10 死と生の星

 艦橋に交差する乗組員と、俺の怒号。

 そして響き渡るのは、オペレーターの悲鳴。

 その瞬間、俺はの名前を絶叫した。


 視界が白く染まり、やがて闇に反転し、そして再び、ひかりが満ちる。

 禍々しい人工のレーザー砲の光線ではない、やわらかな午後の陽のひかりが。



「イヴァン」


 俺の視界には、丸太を組み合わせたペンションの天井、そして今にも泣き出しそうな顔のスノウが映っていた。

 気が付けば俺は、宿泊している部屋のベッドに横たわっていた。そうだ、俺はあの忌々しい爺さんに、首筋に一撃やられて、気を失っちまったってわけか。俺としたことが、情けない。


 しかし、今の生々しい夢は何だ?

 目覚めた俺の脳内を、慌ただしく、複数の思考が交錯する。


 だが、今はまずスノウを抱きとめてやるのが先だ。俺は黙ってスノウの頬に手を伸ばし、そっとその白い肌を撫でた。


「心配かけたな。すまん」

「イヴァン! よかった、もう目覚めないかと思ったわよ!」


 俺の指先をスノウの涙が濡らす。一筋、また一筋と透明な涙が彼女の目から零れ落ちている。俺はスノウの頭に両手を回すと、ぎゅっとその黒髪を抱きしめた。


「すまんな、俺はどうも短気でな。いかんとは思っているんだが」

「本当よ、喧嘩っ早いにも程があるわよ、あんな老人に!」


 そう言うスノウの顔には、涙顔ながら、安堵の色が宿っている。先ほどは青ざめていた白い頬にも、生気が戻ってきていた。俺は自分の短気で、彼女に、どえらい心配をかけたことを、心の底からすまなく思った。


 俺には今、この子がいるんだ。俺を慕って共に旅をしているこの子が。


 目覚めの「悪夢」の記憶は消えつつあった。だが何だろう、この、俺の心にいつの間にかに湧きつつある、ひとりでない、という安堵感は。そしてその裏返しの感情、ひとりになること、大事な存在を失うことへの底知れぬ恐怖感は。

 一体、この感情は、どこから。


 俺はまだ痛む首筋を擦った。

 そこにはぐるり、と包帯が巻かれている。その厚みから、思ったより出血が酷かったことを知る。まったく、あのじじいめ。せっかくのスフェーンの思い出が台無しじゃないか。まだまだ、この星の美しい景色をスノウに見せてやりたかったのに。


 そんなことを思ったとき、部屋のインターホンが鳴った。スノウがドアのモニターに駆け寄る。そして、あっ、と声を上げた。

 部屋に入ってきたのは、湖畔で出会い、そして俺と一悶着起こした当の老夫妻だった。



「本当にさっきはすまなかった。申し訳ない。私の短気で、旦那さんに怪我をさせてしまって」

「せっかくの新婚旅行の思い出を、ごめんなさいね。どうか主人を許してやって下さい」


 部屋に入ってきた老夫妻は、ソファーに座るように促すスノウを無視して、土下座せんばかりに平身低頭している。俺は苦笑して、ベッドの上から、ゆっくり半身を老夫妻の方に向けると、こう言った。


「いや、俺の方も言い過ぎました。非礼を許して頂きたいのはこちらも同様です。どうか顔を上げて下さい」


 その俺の言葉で、老夫妻はようやく顔を上げる。そしてまじまじと俺の顔をふたりは改めて見つめると、老紳士が口髭を震わせながら、ゆっくりと口を開いた。


「旦那さんは、よく似ているんだ。私たちの亡くなった息子に」


 その言葉に好奇心をそそられた俺は、いささか無遠慮ともいえる質問を投げかけてみることにした。


「失礼ですが、息子さんはどちらの戦役でお亡くなりになったのですか?」

「第一次ルージェ戦役でだ。あの子は航海士として哨戒艇に乗船していたが、偵察中に敵の砲撃を受けてな。そのまま宇宙の藻屑となったよ」


 その戦役は、俺も記憶していた。なぜなら最前線に俺も従軍していたから。

 絶え間ない爆撃音と閃光、それを掻い潜って艦艇の砲撃手として敵を撃ち落とし続けた五日間だった。

 俺の乗っていた船も最後には被弾し、隣の砲台にいた奴は運悪く飛散した破片に腹を貫かれて死んでいった。むせかえる血と臓物の匂い、それに奴の断末魔は、未だ脳裏に生々しい。あれは激しい闘いだった。悲惨きわまりない戦場だった。


 そうだ、俺たちは目前に敵の戦艦が現れるたびに言ったものだ。

「次、会うときはスフェーンでな」と。 

 そして俺は何の因果か、今、生きて、スノウとスフェーンにいる。



「皮肉なもんだ」


 老夫妻が部屋を出て行ってからしばらくして、俺はポツリと呟いた。

 スノウが何事かと俺を見る。


「俺は何で、生きてスフェーンここにいるんだ」


 ゆっくりと、スノウがベッドに近づき、そっと黙って俺の手を握る。そしてもう片方の手で首の包帯を優しく擦り、俺の目を見てちいさな声で囁いた。


「私がいるから、そんな理由では、駄目?」

「いや……」


 そうだな、と即座に言ってやることが出来ない自分が、俺はそのときもどかしくて仕方なかった。ただ静かに、スノウの手を握り返すのみの自分が。


 ペンションの主人が生けてくれた、窓辺の紅い薔薇の花弁が、はらり、と落ちた。

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