第8話 絶体絶命のピンチからの大逆転のはずが

 池は意外と深かった。


 おれは無我夢中で空気を求めて手足をバタバタと激しく動かす。なんとか水面から顔を出し、大きく息を吸い込んだ。冷たい沼からはい上がろうとして水際まで必死で泳いだ。


 ゼイゼイと息を切らし、濡れネズミで岸にあがると、おれはそこで初めて釘バットを失くしたことに気づいた。さっきまでは持っていた。沼に落ちたときに手を放してしまったのだろう。


 しかし危うく溺れるところだったのだから、それはやむを得ない。もともとそれほど役に立つ代物ではなかったし、沼の底へ取りにいくのも無理だ。


(釘バットはあきらめよう)


 それよりも仲間たちのことが気になった。強力な魔法使い、ヴァルキリと戦っているのだ。彼らのことが心配だ。


 そう思って数十メートル離れた街道のほうを見ようとしたとき、


「これこれ、そこの青年よ」


 後ろ──沼のほうからした声に、おれは振り返った。


 沼の水面に、カッパのような顔をした、いかがわしい感じの男が立っていた。その外見をひとことで言い表すなら、貧相の一語につきた。


「おまえさんが落としたのは、この金の釘バットか?」


 そいつはそう言って、手に持っている金色に輝く釘バットをおれに見せるのであった。


 このエピソードは知っている。イソップ童話のパロディとして、小説のなかに登場するワンシーンである。ギャグのつもりで、中だるみの話のなかに書いたのだ。


(それがこんなときに出てくるか! しかも小説と違って釘バット!)


 こんなやつにかまっている暇はないのである。急いで仲間のところに駆けつけて、駆けつけて……どうする?


 凶悪な殺し屋、ヴァルキリに勝てるかといえば、おれが戦力になれないのは明白だ。むしろ足を引っ張ってしまいかねない。だが──。


「それはおれの釘バットじゃない!」


 おれは返答した。この泉の精ならぬ沼のカッパの展開のラストがどうなるか、小説のようになるかどうか、見きわめようと思った。


「では、この銀の釘バットか?」


「違います」


(かったるいな。早くしろよ!)


「うむ、おまえさんは正直者だ。ならば、おまえさんの釘バットにすごいパワーをさずけよう」


 ふんじゃかむんじゃか、とテキトーな感じの呪文を唱えたかと思うと、おれの釘バットを返してくれた。


「では健闘を祈る」


 小説と同じだ。金銀をもらうのもうれしいが、いまそれは役に立たない。もっとも、小説では釘バットではなく、短剣であったが。


 おれは沼の汚い精霊を一顧だにせず、


「しかしおまえさん、この釘バットは……」


 と言うのを後ろに聞かず走り出す。


 小説版では、相手の魔力を吸収し、さらにその魔力を出力して攻撃できる能力が短剣に実装された。ならばこの釘バットでも同様の機能を果たしてくれるだろう。おれはそれに賭けた。


 ヘラクレス、ポウズ、アマゾネス、ミニィは明らかに苦戦していた。ヴァルキリの風魔法は強力だ。突風に飛ばされて近づけず、有効な打撃を与えられていないどころか、一太刀すら届いていない。


 遠距離から放たれる突風に苦無くない(忍者が使う投げ刃)を乗せてターゲットに致命傷を負わすのだ。暗殺に徹する場合は一撃で仕留めようとするが、いまは殺しそのものを楽しんでいるようなヴァルキリ・マンキラーの態度だった。殺し屋だけあって、人をいたぶるのが基本的に好きなのだろう。最悪な人間だが、これもおれの創ったキャラクターだ。


 ヴァルキリはまだ苦無を放っていない。ヘラクレスたちを風で転がして遊んでいる。完全に相手を見下した態度だった。


 白兵戦が得意なヘラクレスはもちろん、ムチを使うアマゾネスもある程度接近しないことには戦いにならない。魔法の剣を使えるポウズも、魔法は補助的な役割を持つにすぎず、致命傷を与えるのはその剣での斬撃だ。ミニィの魔法はどちらかというと防御や、他人が持つ武器の強化に特化していて、魔法そのものに攻撃能力はない。


「どうしたのかしら? さぁ、かかってきなさいよ」

 ヴァルキリは残酷そうな目つきをして不敵に笑った。


(だが、そういうセリフを吐くやつは、だいたいやられるってフラグが立っているもんなんだよ!)


 おれはヘラクレスたちよりも前へ出ると、釘バットを剣のように両手に持ってかまえた。


「おれが相手だ!」


 いの一番で吹き飛ばしたおれを見て、ヴァルキリは鼻でフンッと笑った。話にならない、という表情だ。戻ってきても、なにほどのものか。

「やれやれ、あたいもみくびられたわ。見るからに弱っちいから、遠くへ飛ばして逃げられるようにしてやったのに。坊や、命が惜しくないの?」


「大口叩いていられるのも、いまのうちだぜ。さぁ、来いよ」

 おれはわざと挑発するような物言いをした。


「みゃーん、よせ! おまえなんかがかなう相手じゃない」

 ヘラクレスが叫んだ。


「あんたが二千人いたって勝てないわよ! 死んだフリでもしてなさい」

 ミニィもひどい忠告をする。


「あたいをなめると怪我じゃすまないわよ。串刺しにして思い知らせてやるわ!」

 おれに侮辱されたと、ヴァルキリの目が見開かれる。


 ヴァルキリが腕を振る。同時に突風が吹き、それに乗って苦無が放たれ、一直線におれへと飛んできた。


 おれは釘バットに全幅の信頼をおいて、かまえる。もし胡散臭い沼のカッパの施した術がまったく効いてなかったならば、おれはここで死ぬかもしれない。しかし、ストーリーに無駄なエピソードなどないのだ、との信念がおれの心を鼓舞した。


 突風の向きがおれの直前で反転した。風に乗っかっていた苦無も、ヴァルキリに襲いかかる。


「なにっ」

 ヴァルキリは飛び退く。


 苦無が、ヴァルキリのいた空間を切り裂いていった。


(やったぞ、これなら勝てる!)

 おれは内心胸をなでおろしながらも、どうだ、と言わんばかりのドヤ顔で笑みを浮かべる。


 ヘラクレスたちもいまの攻撃を見て唖然としていた。


「ふんっ。なかなかやるわね……」

 だがヴァルキリは余裕をかましている。攻撃は風魔法だけではない。基本、殺し屋だからそれ相応の剣術の心得もあった。


 おれは作者のくせにそれを失念していた。


「じゃあ、これならどうかしら?」

 まるでマグロを解体するときに使うような長剣を背中にまわした鞘から引き抜くと、ヴァルキリは短距離走のスタート時のように走り出し、一気におれとの間合いをつめてきた。


 おれはどう対処していいか一瞬判断が遅れた。


 その隙に、目の前までに迫っていたヴァルキリが長剣をふるった。


 おれの釘バットがそれを受け止めきれなかった。手から弾き飛ばされる釘バット。


(しまった!)


 釘バットには魔法がかけられているとはいえ、物理的な攻撃には弱い。そこまで万能ではなかった。


 武器を失ったおれにはもうなんの力もなく、ヴァルキリの反す刀で斬られてしまう前に太刀筋を読んでよけなければならないが、そんな高度な身のかわしができるような気がしなかった。


(斬られるか?)


 おれはなんとか長剣の届く範囲から逃れようと地面を蹴る。


 ところが、そこで事件が起きた。


 回転しながら飛んでいった釘バットが、アルテミス王女の結晶体に直撃したのだ。


 そしてその衝撃で、なかに閉じ込められていた王女もろとも結晶体が砕けた。


 一瞬の出来事であった。


 その場にいた全員の動きが止まった。


 おれを殺そうとしていたヴァルキリでさえも、それを見て攻撃を中止した。おれの胴に入ろうとしていた長剣が寸止めされていた。


 それほど、その衝撃は大きかった。


 ヴァルキリは飛び退くと、

「予想外の展開だけど……まぁいいわ。目的は達成されたも同然だし。ここは引いてあげる」

 そう言い残すと、風のように去っていった。



 あれだけおれたちをなぶり殺そうとしていたヴァルキリが、ひとりも殺すことなく、なぜ急に退散したのかわからなかったが、ともかくおれたちは助かった。しかし……。


 それどころではない状況に陥ってしまっている。


 結晶体は十個の破片に割れていた。


 なかのアルテミス王女の体も、十個のパーツになってしまっていた。手足、胴体、頭がバラバラになってしまって。


 しくじったとか、やらかしたとかいう以前の問題だった。もし結晶体に閉じ込められた状態で王女が普通に生きていたとしたら、割れた時点で死亡確定である。


 死者は生き返らない。どんな魔法を使っても、その法則は変えられないのだ。アルテミス王女が死んでしまったとなれば、報奨金を受け取りそこなうどころか、下手をすれば王女殺害の罪で死刑に処せられる。いや、その可能性はかなり高い。弁解しても聞いてもらえないだろう。


 全員が言葉を失くしてしまっていた。


「この大バカ!」

 最初に口を開いたのはミニィだった。

「なんてことしてくれたのよ。この王女さまの命は、あんたなんかが一万回切腹しても釣り合わないのよ。末代まで罪を償わないといけないわ」


「いや、しかし……」

 おれは、これは不可抗力だろう、とつぶやいた。だいたい、末代までって、おれは独身だし、結婚して子供を持てるような気がしないんだが。


「でも、どうする?」

 ポウズが誰にともなく訊いた。小説版ではこんな展開はなく、おれもどうすればいいかわからない。というか、もうどうにもならないような絶望感がその場の空気を重くしていた。どこかの大金持ちの家の、時価数百万円の大きなかめみたいな花瓶を倒して割ってしまったときのような、どうやってもごまかしようのない気まずさが、ひしひしと胸にこみあげてくる。


「地面に埋めて、なかったことにする……?」

 ミニィはなりふり構わない非情な提案をするが、


「いや、もうインテック町のギルドから伝書鳩がポウトタウンに飛ばされているはず。なかったことにはできないよ」

 ポウズはかぶりを振る。


「こいつを元に戻せる魔法使いがいるかしら?」

 アマゾネスがバラバラになった結晶体を見て言った。その口調には、ちょっと難しそうな響きが含まれていた。


「ミニィにできるか?」

 ヘラクレスがミニィを振り返る。


「一応、やってみるわ」

 ミニィは少し落ち着きを取り戻したようだった。結晶を一ヵ所に集め、両手のひらをかざした。手のひらがぼんやりと光り、その光が結晶体に浴びせられる。しばらくその状態で、なんの変化もない。


(だめか……)


 そもそもミニィの魔法はそれほど強力ではない。成功すればラッキー程度の期待しか、誰もかけていない。


 ところが──。


「あっ」


 結晶体の破片がピクリと動いた。


(成功するのか?)


 こういうご都合主義なストーリーもフィクションならではだよな、とおれは思った。この世界はおれが創り出した。だからそこで展開される物語だって、都合よくいくのが必定。ドラマチックになるために、あらゆる偶然が許されるのだ。アルテミス王女が魔力によって一時的に生命活動を停止させられた状態で結晶体に閉じ込められているのなら、きっとうまく接合して、もしかしたら復活するかもしれない。バケツの金魚の水が凍ってしまい、それにひびが入っても、春になったら氷が融けて無事に復活したと聞いたこともある。(もっとも、ひび割れたところの接合部がちょっとずれた金魚になってしまったらしいが)


 おれはうまくいくように願い、そう想像した。


 が、想像したのとは違う結果になった。


 結晶体が白煙に包まれる。


 やがて、ポン、という音とともに白煙が晴れたと思えば、そこにいたのはなんと、ミニサイズの王女であった。十の破片が、身長二〇センチほどの十人のミニチュアのアルテミス姫に変化したのだった。


「……………」


 おれたちは絶句した。あまりの予想外の出来事に、再び言葉を失った。



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