び俺の肩に腕を回した。久々の実戦はやはり身体に堪えたので、彼の好意に甘えることにし、俺も腕を彼の肩に回した。そして俺たちはゆっくり、ゆっくり、渓谷を下り、スノウの待つアパートメントに帰っていく。



 アパートメントの正面玄関ではスノウが俺を待っていた。

 大家夫妻に全ての詳細を聞いた様子の彼女に、俺は、また謝らなきゃいけないな、と思いながら、スノウの前に立った。


 スノウは泣いてはいなかった。

 だが、黙って頭を下げる俺を、何かの紙で、ぺしっ、と叩くと、アパートメントの螺旋階段を勢いよく駆け上がって行った。

 俺は、唐突なスノウのリアクションに対応しきれず、頭上の彼女に向かって叫んだ。


「悪かった、スノウ! 君に何も言わずに!」

「謝ればいいってもんじゃないわよ! イヴァンの馬鹿!」


 そして彼女は階段の途中でいったん足を止めると、俺を睨んで言った。


「それ、アンナからの手紙!」


 俺は慌てて足元に落ちた紙を拾い上げる。スノウが俺に叩きつけていったあの紙だ。

 電子電報だった。客船から俺を追ってきたらしく、日付は一週間ほど前になっている。


 いきなり何だ?

 そう思いながら、びりびりと封を破り、浮かび上がる文字に目を走らせる。


 それは訃報だった。


「ターニャ ガ シンダ ビョウイン デノ カサイ ニテ」


 俺の手は知らず知らずのうちに、小刻みに震えていた。

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