第二話 月下の倶利伽羅龍(くりからりゅう)


(一)


 暗闇の中で淡い藤色の炎が生まれる。ふいごで風を送り炎をあやつる父の姿を、少し離れた場所からぼんやりと見ていた。火床ほどっていた藤色の炎は、けもののような雄叫おたけびをあげてあかつきの空の色に変わり、すっくと立ち上がる。湿り気を帯びた熱に体が包まれた。パンパンと炭を切る音、鞴の風に踊らされる炎の音。やがて、炎に溶けて生まれ変わる玉鋼たまはがね産声うぶごえも聞えてくるだろう。それはかや丸にとって心躍る音。

 

 炎のもとで影のように動く三人の兄弟子あにでし。いつものように竜兄たつにいの姿をさがしてしまう。一人足りない。そうだ、もうここにはいないのだ。昨日、出て行ってしまった。この薄暗い小屋が嫌いだったのか。きっと竜兄には明るい陽の下、馬に乗って風をきって緑の野山を駆けぬけるのが似合う。その腰に自分が打った刀を帯びてくれれば、どんなに嬉しいだろう。榧丸はため息をついた。凜々りりしい若武者姿の竜兄を夢想しては心を震わせる。

 

 炎から引きずり出された、赤く燃える玉鋼はつちで叩かれて姿を変える。幾度いくども打ち伸ばされて折りたたまれて三万五千もの玉鋼の層となる。その重なる層は人をあやめ人を守る唯一無二の武器となる。この炎が名刀に魔を遠ざける不思議な力を呼び込み、宿らせるのか。時々火の粉が飛んできて、まだ柔らかい頬をチリリと焦がそうとする。素早く指で払った。自分の居場所はここしかない。いつか親父のような刀匠とうしょうになると心に決めている。


「こら、何をぼんやりしている。人一人減ったのだから、しっかり働け。そこに積んである炭を早く切れ」

小さな子どもたちや老父母養っている年長の兄弟子に肩を掴まれ、耳元で怒鳴られて我に返った。


「竜兄のために名刀を打つんだ。いつになるかわからないけれど。待っていておくれよ」

榧丸は心の中でつぶやく。



(二)


 夕餉ゆうげの後、いつも親子二人だけで白湯さゆを飲みながらくつろぐ。源二郎は息子の顔をじっと見つめていた。亡き妻に生き写しだ。無造作に束ねられた艶のある黒髪が、はらりと頬に落ちて丸い頬に影を作っている。湯飲みに添えられる少女のようなあどけない赤い唇。十六年前、相州小田原の年若い遊女と恋に落ち、妻に迎えた。幸せだったが産後の肥立ちが悪く、あっけなく死んでしまった。今の榧丸は匂い立つ少し前の、やっとほころび始めた白梅のような美しさ。いまだに鳥がさえずる声音こわね。あちらこちら擦り切れている麻の着物から伸びた手足は細くしなやか。その容姿のせいか、兄弟子たちからは冷淡に扱われてしまう。


「榧丸よ、竜がいなくなって元気が無いようだな。だが、この時世仕方が無い。城下の体の大きな若者は武家から目をつけられる。今、北条家は兵が足りないからな。おまえが出かけたあの日突然、中山加解由なかやまかげゆ様が我ら下原しもはら鍛冶の仕事ぶりを見に来られた。ご自身が使う特別な槍を注文するためだったのだが、ちょうど竜は鍛錬場にいて気に入られてしまった。その武勇を関東一円にとどろかせた中山様から、直々じきじきに家来になるように声をかけられたら、誰も断われまい。竜は歳の割に体は大きく力も強いが、あのとおり心根の優しい子。武士が務まるとは思えぬのだが。はたして人の首が切れるものか」

やりきれない様子で目を伏せた。


「大丈夫、寂しくなんてないさ。それに、きっと竜兄はいい武士になれると思う。あのほまれ高い中山様から槍の稽古をしてもらえるんだろう。すごいや」

竜兄は親父にとって、我が子同様の大切な弟子だったのだと榧丸は気づく。落胆している父の源二郎を励まそうとして、無理にはしゃいだ様子で答えた。


「うむ、そうだな。実は竜の家はただの百姓では無いのだ。三沢十騎衆みさわじゅっきしゅうといって、大昔から髙幡や日野一帯に土着している一族。百年ほど前に北条家の家来となった。戦の時には、真っ先に城へ駆けつけねばならぬそうだ。竜はそれが嫌で家を飛び出したらしいが、皮肉なことだ。戦からは逃れられなかった。一族の血が竜を放さなかったということか。強くなるしかないだろう」

ため息をついた。


「でも驚いたな。竜兄の家が三沢十騎衆」

自分は子ども扱いで、何一つ知らされていなかったことに落胆する。


 その夜、榧丸は夢を見た。黒の胴を着けた若武者だ。輝く素剣そけんの前立ての鉄黒漆てつくろうるしかぶとを被っている。たくましい背には、朱色に染めた練り絹の中央に、小田原北条氏の家紋三鱗みつうろこを白抜きした旗指物はたさしものが大きく風になびく。風を切り颯爽さっそうと栗毛の馬で駆けて来た。手にしたまぶしくも残忍な光を放つ十文字じゅうもんじやりから赤黒い血が滴っている。太い眉毛の下の黒い大きなまなこがくるりと動き、ふっくらとした口元がほころび、かすかな笑みを浮かべて自分を見た。やはり竜兄だ。でも馬を止めることは無く通り過ぎて行く。だんだんと竜兄の後ろ姿は遠のいて小さくなる。背の旗指物の白い三鱗だけが、いつまでもひらひらと揺れていた。


「待ってくれよ、竜兄」

叫びたいが声が出ない。ただ立ち尽くす。



(三)


 翌日、城下の商家へ刀を一振り届けに行った。家路へ向かう頃、夕闇近い東の空には手がとどきそうなほど、大きな赤い月が出ている。秋になって、ずいぶんと日が短くなったな。それにしても見事な月だ。竜兄も見ているかもしれない。そうだ八王子城の近くまで行ってみよう。もしかしたら竜兄に会えるかもしれない。榧丸は城山に向かって走る。


「あれが通用門かな」

長い石段の上に重厚な木の戸が見える。しばらく見ていたが誰も降りてこない。辺りには人の気配も無い。しんと静まった山のろく


「会えるわけないよな。馬鹿だな。おれ」

城山川から吹く秋風が背を冷やす。この巨大な山城をうとましく思う


「そうだいいことを思いついたぞ」

落ちていた細い二尺ほどの木の枝を使って、石段の下の広場の土に線を引き始めた。線は人間の背丈の二倍ほどの剣となった。次に剣に体を巻き付け締め上げ、愛し気に剣先に鼻頭をすりつけている龍を描く。目が丸く愛嬌のある龍の背には恐ろし気な火炎が渦巻いている。巨大な絵を描くことがすっかり楽しくなり、夢中で龍の鱗を一枚ずつ描く。いつの間にか月が夜空高く光っていた。


「ややっ、しまった」

月があまりにも明るいから時が経つのを忘れていた。夕餉に間に合わないと親父に怒られる。もうこれで止めだ。竜兄が見たら、きっとびっくりするぞ。

「ふふふふ」と無邪気な笑い声をあげる。

そして「オン チラチラヤ ソワカ」と、高尾山の修験者から教わった呪文を唱えて走り去った。


 満月の光をいっぱいに浴びた倶利伽羅龍くりからりゅうは、剣をいだき地面から、むくむくと立ち上がり飛翔すると榧丸は信じている。


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