第十四話 二人の姫君


 百姓姿の逍風居士は、無心に矢を射続ける少年の肩にぽんと手を置いた。少年は立ち上がり振り向く。陣笠から見える顔は泥だらけ。薄い唇はくやしげなへの字に結ばれている。


「弓矢が尽きた」

興奮気味の甲高い声で叫ぶ。聞き覚えのある声。


「あ、あの少年は波利姫様か」

「そうだが、今頃気づくとは、ずいぶんとにぶいことよ」

「では、あの逍風居士の隣にいたのは、小梅か」

小梅は笑顔の可愛い娘だが、あんなに姿形も美しかっただろうか。

二つ折り編み笠のせいか。


「うむ、本物の姫より、よほど品が良くて姫らしい。かたい花のつぼみが、いつの間にか満開となった。唇に紅を付けている。女子おなごの育つのは花よりも早い。この戦で他国の兵たちに落花らっか狼藉ろうぜきされるとは、つくづくしいのだが、姫の替え玉として使う。先に逍風居士と姫と小梅を行かせる。俺たちは後ろから三人について行く。長槍ではだめだ。少し短いこの槍に変えろ。険しい山道を行くから杖代わりにもなる。小梅は肌も良いが後ろ付きも、なかなか.....」

鼻の下を伸ばしてにやにやしながら矢助が言う。


「何だと、そんなこと」

竜ノ介は耳を疑う。やがて、もやもやとした怒りが湧き上がる。


「戦が始まる前に逃げればよかったのだが、姫は敵と戦わずして逃げるのは嫌だと言う。だから、少しの間だけ矢を射らせた。山の上の曲輪には我らを見知る、風魔の者がそれぞれ二人ずつ待っている。近づいても敵と間違われることは無い」

矢助が言う。


その言葉に竜ノ介は少しだけ安堵あんどして、怒りを静めた


「爺、わらわは中の曲輪、中ノ丸へ立ち寄りたい。中山勘解由に会いたい。勘解由の奥方のさち殿は薙刀なぎなたの名手。女武者として戦うというではないか。さすがじゃ。女も戦をしたいのだ。わらわも共に戦うとしよう」

無邪気に波利姫は言う。


「いいかげんしろ。これ以上わがままを言うでない。しゅうとしゅうとめに会いたいという気持ちはわかるが、おまえに何かあったら、わしは許嫁いいなずけの中山助六郎様に顔向けできぬ。それに、何よりも御館様が悲しまれるであろう。大人しく、この爺のあとをついてまいれ」


「ふん、つまらぬ」

   

 御主殿の西の奥にある殿の道へ向かう。最も早く山頂へ着くことができる道だ。逍風居士を先頭に三人が登って行く。その少し後に矢助、竜ノ介が続く。おそるべし風魔の里の者たち。小梅の話しによれば、風魔の里は山深い。砦が山頂にあるらしい。だから山道に慣れているのか。姫も小梅も足の早さが常人ではない。軽い粗末な物だが甲冑を着けているせいか、体が重い。滝のような汗で着物が絞れそうなほど濡れている。ふと気づくと、竜ノ介は一人だけ離れてしまった。

 

 かなり山道を登って来た。道が少し広くなっている場所で、四人は足を止めていた。ようやく追いついた竜ノ介は息を切らしながら、姫の前にひざまずく。胴の下のふところから、汗に濡れた色の巾着袋を取り出して、うやうやしく差し出した。


「波利姫様、これを」

「何じゃ、汗臭い。中身は短刀か。風魔の杖があるから、いらぬ」

姫は怪訝けげんな顔をする。


「これは守り刀です。どうか、お納めください。そして」

竜ノ介は言いかけた言葉を飲み込んだ。


「姫、せっかくの家臣からの贈り物。もらっておけ」

逍風居士が笑顔で言う。


「仕方がない。だが何故なにゆえ、わらわに」

姫は汗に濡れた巾着袋を、指でつまんで竜ノ介に投げ返すと、勢いよく短刀を抜いたさやから、朝露がこぼれ落ちてきらめいた。そんなはずはないが、竜ノ介の目にはそう見えた。


「わらわは刀剣のことは、よくわからぬが。これは名刀じゃ。下原刀の名工が作刀したものか。わらわを守ってくれるに違いない。月の光を集めたような美しい刀」


姫は心から喜んでいる。竜ノ介は無言で頷くだけだった。己が打った刀だとは言いだせない。だが、生まれて初めて刀を褒められて、天にも昇る心地がした。


刀の姿に見とれながら、名残惜しそうにほうの木の鞘に納めた。逍風居士の腰から手ぬぐいを奪い、短刀を包み大事そうに懐へ入れる。竜ノ介は深く頭を下げた。小梅が近寄って来て、立ち上がった竜ノ介の顔を見上げる。


「ああ、竜ノ介様からの守り刀。姫がうらやましい」

涙声でつぶやき、うつむいた。


折り編み笠のせいで顔はよく見えないが、明らかに小梅は怒っているようだ。汗で濡れた緋色の巾着袋を、その柔らかな手に握らせた。


「すまん、あげられるような物は、これしかない」

「ふふふ、嬉しい。竜ノ介様の汗の匂いがいたします」

その甘い声音こわねを聞くと、どうやら機嫌を直したようだと思い、ほっとする。


「ふん、竜ノ介がそんなにいいのか。何ならわしのふんどしをあげようか。いい匂いだぞ」

軽口をたたく矢助の腕を小梅は黙ってこぶしで殴りつける。


「痛い。風魔の女子は気性が荒くて困る。わしがおまえを女にしてやったのを忘れたか。初めての男だというのに、まったくつれないな」

矢助が口をとがらせて言うが、誰も聞いてはいない。



「しっ、誰か人が来る」

逍風居士が囁いた。


四人は素早く地面に体を伏せたが、体の大きな竜ノ介は一瞬遅れる。


「あそこに誰か居るぞ」


「やれやれ、見つかっちまったか」

矢助がめんどくさそうに、立ち上がった。


どこから来たのか、六人の敵の雑兵が岩陰からこちらの様子をうかがっている。逍風居士は腰に差していた鎌を手に取った。


「おい、そこの爺、そんなびた鎌で、これから山の草刈りでもするのか。子どもと若い女がいるな。ひひひっ、こっちによこせ。売れば金になる。その前に存分にかわいがってやる」

そう言いながら一人が岩陰から飛び出してきた。


その時、何か黒いものが勢いよくが飛んだ。それは鎌の尻に繋がっている、先に小さな分銅ふんどうの付いた鎖だった。ぐるぐると敵兵の首に巻き付く。たまらず鎖を緩めようと、槍を手放して両手で首を押さえてもがく。逍風居士は老人とは思えぬ力で鎖をぐいと左手で引き寄せる。敵を近づけると喉を鎌で切り裂いた。


「ぎゃー」

鮮血が飛び散る。何が起こったのかわからぬうちに雑兵は絶命した。


「鎖鎌か。おのれ、ただの百姓じゃないな」


思いがけぬ仲間の死を、あっけにとられて見ていた雑兵たちは、血の匂いに身震いしながら我に返る。槍を突き出し身構えたが、逍風居士は鎖鎌を自由自在に操つる。たぐり寄せられた鎖が再び勢いよく放たれていた。狙いを定めた一人の雑兵のこめかみに、鉄の重りが命中。雑兵はばたりと倒れる。


 矢助が地面を蹴るように飛ぶ。敵の首を狙って横一文字に刀を斬りつけた。その素早さによけきれず、敵は喉を切られて絶命する。     

 

 竜ノ介は仁王立ちで、五尺の槍を地面と水平に構えた。すると、その姿に恐れをなしたのか、兵たちは岩陰からじりじりと離れて後ろに下がっている。竜ノ介は岩の上に飛び乗った。槍を頭上に大きく振りかぶり、逃げようとする敵の頭を狙いながら飛び降りる。細い木を竹の皮で幾重にも巻いた強靱きょうじんな槍が大きくしなる。敵は一撃で倒れて山道を転がり落ちていく。竜ノ介と槍が一つの凶暴な生き物となる。うなり声を上げながら新たな獲物を求めて、勢いよくしなる。もう一人の敵の頭も叩きのめす。そして、槍を握った手の内を滑らせて喉を突くと、命が消える音がした。はっと我に返り震える。


「おれは、初めて人をあやめてしまった」

「いいぞ、さすがは姫の槍足軽。槍をしごく動きが早くて、正確だ」

矢助が褒める。


 岩の向こう側では、小梅が姫を守るように抱きしめていた。いざという時はみずからがたてになるつもりだ。大柄な雑兵の一人が小梅を連れ去ろうとして、両腕を伸ばして掴みかかった。


「きゃあ」

絹を切り裂くような小梅の悲鳴と同時に、雑兵が地面に崩れ落ちる姿を竜ノ介は見た。小梅の小さな手に血塗られた分厚ぶあつい刀身の諸刃の包丁のような刀が握られている。敵の正面から懐に飛び込み、鎧の隙間すきまから胸をつらぬいたらしい。


「小梅、やるな。いいのを持っているじゃないか。それは備前刀びぜんとうだな」


小梅はこくりとうなづき、雑兵の衣の袖で血をぬぐった。

「これは、父の形見の鎧通よろいどおしです」


「ほほほほ、小梅はいのしし料理が得意なだけあって、肉をさばくなど朝飯前じゃな」

姫も杖に仕込んだ細身の刀を抜いていた。


「この小梅が付いておりますから、姫様には指一本たりとも触れさせまぬ。姫様のお刀が汚れなくて、良かったです」


敵の雑兵たちをほふった。熱く血生臭い風が山の草木を揺らすなかで、仲の良い姉と弟のように、姫と小梅が手を繋いではしゃぎ、跳ねている。



「この者たちは真田の雑兵のようだが、どうも山の中腹が騒がしい。まさか、北側のからめ手から、さらなる大軍が来ているのか。忍びの者でも難儀するような深い渓谷と滝とけわしい山道を登ってくるとは、信じがたい。だが、もしや八王子城の築城に深く関わった者が道案内をしているとすれば、さもありなん。搦め手の大将は前田利長と直江なおえ兼継かねつぐ。油断ならぬ。ここで雑兵たちと遊んでいる場合ではない。先を急ぐぞ」


 竜ノ介は、逍風居士が激しく苛立いらだつ姿を初めて見た。

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