第七話 馬上舞と大身槍(おおみやり)
(一)
冷たい小雪に頬を撫でられる。調練で熱く
「痛ええ。これ本物の槍だったら串刺しにされて死んでいるな、おれ」
「おまえ、おれの目を見ていたか。一瞬、目をそらしただろう。見ていれば次にどう動くか、わかるはず。ぼんやりしているからだ」
「いや、違う。ちゃんと見ていた」
悔しそうに口答えする。その細い目のせいか、動きが全く読めなかった。悔しいが林蔵は達人だと思う。
調錬が終わると、練兵場にある武器庫の中で林蔵と竜と他の足軽の五人は、
「錆びている槍がたくさんある。そろそろ研ぎに出さないと、切れ味が悪いだろう」
「ふん、おまえ人を切ったことがあるのか」
年輩の足軽がからかうように話しかけてきた。
「あるもんか」
「へえ、おいらはあるぜ。敵兵の首を切って落とした。包丁みたいに短い刀でな。今度やり方教えてやる。おまえ刀鍛冶だったのなら、槍ぐらい研げよ」
「できない。研ぎは難しい」
「ふん、体がでかいだけの役立たずめ。何でもやってのけるようでなければ、足軽は務まらんぞ」
男は濁った目で見下すように言う。
日頃、穏やかな竜が相手を睨みつけた。
「おい、宿舎へ帰ろう。雪が酷くなりそうだから、穴掘りは休みだ」
二人の間に林蔵が割って入る。
「馬鹿、相手にするな。爺の八つ当たりだ。行こうぜ。錠をかけるぞ」
竜の耳元で囁く。
外へ出ようとした時、陣笠を被って獣毛の袖なし羽織を着た騎馬武者三騎が、練兵場に軽やかに駆けて来た。三騎は勢い良く場内をぐるぐると回る。艶やかな美しい毛並みの栗毛の馬に乗っている。
「誰だろう。いい馬だ。けっこう身分が高い武士だぞ。外乗りした後に走り足りなくて、ここに来たのか」
「あれ、うちの殿と若殿ではないか。勘解由様と助六郎様だ。もう一人は小姓か」
勘解由の特徴のある硬そうな、白髪交じりの縮れた長い髪と髭が陣笠からのぞいていた。
「おや、あれは
「そうだ、小姓じゃない。あれは姫だ。雪の中で馬の稽古とは」
あきれ顔の林蔵だった。
「何だって。あれが姫、てっきり小姓かと思ったぜ」
「ほんとうに姫なのか。陣笠で顔がよく見えないが、
「だが、女だてらに馬をあれだけ乗りこなせればたいしたものだ」
武器庫の戸口に隠れて見物している四人の男たちは、好き勝手につぶやき合う。
姫は左手で
「おお、桜の花びらが」
四人はざわめく。
馬を駆けさせながら、姫が天を
「不思議だ。雪が桜色に見えてきた」
「これは馬上舞というものか」
「なるほど、風情があるな」
いつの間にか姫の頬もほんのりと桜色に蒸気していた。見守るようにゆっくりと駆けている勘解由と助六郎が、ぱちぱちと手を打って褒めたたえている。
「何だそれ。二人がどうしたって」
一人の足軽がその言葉に食いついてきたが、林蔵と竜はそ知らぬ顔をする。
「おい、そこの者たち槍を持て」
突然の勘解由の
「はい、ただいまお持ちします」
林蔵と竜は風のように素早く武器庫の奥へ行き、柄が短く持ちやすい槍を探し出した。そして駆け寄る。竜は勘解由に、林蔵は助六郎に槍を両手で馬上に差し出した。
「うむ、おまえは確か、わしが
「はい、竜と申します」
「時々、調練の様子を見ているが、槍が上達してきたな。良い武者になれ。いつまでも竜という名では武者らしくない。今日から竜ノ介と名乗れ」
「は、はい、ありがとうございます」
竜は腰が抜けて、その場に崩れるように座りこみ、深々と頭を下げた。
「邪魔だ、馬に蹴られるぞ、下がれ」
助六郎が怒鳴る。
重い槍を片手で持った二人が広場を勇壮に駆け回る。時々、両手を手綱から放して、槍を持ち替えたり頭上で振り回すが、二人の体は安定していて揺らぐことがない。
助六郎は若竹のようなしなやかさで父親の後を追う。
「重い槍を片手で持っているのに、凄い早さで駆けているな」
「恐ろしい、あんなのが来たら、一目散に逃げるぜ」
小声で囁き合う林蔵たちだった。
小雪が止み、練兵場には柔らかな薄日が差し込んでいた。やがて、親子は馬上でゆっくりと槍を交え始める。親が子に技を伝授している様子だ。
竜ノ介の胸は高鳴っていた。槍を握った時の節くれだった太い指。厚い胸板と幅の広い肩。彫りの深い顔に刻まれた無数の傷。だが、勘解由様は決して荒々しいだけの武将ではなかった。どこか悲しそうで優しい目をしておられる。あの目で、おれのことを見ていてくれた。温かい方だ。ああ、馬はいいな。実家にも馬がいた。馬は好きだ。だが、兄たちのように上手く乗れなかった。おれも高麗流八丈馬術を身につけたい。こんな風に人馬一体になれたらどんなにいいだろう。いつか勘解由様のような騎馬武者になりたい。
波利姫は練兵場の片隅で馬の足を止めて、二人の姿を目に焼き付けるかのように、じっと見つめていた。
(二)
翌日、屋敷の助六郎の居室に一人通された林蔵は、緊張した面持で座る。
「これからのことを話す。わしは御館様と供に手勢を連れて小田原に行くことになったが、親父殿は八王子城に残る」
助六郎の顔は
「そうですか、承知いたしました。
「ここに呼び出したのは他でもない、おまえに大事な役目を頼みたいのだ」
「はい、どのようなことでしょうか」
「八王子城に残ってくれ。戦の時に御主殿にいる波利姫の守り役をして欲しい。もしもの時は姫を連れて城から出てくれ。
「恐れいりますが、それはお断りします。助六郎様のお
暗い顔でうつむく。
「うむ、竜ノ介にやらせようと思う。あやつは土豪の
竜におれの代わりをやらせるだと……
「申し訳ありませんが、こればかりはお許し下さい。
林蔵はゆっくりと顔を上げる。
悔しい悲しい寂しい情けない様々な思いが渦巻き、やり場の無い怒りによって林蔵の声と体は震えていた。助六郎様の脇を守ることができるのは、おれだけだ。側を離れるのは嫌だ。それならば、いっそう殺してくれ。林蔵の目線の先には、黒漆の
「そうか、おまえは足軽の分際で、わしの決めたことに従えないというのか。そんなに死にたいというのなら。望みを叶えてやろう」
林蔵の目線の先に気づき澄んだ目が潤み、への字に口がゆがむ。
助六郎は両膝をつき体を斜めに捻ると、左手で鞘を握り刀の鯉口を切る。次の瞬間に右足を立て、右手で林蔵の喉元をめがけて真横に刀身をはらった。
ああ、おれの首が切られて落ちる。ここで死ぬのか。林蔵は目をつぶった。
「波利姫のことは、心から信頼しているおまえにしか頼めない。他に誰がいるというのだ」
刀を抜き身のまま
「涙をお拭きください。確かに竜ノ介は実直で頼もしい若者です。
それならば、姫の守り役は竜ノ介にすればよいではないですか」
「実は、それも考えたが、竜ノ介はあの通り見目の良い若者。姫と歳も近い。いつも
「某が貧相な
「いや、そういうわけではない」
決まり悪そうに目をそらす。
「助六郎様という
雑兵たちの噂話が真実かどうかわからないが、口から出任せを言うしかない。
「何、それは本当か。それなら間違いが起ることはないな」
「某は三年前から、助六郎様の槍勝負の脇として稽古を重ねて参りました。必ずや
その日の夕刻、小田原城へ行く者と八王子城へ残る者の名が告げられた。中山家の宿舎は大騒ぎとなった。林蔵と竜ノ介は互いに顔を見合わせる。
「これまで、世話になりました。おれは八王子に残れて良かった。勘解由様の下で戦えるのは光栄だ」
竜ノ介が満面の笑みを浮かべて言うと、林蔵は無表情でうなずいた。
「助六郎様がおまえに話しがあるそうだ。屋敷へ今すぐ行け。おれも付き添ってやるから」
「あれ、顎に血が滲んでますけど、どうしたんですか」
林蔵は無言だった。いつもと違う神妙な様子に戸惑いながら、竜ノ介は助六郎の居室へ向かう。
助六郎から竜ノ介は、波利姫の護衛役をするようにとの命を受ける。その代わり、姫が無事だったあかつきには、できるかぎりの望みを聞くという。
「中山家の馬廻り衆になりたい」と言いたいところだったが、あまりにも過ぎた願いだと思い「高麗八丈流馬術に入門させていただきたい」と言うと、助六郎は笑顔で快く承知してくれた。傍らに控えていた林蔵も安堵した顔をしている。
(三)
北条氏照が四千の兵を引き連れて小田原城へ向かう朝が来た。城に残る兵は三千。その中の一人に竜ノ介もいる。八王子城が雪で白く化粧を施される前。冬晴れの朝だった。留守を守る見送りの兵たちの群れが、大手門前の広場を埋め尽くし、その熱気で寒さを感じさせない。
大手門から騎乗した氏照が漆黒の装束で現れる。黒い鉄兜の前立てには、今にも天に登っていくかのような、大きな銀色の龍が輝く。取り巻く武者たちも黒一色。勇壮な黒備えの軍団が行く。広場に集まる見送りの兵たちから、さざなみのように「おおおおおおお」という低い歓声が沸いた。
氏照の後ろを歩く槍持役の槍に竜の目は釘付けとなる。間違いない。あの槍は
あの槍によって、おれの生き方が変わったのだ。あの大身槍の注文が無ければ、おれは勘解由様と鍛錬場でお会いすることもなかった。薄暗い小屋で
「すまん、榧丸、小田原で会うことはできなくなった」
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