22 偽りのスノードーム 

 スノウの体を張った活劇のおかげで、船の平穏は保たれた。

 船長は俺たちに、頭を下げ、スノウの勇気を最大限の世辞で讃えるが、俺の気は晴れない。何より、それしか方法がなかったとは言え、スノウを危険な目に遭わせてしまったことは、俺の心に重くのしかかる。


 もうちょっとなんとか出来なかったのか、俺は。大切な存在、とスノウのことを最早、強く認識しているのは確かなのに、情けないことだと俺は自嘲せざるを得なかった。


「それでですね、旦那さん。今回の件ですが」


 俺は顔を上げた。気が付けば船長が必死の形相でまだ話を続けている。

 こいつはいつまで客室に居座るつもりだ。そろそろスノウがバスルームから出てくる頃だというのに。疲弊しているであろう彼女に、これ以上、ややこしい話を聞かせたくない。俺は苛々としながら、彼の話に意識を戻した。


「なんだ、まだ何かあるのか。もう話は十分だろう。出て行ってくれないか」

「あ、いえ、もう二度と奥さまを含めて、ご夫妻にはご迷惑はおかけしません。ただ、最後にひとつだけ。今回の件は内密にしていただきたいのです」


 俺は船長を睨み付けた。


「話す相手もいないし、話したくもないがな、なぜだ」

「あ、その、この事件には麻薬の売人が関わっているのは確かでして。よって、その捜査が当局より入る可能性もあります。ですので、情報漏洩は控えたいところで」

「そりゃ、そうだろうな」


 そこで室内に響いていた水音が止まり、スノウがバスルームから出てくる気配がする。

 俺は分かったとばかりに両手を挙げると、船長の肩を無言で、ぐっ、と掴んで、半ば無理矢理、船室から押し出した。


「あの、くれぐれも、他言無用、お願い、します、よ!」


 ドアの隙間から船長が叫ぶ。

 そうしてもらいたいなら、廊下で大声出すな、大馬鹿野郎。

 俺は心の中で毒づいた。



「血の匂いって、なかなか身体から落ちないものなのね」


 振り返ればスノウがバスルームから出てきていた。服は着替えていたが、黒髪からは水がまだ滴っている。

 ぽたり、ぽたり、と彼女が歩くたびに髪から雫が床に小さく跳ねる。その雫が俺の靴にも染みる。気が付けばスノウは俺の目の前まで来て、まだ水気の残る体をそっと胸に押しつけてきた。


「ねえ、匂わない?」


 その仕草がなんとも色っぽく感じて、俺の心臓は一瞬止らんばかりだった。俺はそれを悟られぬように、慌てて脳裏から適当な言葉を探す。


「大丈夫だ。もう石鹸の匂いしかしないよ、良い匂いだ」


 実際、スノウの全身からは、石鹸の清々しくも甘い香りが匂い立っていて、結果として、俺は素直に思ったことを言って、動悸がする胸の内を誤魔化すつもりが、彼女の女体としての有り様をより強く意識することとなった。


 俺は思春期の少年か。


 そう心の中で自分を茶化してみたものの、俺は日に日にスノウを、子ども扱いできなくなっている現実におののく。このままでは、いつか衝動に任せて、抱いてしまうかも知れない。

 だが、それは避けたかった。妻とのことがまず決着が付いていないし、たとえ決着が付いたとしても、それでは、と体の関係になるのは、彼女の過去を考えると、無碍に傷つけてしまいそうで踏み切れないのだ。


 たとえ彼女がそうなることを望んでいても。いや、望んでいることを、知っていても。スノウにはすまないが、それが、そのときの偽らざる俺の本心だった。


 そこまで考えて、俺はあることに気が付いた。


「スノウ。もしかして、君の誕生日はもうすぐなんじゃないか?」


 本星を出立する日、つまり俺たちの旅立ちとなった日、トラムのなかでスノウは確かに言っていた。来月には十九になると。

 そして思い返してみれば、俺たちの旅はもう月をまたいでいる。

 艶やかな黒髪を拭こうとタオルを手にしたスノウは、素っ気なく言った。


「もう過ぎたわ」

「え? いつだったんだ」


 すると、スノウはやや言いにくそうに答えた。


「あなたがアンナと寝た、次の、次の日、だったかしら」


 なんてこった。

 俺たちがアンナのことで痴話喧嘩をしていた真っ最中に、スノウがそんな大事な記念日を迎えていたとは。俺は素直に謝ることにした。


「ごめん。全然、気が付かなくて。しかも、その」


 だがスノウは髪をタオルで拭きながら、笑う。

 

「ううん。気付いてくれただけで嬉しい」


 俺は咳払いをひとつすると、改まった顔つきでスノウに向き合った。


「十九歳の誕生日、おめでとう。スノウ」

「ありがとう、イヴァン。二十歳になる前に気付いてくれて」


 スノウが悪戯っぽく笑いながら抱きついてきた。俺は再び、匂い立つ石鹸の良い香りにむせかえる。俺はまたしても湧き上がってきそうな衝動を誤魔化すべく、あれこれ頭の中で考えを巡らせる。


 そうだ、彼女に何か誕生日プレゼントを贈ろう。

 俺にしては真っ当な思いつきだったと思う。

 あくまでも、俺にしては、だが。



 俺は早速、船のリラックスゾーンにあるモールに向かった。

 こんなことが、以前もあったような気がする。ターニャのために、そして、ナターシャのために、気の利いた贈り物がないか、幾つもの店を回っては、頭を悩ませた記憶。

 しかし、俺は、今は極力、それを考えまいとした。また発作が起きるのは明らかだったし、今日は何より、スノウのための贈り物を探しているのだ。だから、過去のことはこの際どうでもいい、スノウのことだけを思って店を回ろう。そう心に強く誓って。


 とはいっても、何が良いか皆目、見当が付かない。

 指輪を買ったときは簡単だった。あのときは、俺の義眼の破片で出来た、彼女の指輪の代わりになるものを探せば良かったから。だが、今度は何を贈ったらいいのだろう? アクセサリー、服、靴。

 俺は雑踏のなか、杖を突きながら、ゆっくりといろんな店を回って、ときに店員に相談しながら、彼女に何が似合うか、考えた。だが、何を贈ったらスノウは喜んでくれるのだろう。


 スノウ。おそらく、雪の降る惑星で生まれた、雪のような白い肌の娘。彼女が生まれた日も、その星には雪が降っていたのだろうか。


 そのとき、俺の目は雑貨屋のショウウィンドウに釘付けになった。

 そこに飾られていたのは、数え切れないほどの、スノードーム。小さな球体に閉じ込めた液体のなかで、きらきらと人工の雪が舞う。


 これだ、と俺は思った。

 スノウにぴったりじゃないか。その名前にだけでなく、その清らかな美しさにも。俺は勇んで店員に声を掛けた。


「ショウウィンドウのなかの、スノードームをひとつ買いたいんだが」


 店の奥で暇そうにしていた店員が、途端に、にこやかな笑みを浮かべ、寄ってくる。


「スノードームですか? どれでしょう。なんせ数が多いから。なかには非売品もあるんですよ」


 そう言われて俺は困った。

 たしかに、そこには中身や大きさも様々なスノードームが並んでいる。小さな家が閉じ込められたもの。人形が閉じ込められたもの。台座の形や色も多彩だし、両手で抱えなければ持てないようなものから、掌に載るサイズまで多種多様だ。

 その中からひとつとなると、これまた選ぶのが難しい。それにしても凄い数だ。俺は店員に尋ねた。


「ここはスノードームの専門店なのか?」

「いや、そういうわけではないのですが。たまたま、店主の趣味で多く扱っているだけで」


 店員は変わらずにこやかに応じたが、俺はどこか、その出し惜しみをするような態度に引っかかりを覚えた。普通ならもっと積極的に売りつけてくるのではなかろうか。しかも、ショウウィンドウには、通常、売れ筋の商品を並べるものだろう。


 そんなことを考えながらも、俺の目はショウウィンドウのなかを泳いでいたので、店員の目が怪しく光ったのに全く気が付かなかった。俺の五感がとらえたのは、店員のこんな声のみだった。


「お客さま、商品、店の奥にもたくさんございますので、どうぞご覧下さい」


 俺はその言葉に促され、店員の案内のままに店の奥に足を向ける。


 攻撃は急だった。

 俺が店の奥にたどり着き、外からの死角に足を踏み入れた瞬間、俺は後頭部に鋭い一打を食らった。俺は何が起こったか咄嗟に理解できず、呻きながら、思わず店員の方を見る。

 店員の表情は豹変していた。彼はいつの間にか手にしていた棍棒で、膝から崩れおちる俺の頭を執拗に殴りつける。


「何で気付かれたんだ?」

「さあ」


 俺は意識が途切れる寸前、店員たちのそんな声を聞いた。



 意識が戻れば、俺は船内のどこからしい、暗い一室の床に転がっていた。何度も殴られた頭がずきずきと痛む。

 俺は訳が分からなかった。どうしてスノードームを買いに来てこんな目に遭わなきゃいけないのか。


 だが、困惑しているのは、俺を見下ろす複数の冷たい視線も同じようだった。


「どうしてバレたんだ? 俺たちが麻薬ヤクの運び屋だと」

「スノードームのなかに溶かしておけば分からないと思ったんだが」


 そんな声が降ってきて、俺は瞬時に状況を理解した。

 そうか、無数のスノードームのなかにあったのは、水溶性の麻薬か。なるほど、あれならバレない。よく考えたものだ。どこかの星に着いてから精製すれば、さぞかし純度の高い麻薬にあのスノードームは化けるのだろう。


 だが、感心している場合ではなかった。


「うっ!」


 奴らのひとりが俺の顎を掴んで、口を開かせると、液体を流し込んできた。俺は咄嗟に吐き出そうとしたが、奴らは俺の口を手で塞ぐ。


「ほら、ちゃんと飲め」


 命じられるまでもなく、気が付いたときには俺はそれを飲み込んでしまった。

 ほんのりと甘い味のする、なんとも気味の悪い液体だった。


「どうだ、高濃度の経口麻薬の味は。安心しろ、そのうち気持ちよくなる。もっとも致死量は超えているから、気持ち良いまま死ねるさ」

「死因は心不全あたりで片が付くだろう」


 奴らはそう言って部屋を出て行く。


 ふざけるな!


 俺はそう叫んだ、叫んだつもりだった。だが、体中を麻薬が回り始めた俺の口は動いたのかどうか。

 それを確かめる術もなく、俺は酩酊し暴走していく意識のなか、ひとり冷たい床に転がった。

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