第五話 関八州の王の城
(一)
助六郎は
「厳しい冬が目の前だな。もうすぐ雪が降る」
「はい、今朝は冷えますね」
親しげに言葉を交わしながら歩く主従二人の後ろ姿を見つめながら、さくさくと
山下曲輪を見ながら、
「何と大きな
おや、何だ。奇妙な音がするぞ。鳥が絞め殺されているような声だが。
「はっ、この音は、もしや
助六郎はこほんと咳をして悠然と庭園の奥へ消えていった。
「この音は一体何でしょうね」
竜は立ちつくす林蔵に後ろから声をかける。
「
林蔵は苦笑いをしている。
「ええっ、まさか縦笛の音か」
竜がつぶやくと、二人は顔を見合わせて笑い転げた。
「北条家のご当主は風変わりだ。自らが職人のように馬の
もの知り顔で林蔵が語る。
「すごい、人がそんなに長く生きられるとは。信じられない。今は何処の城にいるのですか」
「さて、それは知らん。相模国だろう」
話しが止まる。二人は聞き耳を立てていた。
「これは助六郎殿、朝早くから、どうされましたか」
突然の訪問者に心は波うっている。冷たい朝の静けさに少女の声が沈む。
「突然の訪問を、お許しください。今朝は城内の見廻りです。一節切の音色に導かれて、この庭に足を踏み入れました。一人で朝早くから稽古されているとは、感心いたしましたぞ」
「そうか、あい、わかった。邪魔をするでない。あちらへ行け」
「姫、お話しがあります」
庭から男女が言い争っているような声が聞こえてくる。
「様子が気になるな。庭の垣根の間から覗いてみるか。ちなみに姫は十五で、いつも男のかっこうをしているらしい。助六郎様の話では関八州一の美人だそうだが」
二人は忍び足で庭へ向かう。
「ふうん、あれが姫か」
温かそうな
背の高い助六郎は、姫に近寄ると優しく目線を落として見つめていた。そして、そっと左手を握った。気が強そうだが可憐な姫の横顔は誰かに似ている。ぱっと枯れ野に紅い花が咲いたようだ。常人とは違う。華やかで似合いの二人だ。竜は目を丸くして見つめた。
「手指がこんなに冷えて。温めて差し上げましょう」
「何をする。無礼者」
波利姫が驚いて振りほどこうとするが、強く握って放さない。
「よいではありませぬか、我らは幼なじみ。それに
「よくない。わらわは、ぬしの父上の勘解由殿の妾になりたいと願っておるが、ぬしに嫁ぐつもりはない」
その言葉に、かっとなった助六郎が姫を無理に抱きしめようとして、ぐいと腕を引く。すると、波利姫は右手に持っていた一節切を頭上高く振り上げて、こつんと音が聞こえるほど強く額を打ちつける。助六郎は驚き、顔を歪めて姫から離れた。
「ああ、なんてことを。あの無礼な女め、切り
垣根の陰で林蔵が怒りに震えている。
「痛い。姫、何をする。乱暴な」
「それは、こっちの
さらに姫は、容赦無く額を打とうとする。
今度は姫の手首を掴み防いだ。しばし睨み合った後、助六郎は波利姫にくるりと背を向けると、うなだれてすごすごと、こちらに向かって歩いて来る。
「お気の毒に。竹の笛で額を一撃とは、さぞ痛かろう。だが、見なかったことにしておこう」
苦虫を噛みつぶしたような顔をして、林蔵がため息をつく。
慌てて二人は木の陰から離れた。
助六郎は額を手で押さえながら、青ざめた顔をして今にも泣き出しそうな様子。
「どうされましたか」
林蔵は素知らぬ顔で問う。
「林蔵、わしは男としての自身を失った。姫はわしより親父に抱かれたいと言う。わしの何がいけないのだ。いくらなんでも、あんまりだ」
よろよろと歩み寄り、ぐったりと抱きつくように林蔵の肩にもたれかかる。
「お気を落としてはいけません。姫様はお年頃で、恥ずかしがっておいでなのでしょう」
我が子をあやすように背を撫でて慰めた。
「頭が痛い。屋敷へ戻るから、城の見廻りはおまえたち二人に任せたぞ」
「なんと、助六郎様、大丈夫ですか。お供いたします」
「林蔵、もうよい。一人にしてくれ。これしきの傷。それよりも心が痛む」
額が紫色に腫れていた。
「はい。それではお役目をしてまいります」
林蔵もうなだれる。
見かねた竜がぽんと林蔵の背を叩く。
「そりゃ、女は馬より扱いにくいですよね」
(二)
二人は御主殿から出ると、曲がりくねった殿の道を行く。
「北条家は武蔵国の由緒正しき名族と親戚関係を結びながら、領地を広げてきた。お父上の北条氏康公の命により、三男の
林蔵は話し出すと止まらない。散々、波利姫の悪口を言い続けながら、険しい山道を、息も切らさず登る。その足どりの軽さに竜はついていくのがやっとだ。
「
「これでもおまえのために、ゆっくり歩いてやっているぞ。おれはすぐそこの山、高尾山の修験者の
「え、まんじゅう屋の倅では」
「まんじゅう屋は母がやっている。親父は母のまんじゅうに惹かれて、女人禁制の山を降りたのさ」
息を切らしながら竜は笑った。
「波利姫は養女だったのか。どこから来た姫ですかね」
「さあ、よくわからないが大石家の親族の子かもしれん。そういえば、話は変わるが、今度の
「何だって」
竜は言葉を失い立ち止まり、急な斜面から転げ落ちそうになった。
「この山城には、大小たくさんの
それぞれの武将たちには持ち場があり、曲輪には小屋や館が建てられる。中山家の持ち場は頂上近くの北端の高丸だ。この城内のいくつかの道が合流する場所だ。もう一つは中の丸。広い曲輪で山上の兵の集合場さ。そこには八王子神社もある。もうすぐ見えてくる中腹にある
息を切らせて、かくかくと折れ曲がった道を登りきると視界が開ける。冬の青空が眩しい山の
「高丸という名の通り高いな。目が眩みそうだ。下に七段も曲輪がある。ここより、高い所にも曲輪があるんですか」
「そうだ、まだいくつもある。小宮曲輪へ行こう。山の頂上に本丸だ。と言っても小さい館があるだけだが」
高丸を出てさらに歩くとひときわ小高い曲輪があった。
「ふう、やっと着いたな。ここが小宮曲輪だ。二の丸とも言う。いい景色だろう。一番眺めの良い曲輪だ。今日は晴れているから遠くまでよく見える。ほら、北の遙か向こうには常陸国の
「あれが海か。おれは生まれて初めて海を見た」
竜は流れる額の汗を拭うのも忘れて、
「今朝、六郎様から聞いた話しだが、御館様は小田原城へ移られる。おれたちも供に行くことになるかもしれない。御館様は各地の支城を少ない兵で持ちこたえさせて、小田原に多くの兵を集めたいそうだ」
「なんだって、ほんとうですか」
「
一人前の刀工として仕事で小田原へ行く時には、
眼下の八王子の風景が一瞬にして、黒い
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