3 初めての夜

 ヒモナス行きの船は、空っぽだった。

 おかげで私とイヴァンは、一番安い船室の切符を買ったのに、一等船室とまでは行かないけれど、そこそこ、立派な船室をあてがわれた。クリーム色を基調にした室内のインテリアは、宇宙船のなかとは感じられないほどに、落ち着きと高級感がある。


「そりゃあ、ガラガラだろうな、終戦の今、母星に帰ろうという客はいくらでもいるだろうが、駐屯地としての価値しかない辺境の星に向かう客なんぞ、余程の、もの好きしかいないだろうよ」


 イヴァンは船室に入るやいなや、さっさと部屋着に着替えると、ふわふわの羽布団が敷かれた上質のベッドに寝転がって言った。いや、寝転がった、というよりかは、杖を手から離すと、半ばベッドに倒れ込むような格好で身を横こたえたのだが。

 その様子から、私は彼が、相当疲れているように見え、心配になった。そういえば、さっきのトラムの中でも具合が悪そうだったし。私は彼のベッドに近づき、イヴァンの顔をのぞき込んだ。

 至近距離で見る彼の左目はやはり綺麗で、私はその瞳に触れたくなる衝動を必死で押さえ込んだ。


「イヴァン、大丈夫?」

「この一日、いろいろあって疲れただけだ。スノウ、君も寝ろ。船内時間はもう消灯の時刻だ」


 イヴァンはやや顔をしかめながら、そう私に言うと目を閉じる。

 所在なげになった私は、もうひとつのベッドに腰掛けた。やがて船内の照明が、すっ、と暗くなった。

 イヴァンの言うとおり、この船内にも夜が来たのだ。


 仄暗い船室で、私もとりあえず着替えはしたものの、ベッドに身を横たえて良いものかどうか、迷った。それは私にとっての「夜」のいつもの「習慣」から来るもので、私は傍に男性がいる夜更けの時間、相手の承諾も取らずに眠ることはなかったからだ。許されなかった、というべきか。そんなことをしたら、容赦のない殴打が飛んできかねない。

 私はその感触を思い出し、身を固くした。そしてイヴァンに声を掛けた。


「いいのですか?」


 イヴァンが寝返りを打ってこちらを向く気配が伝わる。


「何がだ」

「私は、あなたの相手をしなくても、いいの?」


 彼は暗闇のなか、不自由な身体をゆっくりと起こし、私の顔を見た。表情までは分からない。怒っているのか、それとも、喜んでいるのか。しばらくして、どちらでもない声がした。戸惑いの感情が滲む声だった。


「何、馬鹿なことを言っているんだ。君はまだ子どもだろう、大人をからかうな」

「からかってなんかないわ。それに私は子どもじゃない」


 私のその声には、少しだけ怒気が含まれていたかもしれない。私には分からなかった。彼が容易に、傍らの女に手を出す種類の男性でないことを喜ぶべきか、それとも悲しむべきなのか。


 混乱した私の唇から、ぽろり、と本音が零れる。


「抱きたかったら、そうして」


 僅かの間を置いて、イヴァンの声が暗い船室に響く。呆れ、もしくは困惑をぎりぎりの線で堪えた、どこまでも怒号に近い声音だった。


「スノウ、自分を安売りするな。どこかの売女じゃあるまいし」


 それだけ言うとイヴァンは再び寝返りを打ち、私に背を向けた。やがて彼の寝息が聞えてくる。

 私の目には知らず知らずのうちに涙が溢れていた。それが安堵ゆえのものか、または落胆してのものなのか、自分でも判別が付かない。


 その夜、私は膝を抱え、声を殺し泣いた。

 それが、イヴァンと私の初めての夜だった。

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