第13話 フィクションに平和な日常が続くわけないよな
翌日──。
おれは朝食を終えると、颯爽と人形屋の工房へ向かった。
アマゾネスからは、
「ずいぶん、うきうきしてるように見えるけど……」
と、怪訝な表情で言われてしまう。人質になってこき使われている、と思っているようだった。
「そうかい? まぁ、人形屋で働くのも悪くないな、と思って」
働くというより、趣味に没頭しているのだが、そこは黙っている。
「おやおや……」
アマゾネスは呆れた様子。
で、おれは今日も元気に人形屋のドアを開く。
「おはようございます!」
現実世界での職場では、ついぞこんな晴れ晴れとした気分で働くことはなかった。ミニィたちが帰ってくるまでの短い間とはいえ、こんな楽しいことをやっていられるのはありがたかった。
昨日から、この人形屋のジオラマ制作を手伝っていた。人形屋の店主の趣味で作り出したこの町、ユニバーサル市の模型だ。正直、商売とは関係なく、利益を生まない工作だったが、どうせ数日のことだし、と器の大きい店主がジオラマに関わることを認めてくれた。
昨日からこの店の近くに建つパン屋の模型にとりかかっていた。ときどき本物のパン屋を外に出て観察しては工房に戻って作業をする、を繰り返す。
集中して取り組むと時間がすぎるのを忘れてしまう。思う存分に、かけられるだけの手間をかけて作り上げる、というのが趣味の世界なのである。そこに妥協はない。
おれはその日まる一日をかけて、パン屋の模型を作り上げた。パン屋の看板まで細かく再現した。簡単にいかないところもあったが、手持ちの材料(人形制作でのあまり部材)を創意工夫することで、そっくりな模型に仕上げることができた。
気分は高揚し、目の疲れさえ心地よかった。完成した模型をジオラマに加え、万感の思いでそれを見下ろす。これを続けていけば本物の創造主になれそうな気さえする。もちろん、それは上がり切ったテンションが見せる妄想にすぎないし、いつまでも続けられないことも承知している。いまさらここに残るなど、そんな勝手は許されないだろう。なにより、王女さまがいまあんな状態になってしまっている原因はおれにある。そこを思えば気楽なことは言っていられない。
おれは次の日の準備である、パン屋の隣に建っている建物(三階建ての一般集合住宅)の部品を作る用意をすると、その日の作業を打ち切り、意気揚々と宿へと戻っていった。明日が楽しみだった。
が、その夜、事件が起きた。
おれの危機意識が、日本という世界でも稀有なほど治安のいい国に生まれてからずっと暮らしてきたせいで、かなり鈍感になっているのだろうというのは、なんとなくわかっていた。だから急に神経を張りつめようとしても、そう振る舞えるほど人間、柔軟にはできていない。慣れ親しんだ環境から突然、海外の未開の地に移り住んだ経験すらなければ、どう対応するのがいいのかわかるはずもないのだ。
ミニィたちは今日も帰ってこなかった。
アマゾネスに尋ねると、
「まぁ、そんなもんさね」
と、当然のような返事。心配する気もないようだった。モンスター退治を生業とするなら、何日もかかってしまう、というのはよくあることなのだ。人里離れた森のなかへ分け入り、モンスターを探すのはそう簡単ではない。
この世界の作者でありながら、おれはそういうことに無頓着であった。守りが手薄である、という自覚がやや足りなかった。
就寝まで王女さまたちの話し相手となり、その後、別の部屋で眠っていたら、アマゾネスが入ってきた。
揺り動かされたおれは、
「え?」
と、一発で目が覚めてしまった。暗い室内だけに、ベッドサイドに立つアマゾネスが不気味であった。まさか今夜またSMプレイをしたくなったのかと疑い、おれは局部の痛みを思い出して慄然となる。正直、もう勘弁してほしい。
アマゾネスはドールハウスを腕に抱えていた。よもや王女さまにおれがいたぶられるのを見せようなどとは思わないだろうから、意図がわからなかった。
「どうしたんだよ?」
おれは訊いた。
「シッ。この宿をうかがっている気配がする……」
気配って……おれにはぜんぜん感じられない。だがアマゾネスが気配を感じるというのなら、それは本物なのだろう。宿をうかがっている、ということは、なにやら穏やかでない。
「強盗……?」
宿泊客を狙って、泥棒か強盗が忍び込もうとしているのか? 外国、とくに治安のすこぶる悪い国では、ホテルの部屋でも安心して眠れないと聞いたことがある。ホテルの従業員が泥棒や強盗と結託して呼び込んだりするということなら、もうそれは治安というレベルの問題ではなく、その国の国民の考え方にあるような気さえする。
「さもなくば、王女さまを狙っているか、だよ……」
「王女さま……?」
ただの強盗や泥棒よりも始末が悪い。圭藤星春か、あるいはその手の者か……となると、手練れが送り込まれてくる可能性があった。ヴァルキリ・マンキラーとの闘いを思い出し、背筋が寒くなる。いくらおれの考えたキャラクターだといっても手加減してくれるわけではないようだ。
おれは手の届く場所に置いていた釘バットを右手に握る。早くも緊張感に手のひらが汗ばんでくる。
(どうかただの泥棒でありますように……)
と、おれは瞬間的に祈ったが、完全なフィクション世界において、そんな退屈な場面がやってくるわけがない。創作者は、いつでも登場人物に過酷な試練を強いる、とんでもないサディストなのだ。──もっともおれも、その一人ではあるわけだが。
ばきっ
だしぬけに、窓の鎧戸が弾けた。二つの月の青白い光が室内に差し込んできたのとほぼ同時に、ひとつの人影が侵入してきていた。
背をかがめているためか、上背はよくわからないが、あまり大柄な人物ではない。が、両手に短剣が光っているのを見て確信した。
おれはこいつを知っている。
サスケン・サルトビッチ。
おれの書いた小説では、圭藤星春の命を狙う刺客として登場する。訓練を積んだ運動能力は抜群で、圭藤たちを追いつめる、ヴァルキリ・マンキラーとともに厄介な強敵として設定した。
アマゾネスがわずかな躊躇もなくムチを振った。が、鋭い音を発してしなるムチを軽々と跳んでかわすサスケン。
おれは壁を背にドールハウスをかばい、サスケンに対峙する。なかの王女さまは六人とも眠っているようで、騒ぐ声はしない。
(まずいな……)
と、思った。
釘バットは、魔法を跳ね返す力だけは沼の精にもらえたが、サスケンのような魔法を使わず剣で攻撃をかけてくる相手には有効ではない。ただの釘バットだ。当たればそこそこのダメージを与えられるが、当たらなければ怖くはない。そしてサスケンには、おれのスイングなど簡単に見切ってしまう視力が備わっていた。
幸いまだサスケンは、おれの釘バットがどんなものかわかっていないようで、簡単には間合いをつめてこない。
「やい、サスケン・サルトビッチ。よく聞け。おれのこの釘バットの魔法を使えば、おまえなんか即死だぞ」
ここは釘バットが強力だとハッタリをかましてなんとか切り抜けたいところだが、
「命が惜しかったら立ち去れ」
と、威勢のいいことを言ったものの、サスケンも仕事で来ている以上、ハッタリなんかでごまかすにも限界があるだろう。
だがいまは、おれとアマゾネスの二人を相手にどう対するかまだ考えている様子。寝込みをついて王女さまを奪取できなかったことで、よりおれたちを警戒しているようだ。それでも、いつまでも間合いをはかってばかりもいられない。タイミングをみて動いてくるだろう。
おれは釘バットをかまえる。右打席に入って投球を待つポーズ。剣とは違うかまえを見せて、姑息にも、いかにもなにかありそうな印象を与えようとした。サスケンが本気でかかれば、すぐに化けの皮がはがされるが、他に有効な手を思いつかない。
サスケンには、さほど弱点らしい弱点を設定していなかった。あえてあげるとすればスタミナぐらいで、長期戦には向かない。圭藤星春やその仲間たちと繰り広げた死闘でも、激しい剣戟の末になんとか倒した、と書いた。それはそれは激しい闘いで、ヘラクレスもポウズも傷つき、やっとのことで決着した、まさにきわどい勝負だったのだ。
小説では、けっこうテンションあげて筆をふるい、盛り上がるシーンだったが、いざおれ自身がサスケンと太刀を交えるとなると小説のようにはいかない。おれは、のどをかき切られて痛みに苦しみながら大量出血する想像が脳裏に浮かんできて、その恐怖に脂汗を流しながら必死の思いでサスケンを牽制する。
といっても、おれの眼力に迫力がないのはごまかしようがなかった。
サスケンの足首がかすかに動いた。
(来る!)
おれは釘バットを握る手に力をこめた。
アマゾネスのムチの先がサスケンの体を打つより早く、サスケンの影がおれに迫った。
釘バットをスイングする。空振りすれば即アウトの一発勝負。腰のひねりを釘バットに載せて叩きつける──。
その瞬間、おれは違和感を覚える。釘バットを振った遠心力に引っ張られて、体が前に出てしまった。そのため思ったよりも早くサスケンの剣がおれの懐深くに入ってきた。
(しまった、斬られる!)
釘バットのほうは制御を失ってサスケンを捉えられそうにない位置にあり、もはやおれは血の海に沈むしかない。
が、信じられないことがおきた。
釘バットが物理法則を無視した動きでサスケンの後頭部を直撃したのだ。
ぐしゃ、というヤバい感じの音がして、サスケンは床に叩きつけられた。
おれはというと、釘バットの動きについてゆけず、引っ張られて転倒した。が、ともかくサスケンに一撃を与えられた。
アマゾネスは機を逃さなかった。とっさにサスケンを拘束しようとした。そこはSM女王をイメージしたキャラだけあって、縄で縛るのは得意だった。瞬時に体に縄を巻き付け、後ろ手に縛り上げてしまった。
「どう? あたしに縛られた気分は……?」
アマゾネスは勝ち誇ったように目を細め、嗜虐的な笑みをサスケンに落とした。やっぱりというか……亀甲縛りであった。
その姿は屈辱的だった。ただし、全裸でないだけまだマシであるが。
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