1-3 連れていって
それから毎日というもの、私は鉄くずを集めながら、合間を見ては路上に視線を投げた。
あの人がまた、落としものを探しに来ないか、気が気でなかったのだ。似た背格好の人を見ては、期待と落胆を繰り返す私の心。そんなときは、指先の指輪を眺めて気を落ち着かせようと試みた。
だが、駄目、かえって心が痛んでしまう。青い石があまりにもあの人の瞳に似すぎていて。
夜も、入れ替わり立ち替わり現れる客に抱かれつつ、頭の中ではあの人のことを思ってしまっていた。
ただ路上で二回会っただけの人。それなのに、泣きたいくらい、今抱かれているのがあの人ならと願ってしまうくらい、私はあの人に会いたくてたまらなかった。たとえ、夜の客として現れたとしても、かまわない。最後はそんな気持ちになるくらいだ。
可笑しかった。だとしたら、今、私を抱いている男と、あの人に、何の差があるというのか。私を夜な夜な汚すことに喜びを感じている、この客と。私はどうしたら良いのだろう。湧き上がる正体不明の感情に自分自身、戸惑う。
時々、これが恋というものなのか、と考えたりしてみる。でも、そんな自分が幼すぎるように感じてならない。それに、恋だの愛だのに酔いしれられるような、人間なのだろうか、私は。もうそんな身体ではない。私は。
私は、諦めることに、もう、慣れすぎている。
でも、そのはずなのに。忘れられないのは、なぜ。
二週間あまりが経った。青い石の指輪は相変わらず私の指先にある。でも、この色の瞳の人とは、もう会えないのかも知れない。そんな諦めが少しずつ胸に広がりつつあった。
こうして、また、少しずつ、諦めていって、やがて、なかったことになってしまうのだろうか。あの人のことも。そしていつもの昼と夜が、永遠に続くのだ。
それが私の人生なのかも、しれない。今日も夕闇が迫り、私の心は淀む。
そのとき。私の前に人影が覆いかぶさった。彼だった。
だが、喜ぶ間もなく、彼は私の手をいきなり掴むと、自分の方に引き寄せる。次いで私は、傍のじめじめとした仄暗い路地に勢いよく引っ張り込まれた。
「軍人さん! どう……」
「しっ!」
口を塞がれ、私は咄嗟に思った。襲われる、と。
しかし次の瞬間、路地に別の軍人が飛び込んでくる。あの人は、迷いのない手さばきで杖を振るい、その軍人を殴りつけた。派手な音がし、殴りつけられた軍人は横転する。私は目の前で何が起こっているのか分からず、恐怖に身体が震えるのを感じた。
あの人はそんな私に向き直ると、私の指からいきなりあの指輪を抜き取り、思い切りよく投げ捨てた。
私は悲鳴を上げた。
「何をするの!」
「すまない、君の大事な指輪を。だが、あの「石」は危険なんだ。あれを持っている限り、君は彼らに追われる……」
「え? どういうことなの?」
「悪いが、それを話している暇がないんだ」
いったい何が起こっているのだろう。
困惑して、何から聞けば良いかが分からなくなり、私はただ呆然としてあの人を見る。
すると、彼は思うように動かない身体を必死に弄って、ポケットから見たことない量の札を取り出し、私の掌に載せるではないか。
「え?」
「この街にいると、また狙われるかも知れない。この金で、行けるところまで行け……あと……」
そして、彼は反対のポケットから艶やかな赤いビロードの小さな箱を手に取ると、それをも、私の掌に載せる。
心臓の鼓動が、早くなる。どき、どき、どきり。
私は数瞬の躊躇の後、黒く汚れた震える指先で、箱をそっと開いてみた。すると、驚くべきことに、なかには、金の指輪が収まっているではないか。しかも、輝く石の色は、薄いブルー。
そう、眩いばかりの、彼の左目と同じ色彩。
「綺麗! 軍人さん、これは?」
「アクアマリンだよ。さっきの指輪のかわりだ。奪うばかりじゃ、君に申し訳がなさすぎるから」
彼はそれだけ言うと、唖然としている私に背を向けて去って行こうとした。その後姿を見て、私は我に返った。
嫌、と私のなかの誰かが叫ぶ。行かないで、と私のなかの激情が叫ぶ。
気が付いたとき、私は彼の腕を強く掴んでいた。彼の体温が私の鼓動をさらに刺激する。そして、口からは自分でも思わぬ言葉が、漏れ出ていた。
「軍人さん、どこかに行くなら、私も一緒に連れて行って。片目だけどね、綺麗な色の目をした男の人だなあって、初めて会ったときから思ってた」
言ってしまった。胸の鼓動は最高潮に高まり、頬が、かっ、と熱くなる。
あの人は驚いたように私を見つめていたが、やがて黙って私の汚れた手を取ると、あの綺麗な色の目で私の顔を覗き込み、囁いた。
「俺みたいな素性も知らぬ男に、付いてくると言うのか?」
「連れて行ってほしいの。もうここにはいたくないの。お願い」
私は懇願した。それにただならぬものを感じたのか、あの人は頷きながらこう言った。
「わかった。とにかく、ここは離れなければ。行こう」
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