第十三話 初陣


 あたりに響くのは雷鳴らいめいか地鳴りか。大地が揺れている。互いに撃ち合う鉄砲の音で耳が潰れそうだ。陣笠の被りひもがあごに食い込むほどきつく結びながら、竜ノ介は奥歯を噛みしめる。そして槍を握りしめる。様々な音の洪水の中、法螺貝の音色が苦しげに夏空にしがみつく。



 御主殿広場を見渡すと白い小袖に袴姿の男が目に飛び込んできた。あの夜、舞台の上で見た清涼な白波。猿楽の衣装を纏った宗阿弥が、手に白樫の杖を持って立っている。その顔を見た竜ノ介は驚く。顔が真っ白に塗られていた。人肉でも食らったかのように、唇にたっぷりと紅をつけている。宗阿弥と目が合った。


「今朝は化粧が濃くて薄気味悪い。化け物のようだと笑われた。腹立たしい。口の悪い憎らしい小鬼め。そんなに紅が濃いか。厚化粧か」

いつものように話しかけてきた。


「いえ、お美しいですが、宗阿弥様は腹当などは着けぬのですか」

人質とされている老人や子どもたちの中には、腹当てや古い鎧を着けている者が何人もいる。


「ははは、そうか、美しいか。おまえは誠によくできた若者じゃ。化粧に手間取って、うっかり腹当てを着けるの忘れていた。これから着けてくる」


竜ノ介の言葉に宗阿弥は寂しそうに微笑む。その笑みは確かに、御館様の御持仏に似ているかもしれないと、竜ノ介は初めて思った。


「宗阿弥様は、ずいぶんと落ち着いてますね。いくさが怖くはないのですか」

「かき消すように失せにける。それだけのこと」

「それは、どういう意味ですか」

「わしは、これまで舞台の上で幾度も死者を演じてきた。だから、死ぬのは慣れている。怖くはない」

「はあ、そういうものですか」

竜之助は不思議そうに白塗りの顔を見つめる。


「戦は弱い者を痛めつける。家や田畑を焼かれて、あるじせがれ、孫を亡くして泣くのは、女や子ども老人ばかり。戦は愚かだ。だが男は戦を止められぬ。ここに連れてこられた人質たちも哀れじゃ。一人の武将の後ろには、何千何万ものむくろ累々るいるいと積み重なっていく。

 御館様が造ってくださった、わしの宝もこの世から消える。八王子城の猿楽舞台、もうじき炎に焼かれて灰となる。竜ノ介よ、達者でな。どうか無事にあの小鬼を連れて、この巨大な山城を出られることを祈る。早くここを立ち去るがいい」

宗阿弥の目は赤黒くよどみ、笑った口元が悲しげにゆがむ。



 南には太鼓曲輪と溜池堀。御主殿は山下曲輪とあんだ曲輪の守将の近藤助実が守るはずだったが、すでに討ち死にした。金子曲輪と梅の木谷は金子家重が守将となって激戦を繰り広げている。北と西は険しい山。山頂の本丸を守るのは八王子城の城代の横地よこち監物けんもつ、三の丸を狩野一庵、二の丸を大石照基、中の丸を中山勘解由が守る。北のからめ手を守るのは小田野城の城主、小田野源太左衛門。それぞれの曲輪には多くの屈強な北条の兵たちがいるが、御主殿のある御殿曲輪には兵がほとんどいない。

 

 猿楽舞台のある庭は南端にある。舞台の裏には小さな松の木と膝下ほどの低いさくがあるだけで、さえぎる物は何も無い。溜池堀の向こう側の太鼓曲輪から、人一人がやっと通れるほどの細い山道を下って来る、上杉の兵たちがよく見えた。


 弓隊の中にすり切れた胡桃くるみ色の小袖に白のたすきを掛け、ほこりまみれ紺色の袴を着けた少年が一人いる。左膝を地面に着けて弓をかまえている。背筋が伸びた凜とした姿で、上杉の兵に向かって矢を射る。


「ううむ、弓上手な百姓の子か。弓が小さいな。半弓というやつか」

矢は次々と溜池堀の向こうの敵兵を射貫いた。見事な腕前に竜ノ介は思わずうなる。


 

 溜池堀は城山川をき止めて造られている。向こう岸から石を積み上げた堰堤えんていに、曲芸さながらに飛び乗る兵が現れた。若く身軽な上杉の兵の一人が堰堤を走って渡って来る。あっという間に、御主殿の下の堤腰曲輪に着いた。一人が成功すると次々と他の兵もやって来るが、でこぼことした石につまずいたり、濡れた石に足を滑らせ、川底へ落ちて流されていく兵もいる。


「わしらも手伝う」

人質の数十人の老人や女と子どもたちが、あたりの曲輪から響く恐ろしげな雄叫びや、鉄砲や音にひるむことも無く、御主殿から飛び出して来た。八王子の有力な町衆や土豪の家族たちだった。

 

 御主殿広場の南側に大小様々な石を積み重ねて戦に備えていた。皆それぞれ石を掴む。堤腰曲輪にたどり着いた上杉の兵に投げつける。堤の上を走ってくる兵へ向かって投げる者、細長い手ぬぐいを使う老人もいる。布の片側を手首に縛り付けて赤ん坊の頭ぐらいの大きさの石を、布の中心に包みもう片側を持つ。手首を中心にしてぐるぐると回して勢いをつけ、その石を遠くの敵に飛ばした。堤の上を走っていた一人の兵の顔面に当たった。兵は後ろに倒れ、堰堤から転げ落ちて流されていった。


「どんなもんだ。わしは昔、印字打ち名人だった。歳はとったが、まだ腕は衰えていないぞ」

人質たちは手を叩いて老人を褒めた。皆の士気が高まっている。


だが、敵の数は多い。石を投げても投げてもやってくる。陣笠が敵兵の頭を守っていた。


「あそこに、ここから溜池堀の水辺へ下りることのできる狭い階段がある。

竜之介、やつらが階段を見つけて登ってきたら長槍で叩き落とせ。突き殺してもいいが、おまえは決して下りるなよ」

「よし、わかった。まかせておけ。人一人やっと通れるほど石段だ。守るのはたやすい」

竜ノ介の声がかすれている。


「何だ、槍を持つ手が震えているじゃないか。怖いのか」

矢助がからかう。


「違う、これは武者震むしゃぶるいだ。おれは初陣なんだぞ」



 階段の近くには、腰の曲がった年老いた百姓が杖を支えに、やっと立っていた。腰には鎌を差している。その横に撫子なでしこ色の小袖に、裾の細くなった小豆あずき色の袴。折り編み笠を深く被った女子おなごがいる。口元しか見えないがぞくりとするほど美しい。兵糧ひょうりょうでも入っているのだろうか。大きな籠を捧げ持っている。もしや老人は逍風居士こと風魔小太郎か。ということは、あの女子は波利姫。


「その籠のなかには一体何が入っているのですか」

竜ノ介は逍風居士に問う。


「わしが造った風魔秘伝の焙烙ほうろく玉じゃ」

竜ノ介がのぞき込むと、蹴鞠けまりのような黒く丸いかたまりが二つ入っていた。


「陶器の中に火薬と鉄の破片を詰めている。矢助、堤腰曲輪に上から落としてこい」

「なるほど、これで、やつら御主殿に来るのをあきらめますね」

竜ノ介は胸をなで下ろした。


「それはどうかな」

そう言いながら、矢助が続けざまに火を着けた二つの焙烙玉を上から投げ落とす。


 焙烙玉は、どすんと下腹に響く轟音を立て、地を揺らしてぜた。御主殿の下の堤腰曲輪が半分崩れ落ちる。命懸けで堤の上を渡ってきた上杉の兵たちの四肢が、血しぶきを上げてばらばらに飛び散る。煙と共に首と、上杉笹の紋の入った陣笠が宙を舞う。まだ若い兵の首が口を開き、何か言いたげな目でこちらをにらみながら、落ちていく。竜ノ介は恐ろしくなり頭を抱えて地べたにへたり込み、嘔吐おうとした。



「これで、しばらくは焙烙玉を恐れて、向こう岸から堤を渡って来ることはない。だが、もうすぐ東の通用口門を破り前田と裏切り者の大道寺の大軍が来る。その前に、ここから出るぞ」

逍風居士の曲がった腰が伸びている。頼もしい初老の男の姿となった。





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