11 雨の墓地

 スフェーンを、明日には出発するという日になった。


 幸い、イヴァンの首の傷の経過は良く、スフェーンを出立する明日には包帯も外せそうだ。とはいえ、手当てした医者から「できるだけ安静に」と言われた以上、またピクニックと洒落込む訳にもいかず、イヴァンはずっとペンションの窓の外を見ている。

 あいにく、私たちの気分を映すかのように、外は雨。木々の葉からはじかれた雨の雫が行き場もなく、つぅーっ、と窓を伝い落ちる様子は、今、まさに、あてのない旅をしているような私たちふたりの姿のようだな、と思った。


 一方、先日のイヴァンと一悶着起こした老夫婦の訪問以来、イヴァンは何かを深く考え続けているように私には見えた。話のなかで出た、戦争の記憶を辿っているのだろうか。


 この星に来ることは、イヴァンたちに軍人にとっては、死ぬこと。

 その星に、今、私とこうして流れ着いて滞在している、不思議。


 そこには人生のいろんな皮肉がこめられているように、軍人ではない私でさえ、感じるものがある。


 そんなことを考えていると、イヴァンが急に私に話し掛けてきた。


「スノウ、君の戦死したお父さんは軍人だったのか」

「いいえ、普通の商人だったわ。徴兵されて出兵したの。それまではウィリアム街で私たち一家、雑貨屋を営んでいたのよ」

「そうか。で、お父さんの遺骨は帰ってきたのか」

「ううん。宇宙空間での戦闘で死んでしまったようだから、何も遺らなかったみたい。紙切れ一枚の戦死公報が来ただけだったわ」


 イヴァンはそれを聞いて表情を曇らせた。薄いブルーの左目もやや影を帯びたように見える。そして金髪を軽く振って私の顔を見ると、彼は唐突に思いもよらぬことを提案してきた。


「スノウ。お父さんの墓参りをしないか。ここの軍人墓地には一般兵を弔ったエリアがある」



 一時間後、私たちはペンションを出、宿の主人が呼んでくれたタクシーのなかにいた。

 軍人墓地へと向かってくれるよう、イヴァンが太っちょの中年の運転手に告げると、こんな返事が返ってくる。


「あんたたちもかい、今日は墓参りのお客さん、多いですな。こんな陰鬱な雨の日は、リゾート気分に浸れないからって、そういう算段かね」


 それを聞いてイヴァンは、むっ、とした表情を一瞬見せたけれど、先日の短気を反省してか、怒りを口には出さず、こう答えた。


「妻の徴兵された父親が墓地にいる。その墓参りに行くんだ」


 それを聞いて運転手の口調が途端に和らぎ、次いで、多弁になった。彼はふくよかな腹を片手で叩くと、言葉をぽんぽんとリズミカルに繰り出し始める。


「ほほう。そりゃ失礼をば。そうか、そうですか、市民だったわけだね、うん、だったら私も同じだ。私もですね、徴兵されてようやくこの故郷のスフェーンに戻ってきたばかりなんですよ。ま、戻ってきたところで仕事もないから、こうして運転手をしているわけでね。それでも帰ってこられただけ、運が良かったですよ。なんせ軍人ときたら、我々一般兵には、とにかく偉そうで、そのくせ最前線には私らを惜しみなく出すものだから、たまらなかったね」


 イヴァンは運転手のおしゃべりに耳を傾けている。私はひやひやした。だって、イヴァンはこの運転手がこき下ろしている軍人のひとりだったわけだから。だが、イヴァンはブルーの片目に鋭い光を溜めたのみで、ただ、黙まりこくっている。


 やがて雨にかすんだ緑の向こうから、丘陵と大きな灰色のゲートが見えてきた。そこがスフェーンの大規模な軍人墓地の入口だった。

 

 タクシーを降りると、幾人もの白い服を着た花売りの女が私たちに群がってくる。イヴァンはそのうちのひとりから、白いトルコキキョウの花束を一束買うと、さっそく足早に墓地へと向かう。

 私は、イヴァンの体、特に首の包帯が濡れぬよう気を遣いながら、傘を差す。雨はいよいよ激しく、墓地に降り注いでいた。


 墓地は実にシステマチックかつ簡素で、ゲートにある雨ざらしの機械に、戦死者の市民コモンコード、または氏名を打ち込むと、部隊ごとの墓所への案内図がプリント・アウトされるという仕組みだ。私は父のコードを忘れてしまったので、懐かしい名を機械に打ち込んだ。

「ドナルド・フイユ」

 すると何人もの同姓同名の戦死者がモニターに現れた。顔写真と生年月日、在住地のデータも併記される。私は画面をスクロールしながら、そのなかに記憶の底にある父の面影を探す。


 あった。


 私は父のデータをプリント・アウトして、それが濡れぬよう気を配りながら、墓所のエリアを確かめる。


「F区画-五〇四だって」

「F区画か、墓地のちょうど中央部だな。ちょっと歩くぞ」

「首の具合は大丈夫? イヴァン」

「このくらいの散歩、たいしたことないさ。行くぞ」


 イヴァンは花束を片手に、杖を突きながらもできる限りの早足で、止まぬ雨のなかを歩き始めた。私はひとつしかない傘を慌てて掲げ、彼の後を追う。


 私は今日のイヴァンの寡黙さが、ちょっと、怖かった。

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