第五話 関八州の王の城


(一)


 助六郎は野袴のばかまに山吹色の小袖姿。腰には大小の刀。鮮やかな朱色の胴服を羽織っている。まるで遅れて色づいた紅葉。林蔵と竜は地味な藍色の小袖を尻からげして、股引をはき短い刀を差している。


「厳しい冬が目の前だな。もうすぐ雪が降る」

「はい、今朝は冷えますね」

 

親しげに言葉を交わしながら歩く主従二人の後ろ姿を見つめながら、さくさくと霜柱しもばしらを踏みしめて、竜は無言でついて行く。



 山下曲輪を見ながら、花籠沢はなかござわにかかる橋を渡り、通用口門を行く。さらにいくつもの曲輪を超えて、御主殿ごしゅでんに足を踏み入れた。


「何と大きなやかただ」竜は目を見張る。


相模さがみ武蔵むさし安房あわ上総かずさ下総しもうさ常陸ひたち上野こうずけ下野しもつけ関八州かんはっしゅうの北条家の領地内には、本城の小田原を守る支城と、さらに支城を守る出城が網の目のように張り巡らされている。一体、北条家の領内にはいくつの城があるのだろう。武蔵国の八王子城も支城の一つだが、北条氏照の城だから特別だ。戦の時には各地の支城の妻子を人質として連れてくるために、たくさんの部屋が必要だろう。西側は庭園になっているのか。

おや、何だ。奇妙な音がするぞ。鳥が絞め殺されているような声だが。


「はっ、この音は、もしや一節切ひとよぎり。まさか、今日会えるとは。しばしここで待っていろ。挨拶してくるから」

助六郎はこほんと咳をして悠然と庭園の奥へ消えていった。


「この音は一体何でしょうね」

竜は立ちつくす林蔵に後ろから声をかける。


波利はり姫様だ。それにしても、よくぞこれだけ珍妙な音が出せるものだな。御館様は一節切の名手だというのに、気の毒なほど下手くそ。だが、助六郎様は姫に惚れているから美しい音色に聞こえるのだろう」

林蔵は苦笑いをしている。


「ええっ、まさか縦笛の音か」

竜がつぶやくと、二人は顔を見合わせて笑い転げた。


「北条家のご当主は風変わりだ。自らが職人のように馬のくらを作ったりする。一節切は竹製の細い縦笛で、北条幻庵様がお作りになると聞いたことがある。早雲公の息子だと知っているか。もう百歳ぐらいだぞ」

もの知り顔で林蔵が語る。


「すごい、人がそんなに長く生きられるとは。信じられない。今は何処の城にいるのですか」

「さて、それは知らん。相模国だろう」

話しが止まる。二人は聞き耳を立てていた。



「これは助六郎殿、朝早くから、どうされましたか」

突然の訪問者に心は波うっている。冷たい朝の静けさに少女の声が沈む。 


「突然の訪問を、お許しください。今朝は城内の見廻りです。一節切の音色に導かれて、この庭に足を踏み入れました。一人で朝早くから稽古されているとは、感心いたしましたぞ」

「そうか、あい、わかった。邪魔をするでない。あちらへ行け」

「姫、お話しがあります」


 庭から男女が言い争っているような声が聞こえてくる。


「様子が気になるな。庭の垣根の間から覗いてみるか。ちなみに姫は十五で、いつも男のかっこうをしているらしい。助六郎様の話では関八州一の美人だそうだが」

二人は忍び足で庭へ向かう。


「ふうん、あれが姫か」

温かそうなくれないの羽織に、頭頂部で一つに束ねられた揺れる緑の黒髪。まるで武家の男の子。初々しくかわいらしい若衆のようだと思い、竜は微笑む。


 背の高い助六郎は、姫に近寄ると優しく目線を落として見つめていた。そして、そっと左手を握った。気が強そうだが可憐な姫の横顔は誰かに似ている。ぱっと枯れ野に紅い花が咲いたようだ。常人とは違う。華やかで似合いの二人だ。竜は目を丸くして見つめた。


「手指がこんなに冷えて。温めて差し上げましょう」

「何をする。無礼者」


波利姫が驚いて振りほどこうとするが、強く握って放さない。


「よいではありませぬか、我らは幼なじみ。それに許嫁いいなずけ同士なのですから」

「よくない。わらわは、ぬしの父上の勘解由殿の妾になりたいと願っておるが、ぬしに嫁ぐつもりはない」


その言葉に、かっとなった助六郎が姫を無理に抱きしめようとして、ぐいと腕を引く。すると、波利姫は右手に持っていた一節切を頭上高く振り上げて、こつんと音が聞こえるほど強く額を打ちつける。助六郎は驚き、顔を歪めて姫から離れた。


「ああ、なんてことを。あの無礼な女め、切りきざんでやりたい」

垣根の陰で林蔵が怒りに震えている。


「痛い。姫、何をする。乱暴な」

「それは、こっちの台詞せりふじゃ」

さらに姫は、容赦無く額を打とうとする。


今度は姫の手首を掴み防いだ。しばし睨み合った後、助六郎は波利姫にくるりと背を向けると、うなだれてすごすごと、こちらに向かって歩いて来る。


「お気の毒に。竹の笛で額を一撃とは、さぞ痛かろう。だが、見なかったことにしておこう」

苦虫を噛みつぶしたような顔をして、林蔵がため息をつく。

慌てて二人は木の陰から離れた。


助六郎は額を手で押さえながら、青ざめた顔をして今にも泣き出しそうな様子。


「どうされましたか」

林蔵は素知らぬ顔で問う。


「林蔵、わしは男としての自身を失った。姫はわしより親父に抱かれたいと言う。わしの何がいけないのだ。いくらなんでも、あんまりだ」

よろよろと歩み寄り、ぐったりと抱きつくように林蔵の肩にもたれかかる。


「お気を落としてはいけません。姫様はお年頃で、恥ずかしがっておいでなのでしょう」

我が子をあやすように背を撫でて慰めた。


「頭が痛い。屋敷へ戻るから、城の見廻りはおまえたち二人に任せたぞ」

「なんと、助六郎様、大丈夫ですか。お供いたします」

「林蔵、もうよい。一人にしてくれ。これしきの傷。それよりも心が痛む」

額が紫色に腫れていた。


「はい。それではお役目をしてまいります」

林蔵もうなだれる。


見かねた竜がぽんと林蔵の背を叩く。

「そりゃ、女は馬より扱いにくいですよね」



(二)


 二人は御主殿から出ると、曲がりくねった殿の道を行く。


「北条家は武蔵国の由緒正しき名族と親戚関係を結びながら、領地を広げてきた。お父上の北条氏康公の命により、三男の御館おやかた様は大石家の養子となった。大石家の比佐姫を正妻にしたのだが、お子はいない。今、比佐様は何処どこの城ヘ居るものやら。妾もいないらしい。きっと女嫌いなのだろうな。波利姫は御館様の養女となり、わがままいっぱいに育っている。噂どおりのとんでもない姫だったな」


林蔵は話し出すと止まらない。散々、波利姫の悪口を言い続けながら、険しい山道を、息も切らさず登る。その足どりの軽さに竜はついていくのがやっとだ。


流石さすがですね。こんな真っ直ぐ立つのも難しい山道を、そんなに早く歩けるなんて。まるでけものだ。おれは、杖をつきたいくらいですよ」

「これでもおまえのために、ゆっくり歩いてやっているぞ。おれはすぐそこの山、高尾山の修験者のせがれだ。親父に連れられてよく山歩きしたから慣れっこさ。おれは高尾山の猿かもしれんぞ」

「え、まんじゅう屋の倅では」

「まんじゅう屋は母がやっている。親父は母のまんじゅうに惹かれて、女人禁制の山を降りたのさ」

息を切らしながら竜は笑った。


「波利姫は養女だったのか。どこから来た姫ですかね」

「さあ、よくわからないが大石家の親族の子かもしれん。そういえば、話は変わるが、今度のいくさには山伏や神官や僧侶までも徴兵されている。地侍はもとより百姓、職人、町衆。それに老人や女や子どもまで戦の時には城へ入って戦うべしという触れが出た」


「何だって」

竜は言葉を失い立ち止まり、急な斜面から転げ落ちそうになった。


「この山城には、大小たくさんの曲輪くるわがある。北条築城術のすいを集めている。曲輪と曲輪を結ぶ道は、こんな風にやっと人一人が通れるほど狭く険しい。まるで獣道。ほら、この道の上にも狭い曲輪があるだろう。あれは石落とし場。あちらこちらにあって、握りこぶしぐらいの大きさの石を集めて積んである。とにかく高い所から敵を攻める。横矢掛よこやがかりは曲輪に攻め込もうとする敵を狭い入り口に集めて、横から射る仕掛けだ。この山城なら少ない人数でも守ることができるはずだ。

 それぞれの武将たちには持ち場があり、曲輪には小屋や館が建てられる。中山家の持ち場は頂上近くの北端の高丸だ。この城内のいくつかの道が合流する場所だ。もう一つは中の丸。広い曲輪で山上の兵の集合場さ。そこには八王子神社もある。もうすぐ見えてくる中腹にある柵門台さくもんだいは守りの要所で、やぐらをこれから建てる。そこも中山家の持ち場だから、土台の石垣が崩れていないか確かめながら登ろう」


 息を切らせて、かくかくと折れ曲がった道を登りきると視界が開ける。冬の青空が眩しい山の尾根おねに出た。


「高丸という名の通り高いな。目が眩みそうだ。下に七段も曲輪がある。ここより、高い所にも曲輪があるんですか」

「そうだ、まだいくつもある。小宮曲輪へ行こう。山の頂上に本丸だ。と言っても小さい館があるだけだが」


高丸を出てさらに歩くとひときわ小高い曲輪があった。


「ふう、やっと着いたな。ここが小宮曲輪だ。二の丸とも言う。いい景色だろう。一番眺めの良い曲輪だ。今日は晴れているから遠くまでよく見える。ほら、北の遙か向こうには常陸国の筑波つくば山が見える。南を見てみろよ。海だぜ。相模湾だ。江ノ島が見える。東南は上総国の山。何故、御館様がここに城をおいたか、わかるだろう。広く関八州を見渡せる山城というわけだ」


「あれが海か。おれは生まれて初めて海を見た」

竜は流れる額の汗を拭うのも忘れて、彼方かなたの海を見つめる。


「今朝、六郎様から聞いた話しだが、御館様は小田原城へ移られる。おれたちも供に行くことになるかもしれない。御館様は各地の支城を少ない兵で持ちこたえさせて、小田原に多くの兵を集めたいそうだ」


「なんだって、ほんとうですか」

籠城ろうじょう戦をするのさ。小田原は城だけでなく、田畑や城下町ごと高い土塁で囲んで、守っているから、水や食い物が無くなることはない。豊臣の大軍が攻めてきたって何年でも籠城できる」


 一人前の刀工として仕事で小田原へ行く時には、榧丸かやまるを連れて行きたいと思っていた。小田原港へ大きな船を見に行く。海の近くで新鮮な魚を喰う。竜は深いため息をついた。そんなことは夢のまた夢。城主のいない八王子城はどうなってしまうのだろう。老人や女や子どもまで竹槍たけやりを持って戦えというのか。あまりにもむごい。下原刀工たちも戦うのか。榧丸かやまるに会いたい。

 

 眼下の八王子の風景が一瞬にして、黒い浮塵子うんかの群れのような、他国の雑兵たちに覆い尽くされる光景が目に浮かぶ。血煙が上がる。竜の胸がきりきりと痛む。眉間に深い皺を寄せた。

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