12 祈り
「次、会うときはスフェーンでな」
いったい、俺は、何度、戦友とその言葉を交わしただろう。数え切れないほどの、永遠の別れの挨拶。
それが何の因果か、生きて俺はこの星に流れ着いてしまった。新婚旅行ごっこも悪くはなかったが、やはり、俺はこの星に来たからには、あの言葉を交わした多くの友が眠る墓地に、行かねばならないのではないか。
幸か不幸か、あの爺さんに一撃食らわされてから、俺の心の底に無理矢理沈めていたその気持ちに、ようやく火が付いた。
そんなわけで、スノウの父の墓参を理由にして、俺は今、スフェーンの巨大な墓地のなかをスノウと歩いている。幾つもの墓標が並ぶ緑地帯、そして歩道は雨でぬかるみ、俺たちの靴を泥で汚す。
だがそんな雨の中でも、結構な人数の墓参客が見受けられる。多くの人が花を抱え、墓標に祈りを捧げていたり、または、静かに佇むだけの人もいる。泣き崩れる人も僅かだが見かけた。俺はそれを複雑な思いで眺めながらも、ゆっくりとした足取りを止めることはなかった。
「ねえ、イヴァン」
ひとつ傘の下、黒髪を半分雨に濡らしながら並んで歩くスノウが、唐突に声を掛けてきて、俺は一瞬、びくり、とした。
「今日のイヴァンは、なんか、怖いわ。静かすぎて」
「墓参りに陽気なテンションで行く奴もいないだろう」
「そりゃ、そうだけど。なんていうか、なんか考え込んでいるようで、話しかけづらいわ」
そう言いながらスノウは、ぴたり、と俺に体を寄せてくる。
伝わってしまいそうだ。俺の頭の中の逡巡が。
あの湖畔での爺さんとの言い合いで、俺は偉そうなことを言ってしまったけれど、この戦禍の責任を何も取っていないのは、俺も全く同じだと、スノウを見るたびに思い返される。父を失い、結果として体を売るところまで堕ちざるを得なかったスノウ。たしかに、俺だって顔の半分と体の自由を失いはしたが、それでも「軍人」という身分だけでずいぶん、マシな思いをして、のうのうと生きながらえている。
軍人。
まったく俺らというのは、厄介なご身分だ。あのタクシーの運転手の言ったことは、全くもって良くある話で、俺らに比べて、戦地における徴兵された一般兵の命の軽さといったら、話にもならなかった。そんな身分にあったが故か、生き延びてしまった俺は、どう生きていくべきなのだろう。
その念は日に日に大きくなるばかりだ。しかも家族のことだけとはいえ、記憶が欠落してやがる。
俺がこうやってスノウと旅をしているのは、無意識の罪滅ぼしのためなのだろうか。彼女をあの悲惨な境遇から連れ出して、どうにかして幸せにしてやろう、という。
幸せ。スノウの幸せとは、じゃあ、なんだ。
俺と結ばれることか?
だが、果たして、俺はそれに応えてやれる立場なのか?
俺は、それすら分からない自分がもどかしく、腹が立って仕方がない。
「ここだわ」
スノウが立ち止まった。
気が付けば、墓地の中央部分まで俺たちは来ていた。スノウが半分濡れてしまった案内図と、地表に打たれたエリアナンバーを見比べて呟いた。
そこには大きなセラミックのモニュメントがあった。そして、無機質なセラミックの面には無数の戦没者名が刻まれている。そのなかからスノウは、必死に父親の名前を探している。
やがてどうにか、父の名前を探し当てたスノウはその名前を指で擦りながら、ポツリと呟いた。
「ただ、名前だけなのね」
そして彼女は雨に濡れながら、困ったように俺を見た。
「ねえ、イヴァン、花はどこに置いたらいいのかしら?」
俺は、手にした花をモニュメントの下に、そっと置いた。
「ここに置いていこう。地べただが、気持ちは伝わるさ」
「そうね」
そして俺たちは、傘を畳み、モニュメントの前に跪くと、しばらくの間、黙祷を捧げた。
やがて、先に顔を上げたのは、スノウだった。
「イヴァン、もういいわ。私たち、風邪引いちゃう」
俺はスノウに引っ張られるように立ち上がった。雨が俺たちの身体を濡らしつつあった。スノウは傘を開くと、元来た道を引き返し始める。俺はスノウの傘に潜り込み、冷えた彼女の肩をそっと抱いた。
「何を祈った?」
「なんにも。だってあんなモニュメントになんて、何を祈ったら良いか分からない。実感もわかないわ。イヴァン、あなたは?」
「俺も同じだ」
「そうよね」
スノウは、ふふっ、とさみしげに笑った。そして、俺の顔を、そうっ、と窺いながら、こう聞いてきた。
「そういえば、イヴァン。あなたの奥さんのお墓はここにないの?」
「妻は一般市民だったと思う。たぶん。だから、ここにはいないはずだ」
「そう」
俺らの会話は、その日、あまり長く続かなかった。
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