第6章 虚空 Ⅱ
13 女友達
また新しい宇宙船での旅が始まって、私とイヴァンは再び宇宙空間の旅人となった。
イヴァンと私の距離は、次第に近づいているように思え、何より人前で私のことを「妻」と呼んでくれているのが嬉しかった。でも同時にそれは便宜上でのことであり、私は相変わらずイヴァンの「同行者」でしかないのが現実であることも分かっていた。
私の指先で、キラキラと光るアクアマリンの美しさは変わらないのに。それどころか、イヴァンのあの綺麗な左目を見つめるたびに、ことさらこの指輪が愛しくてたまらなくなるのに。
イヴァンへの思いが募るたびに、私は彼の記憶のなかの空白、イヴァンの家族のことを思い巡らす。
思い出してほしくない。彼がその記憶を思い出したとき、それはおそらくこの旅路の終わりだ。私は、そのときどうなるのだろう。私も、この身体に刻まれた忌まわしい記憶を、忘れることが、出来ているのだろうか。
出来ない気がする。今、イヴァンがいてくれるからこそ、私はそのぬくもりのなかで、心穏やかにいられるけれど、彼が去ってしまったら、私は自暴自棄になって、また同じ道に堕ちてしまう予感がある。
「スノウ、雪を見たいと思わないか」
私は見たい。知りたい。自分の名前の由来となった「それ」を。
でもその清らかで白い「それ」を見る代償に、旅が終わり、イヴァンとの別れが訪れるなら、私はその場で、雪の中に埋もれて死んでしまいたい。そうして初めて、私のやり場のないこの身体と記憶は、浄化されるのではないか。
無機質に過ぎる船内の時の流れのなかで、私はついついそんなことを考えてしまう。
今度の船の旅は、海賊の襲撃も指輪の盗難もなく、ひたすら穏やかだ。
そんな時間のなかでも、イヴァンは杖と、そのなかに仕込まれたレーザー銃のメンテナンスに余念がない。今日も船室内で、黙々と杖をいじっている。
「習性みたいなものだな、軍人の」
彼はそう苦笑する。そしてまた鉄の棒に視線を移し、黙りこくって無骨な指でそれを磨き続ける。
いけない。このまま彼を見つめ続けていると、また、よからぬ考えのループにはまってしまいそうだ。私はソファーから立ち上がると、大きく伸びをしながら船室のドアに歩み寄った。
「スノウ、どうした」
「ちょっと船内を散歩してくるわ」
私はそう言って扉を開けると、船室の廊下にそっと身を滑らせた。
今度の船は今まで乗ってきた宇宙船のなかでは最大級の規模だった。指輪盗難事件のあった前の船より大きい。
よって、船内にはちょっとしたショッピングモールや、カジノなどの娯楽施設、スポーツジムなども併設されていて、どこまでも清潔なひとつの街みたいだ。リラックスゾーンと名付けられたその中を、私はぶらぶらと、あてもなく歩いていた。私みたいに退屈した乗客も多くゾーンに繰り出している。スフェーンからの墓参の帰りと見られる軍人も目立ち、そしてその中には、医療従事者らしき人もいる。
そうか、病院から墓地に遺体を運んで、また職場に戻る人もいるんだ。
ぼんやりとそんな事を考えながら、賑やかなモールを歩いていたそのとき、私は、突然見知らぬ女性に腕を捕まれた。
驚いて相手を見ると、軍医の軍章を胸に付けた、金髪の女性だ。彼女は私の腕を掴んだまま、険しい表情でこう言った。
「あなたは、イヴァンの何なの?」
「え?」
唐突の出来事に私は口籠もった。
まさか、この船に、イヴァンを知っている人が乗っているとは。途端に胸の動悸が高まる。不穏な方向に。そんな私にかまわず、女性は私の手の指輪を指さして、押し殺した声はそのままに、再び私を詰問する。
「あなたとまさか、再婚したの?」
「え、いや、これは」
困惑した私は、いつものようにイヴァンの「妻」を装う余裕もなく口籠もる。そして次の彼女の一言に、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。
「そうよね、妻が生きているのに、ほいほいと再婚するような奴じゃないわ、彼は」
「妻……奥さん、が、生きている?」
私は掴まれた腕の痛みも忘れて、女性の顔を唖然として見た。
イヴァンは確かトラムの中で言っていなかったか。「妻は死んだ」と。
でも彼の家族の記憶は曖昧だ。そうすると、彼の奥さんは生きていて、そして、この人が、そうなの?
私は思わず叫んだ。
「じゃあ、あなたが奥さんなんですか?」
すると、女性はやや苦笑気味に言った。
「やだ、まさか。私はただの女友達。士官学校からの友人よ」
友人。私の身体から力が抜けた。
でも、と、いうことは、イヴァンの過去、ひいては家族のことを知っているんだ、この人は。どうしよう、イヴァンにこの女性のことを伝えるべきか。でも、そうしたら、でも。
モールの雑踏のなかにありながら、私の頭は、突然のことにパニックだ。
そんな私の様子を見て、女性が言った。
「どうやら、あなたは詳しいことを何も知らないようね。じゃあ、イヴァンに会わせてくれないかしら? 直接、話がしたいわ」
私は断ることも出来ず、結局、どうしたものかと思いながらも、彼女を船室に案内した。パス・コードを打ち込み、開いたドアの隙間から私はイヴァンに、おどおどと告げる。
「イヴァン。お客さんよ」
「アンナ!」
ドアの向こうから現れた女性を見てイヴァンが叫んだ。どうやら、この女性のことは、イヴァンは覚えているようだ。アンナと呼ばれた女性は、かつかつ、と軍用ブーツの音を響かせて、断りもせず部屋に入るやいなや、イヴァンの前に仁王立ちになる。
「久しぶりね、イヴァン。さあ、再会の抱擁の前に、あなたがなぜこんなところで、こんな年端もいかない子と一緒にいるか、説明してもらいましょうか?」
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