第八話 八王子城の門番


「ふあああー」大きな欠伸あくびをする


 八王子城のいくつかある門の前に、日がな一日立っている。ふわりとした春の陽光に包まれて、いつも午後は眠気の中。槍足軽の調練には出ているが、波利姫はりひめの守り役ということで、城普請には加わらない。槍を持って腹当てを着けて、一日中御主殿に不信者が入らぬように見張る門番をしていた。

 

 目の前には昨年、林蔵と歩いた山の尾根が見える。尾根には敵の侵入を防ぐため、たくさんの曲輪や堀切が造られていた。城山川の水音が心地良い。


 大手門を入り大手道をしばらく歩くと、城内の出入口、攻防の要所となる枡形ますがたをした虎口こぐちがある。そして二階門櫓にかいもんやぐら、重厚な石垣に囲まれた石段を登り御主殿正門に至る。竜ノ介は土塁で囲まれた城しか知らなかった。八王子城の山道にも石垣はあるが、ここまで壮麗で立派な石垣と石段を見たのは生まれて初めてだった。


「何だこれ、すごい、すごいぞ」

何度も石垣を撫でたり押したり、その感触を楽しんだ。最後には足裏で蹴る。

 

 石垣は織田信長の安土城を真似たという噂を聞いた。なんでも安土城を訪れたことのある重臣の間宮綱信がこの城の普請ふしんをしたとか。御館様は小田原城の普請をされたり、他国との交渉役をされたりと忙しいお方だ。織田とは仲が良かったのだな。織田と同盟を結び、北条家は関八州の支配をより強めるはずだったが、信長は死んじまった。

 

「それにしても、おれだけこんなに呑気のんきでいいのか。戦が迫っているというのに」

石垣に話しかけてみる。


 以前は口から生まれたような、うるさいほどよくしゃべる林蔵がいつもかたわらにいた。ただ話を聞いて相づちをうち、笑っていればよかった。今は話し相手も無く、寂しく独り言。山の上の曲輪では兵糧や弾薬を運び込んだり、見通しを良くするために木を切ったりと、忙しく兵たちが動き回っている。


 風に運ばれた草花の匂いが鼻をくすぐる。御殿谷の鳥のさえずりを聞き思い出すのは、あの笑顔と透き通った声。


「榧丸は元気かな。会いたい」

 

 日々が大きく変わった。中山家の宿舎を出て、通用門脇の小屋で四人で寝泊まりしている。他の二人は竜ノ介よりもかなり年上で口数の少ない足軽。もう一人は三十歳ぐらいで、いつも酒臭い。飯は御主殿の厨房で用意される。これが美味い。まだあどけない年若い下女たちが飯を運んでくれる。おれの顔を見ると恥ずかしそうに、にこにこと笑う娘がいる。何度も目が会う。下女のわりには丸顔で色白。つぶらな瞳とえくぼがとてもかわいい。おれに気があるのかもしれない。


「それにしても、おれは姫の守り役だというのに、一度も姫に会っていない。いったい、どうなっているんだ」

不安がつのる。



「おや、あの 葦毛あしげの馬に見覚えがあるぞ」


主殿の通用門と正門に立つことが多いが、昼過ぎに引橋を渡り、大手道を東へ下った所にある大手門口に立っている。すると曲がりくねった細い道を騎馬武者が一騎、ゆっくりとこちらへ向かって来る。竜はじっと目を凝らす。


「やはり、あの馬は土方ひじかた家の白雲しらぐも

眠気が吹き飛んだ。


「おお、そこの門番殿、もしや竜ではないか」

「あ、三郎兄さん」


 馬を下りて駆け寄り、懐かしそうに竜ノ介の肩と腕を平手でバシバシと叩く。

竜ノ介は馬のたずなを引き、その温かい首に触れた。


「白雲よ、懐かしいな。覚えているか。いつかは、よくもおれを振り落としてくれたな。痛かったんだぞ。あれ、前はもっと綺麗な馬だったのに爺さんになったな。餌をちゃんと食べてるか」

兄よりも先に、馬に話かけていた。


「ははは、五年もたてば、人も馬も変わる。ずいぶんと体の大きな門番だと思って見惚れていたら、どこかで見た顔。まさか五年前に家を出た実の弟だったとは。見違えたぞ。刀鍛冶になったと聞いていたが、なぜここにいる」

まぶしそうに目を細めて竜ノ介を見た。


「中山勘解由様に声をかけられて、刀鍛冶をやめて中山家の槍足軽になった。今は竜ノ介という名で門番をしている。兄さん、ここから先は入れないよ。母さんや村の皆は元気かい」


 遠目には騎馬武者に見えたが、兄はみすぼらしい野良着姿。白雲と同様に痩せて筋張っている。日に焼けた肌は黒光りしている。眼光鋭く隙のない身のこなしは、誰が見てもただの百姓ではない。だが、今ではおれのほうがでかくなっていい着物を着て、手には立派な槍を手にしている。


「なんと、そうだったのか。我が土方ひじかた家は先祖代々武勇に秀でている。さすが中山勘解由は人を見る目がある。幼い頃から槍の稽古をしていたのが役に立ったというわけだな。皆変わりない。

 ところで、豊臣秀吉が箱根山に本陣をおいたそうだ。もうじき北条の支城に大軍が押し寄せてくるぞ。すでに上野こうずけ国の大道寺政繁の松井田城で戦が始まっている。前田利家、上杉景勝、真田昌幸ら北国勢に攻められて籠城しているらしい。どこの支城も小田原へ多くの兵を出しているから大変だ。ここでの戦いも厳しいものになるぞ。いよいよ武蔵の土豪の三沢十騎衆の出番だが、どうなることかわからない」

そう言うと竜ノ介から目をそらし、空を仰ぎ見る。


「兄さん、わからないとは、どういう意味だ」

「うむ、口がすべった。お前だから言うが、三沢十騎衆は豊臣と北条のどちらにつくか、今迷っている。先祖代々の土地を守るのが、我ら土豪の役目。八王子城に入った後、村を豊臣の好き勝手にされては困るのだ」

「何だって、北条を裏切るつもりか」

兄に詰め寄った。


「いや、だからまだそれは決めていないと言っただろう。大切な土地を失うかもしれない。北条には恩があるが、昔は良かったが、近頃は戦に借り出されるばかりで暮らし向きは苦しくなった。今日は城普請の様子を見に来たのだ。そうしたら、八王子城の大手門におまえが立っていたから驚いた。懐かしかった。くれぐれも気をつけろよ。犬死にだけはするな」

互いに見つめ合うが、兄の目は夜の沼のように暗く底知れない。


くそっ、そんなこと言うなよ。わかっている。そういうところが嫌いだ。竜ノ介は苛立いらだち、心の中で兄に悪態をつき、険しい顔で深くうなずいた。


「竜、さらばじゃ」

兄は寂しげに笑い、来た道を引き返して行く。

以前よりも小さく弱々しく感じられる、兄と白雲の後ろ姿だった。

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