第5話 洞窟の中のクエストに挑むおれは運がいいのか悪いのか
運がいいか悪いか、と問われたら、おれは運が悪いほうだと答えるだろう。運がよかったら、いまごろ、うだつの上がらないブラック企業の社畜になどなっていないで、リア充な人生を送っているはずだ。できるなら人生をやり直したいところだが、それが不可能だとは承知している。だからこうして妄想を小説に書いたりしたのだ。
ただ、どこまでも運が悪いかというと、そうでもない。身分証明書が必要な場面に急に出くわして、たまたま財布のなかに保険証を入れていた、というぐらいの運の良さはある。
転落したおれが、崖の途中の出っ張りに引っかかってしまったのも、運がよかったといえるのかもしれない。
しかもお誂え向きにすぐ横に洞窟が口を開けている。これはここへ入ってドラゴンの脅威から逃れるのに、うってつけだ。
「あいたたた……」
すぐそばで腰を手でさすって起き上がったのはミニィだ。ミニィも同じ崖の出っ張りに引っかかっていた。
上空にはまだクジョードラゴンが旋回して、縄張りに侵入してきた人間がまだいないかとさがしている。
「ミニィ、立てるか? この洞窟に入ってドラゴンをやり過ごそう」
ミニィは周囲を見回す。
「ええっ? わたしとあんただけ? 他のみんなは崖の下まで落ちちゃったの?」
「どうやらそうらしい」
「なんてこと!」
「心配するのはわかるけど、いまはともかく洞窟に避難しよう」
「そうね。この高さじゃ助からないかもしれない……。いいやつらだったのに、残念だわ」
「あっさりした反応だな!」
「まぁ、仲間といっても成り行きでいっしょに行動してただけだから。みんな変態だったし」
最後の一言がミニィの仲間に対する感情を端的に表しているようだった。
「じゃあ、ともかく、洞窟に入りましょう」
ミニィは先に立って洞窟へと足を踏み入れていく。
おれがあとに続くと、
「暗いわねぇ」
ミニィの指先が白熱電球のように輝きだした。
「だいぶ奥まで続いているようね……」
人が立って歩けるほどの高さがあり、かなり広々としている。地面も凹凸が少なく、つまずいたりしない。不自然なほどだが、もちろん、おれはここに憶えがある。自然にこんな洞窟ができるわけがない。ここも、おれの書いた小説に登場する。ただ、西クジョー山脈ではない。べつの場所なのだ。そして、そこでひとつのエピソードが語られる。まさか、ここでそれが実現するということは……。
書いた小説がバラバラにシャッフルされているようで、この先なにが起こるのか、作者であるはずのおれでさえ予想がつかない。
ミニィの照らす明かりを頼りに洞窟の奥へ奥へと歩いていく。
「足下に気をつけてくれ」
おれの書いた小説では、この洞窟にはトラップがあるはずだ。しかし、そのトラップにかかることで、話が次の展開へと進むため、それらをよけていくのも考えものだ。
「足下? なにか知っているの? だったら、先に行きなさいよ。気がきかないわね。そんなじゃ彼女もできないわよ」
「おまえなんかにそこまで言われるとは思わなかったよ」
おれの創り出したキャラクターに、作者であるおれのなにがわかるっていうんだ。
と、その次の瞬間、足元の地面が消失した。
ああっ、と悲鳴を上げながら、おれとミニィは滑り落ちていく。それは数秒のことだったが、長い時間のように感じられた。
背中をしたたかに打ちつけた。
「もう、なによ、いきなり」
ミニィが文句を言うのもわかる。
「すまん。もっと早く言うべきだった」
おれはミニィに手を貸して立ち上がらせようとしたが、差し出した右手は振り払われた。
「わかってるんなら、早く言って。それよりここはなに?」
「おそらく、おれたちはトラップにはまって、魔物の地下宮殿に来てしまったんだ」
邪悪な魔法によって〝ある目的〟を与えられて一体限りで作られた存在、それが魔物だ。魔法力を有するモンスターである。
「魔物……? で、どうなるの」
「魔物に捕らえられたコスモ・スクエア国の姫君を救けるクエストを達成する……はずなんだが」
「はずってなによ」
「それが……おれの書いたシナリオだと、おれはすでに強力な武器アイテムを持っていて、そのアイテムがあることで自信をもってクエストに挑んでいるはずなんだ。けれどもいまは……」
おれは手にしている釘バットに目を落とす。さっきのオーグル戦で肉片と血がべったりと付着していた。服にも返り血がついていて、現代世界でこの格好で歩いていたら、職務質問されるより先に手錠をかけられ逮捕されるに違いない。
「まさか、そのアイテムがなければ脱出もできないっていうんじゃないでしょうね」
「そのまさか、なんだ」
「死ね! 死んでしまえ! あんたが魔物のエサになって食われている間に、わたしだけでも逃げてやる。あんたの命には、それぐらいの価値しかない」
「落ち着けよ。姫君を救出できれば、脱出の方法がわかるんだから」
「どうやって救出しようっていうのよ。だいたい、なんの武器アイテムが必要なの」
「伝説の聖剣クリスタルソード」
自分で命名しておいて、安っぽいゲームみたいだと気づく。
ミニィはいまいましげに、チッと舌打ちした。
「一応訊くけど、そいつじゃだめなのね?」
「釘バットじゃ、魔物の攻撃を防げないし、魔物に致命傷を与えられない」
「あんたって、頭からつま先まで、すっごく役に立たないわね。よくこれまで生きてこれたもんね」
「とにかく、ここにいてもしかたない。移動しよう」
「ふんっ」
毒を吐いて気がすんだのか、ミニィは光る手を周囲に向けてかざした。
井戸の底のように高い壁に囲まれた空間だった。これ見よがしに、一方にだけ通路がぽっかりと口を開けていた。
おれはごくりと唾を飲みこんだ。
「行くしかないみたいだな」
「この先に、コスモ・スクエア国の王女さまが監禁されているっていうなら、行くしかないじゃない。魔物が出たら出たときで、なんとかするしかないでしょうね」
「根性あるなぁ……」
「非常の場合は見捨てるからね」
「…………」
おれはなにも言い返せない。
小説のなかの主人公なら、聖剣クリスタルソードをもって最強と噂される魔物を倒し、姫の救出に成功するのだ。
もっとも、そのクエストは、小説では、最後のクライマックスでえがかれる。苦労して手に入れた聖剣クリスタルソードでもって、ラスボスを倒すという、
だとするなら、もう詰んでいるではないか。
どうやって、魔物と戦う?
おれはそのときの対処方に、なんの知恵もないことに不安になりながらも、明かりを持つミニィのあとについていった。
ときどき休憩をはさみながら進んだ。
洞窟はどこまでも続き、いくつかの分岐が現れ、そのたびに当てずっぽうで進んだ。どちらの道が正解かなどわかるわけもない。行き当たりばったりだ。
多数の分岐点が迷路の役目を果たしているのだろう。どこか一か所でも間違えたら、目的の場所にはたどり着けないのだ。
が、たぶん、おれたちはたどり着けるだろう。
なぜなら、ここはおれが創った世界なのだ。思うようになるはずだ。これまでストーリーのとおりにはなっていなかったが、ここはうまくいくだろうという目に賭けた。根拠はまるっきりなかったが、おれの運の良さを信じたい。
ところで、いまは何時ごろなんだろう。時計がないし、月も見えないから、見当もつかない。
「ちょっとこの辺りでひと眠りしないか?」
おれは提案した。さっきからあくびが出る。オールナイトで進みたくはない。
「ちょっと待って。この先が開けているわ」
「わかった。この先を確認しよう。もし休めそうな空間なら、そこで休めばいい……って、ここは……」
おれは息を飲みこんだ。
広い空間がそこにあった。体育館ぐらいはあるだろう。ミニィの指先の光を照らしただけでは全体が見えないほど広い。
「もしかして、ここが魔物の地下宮殿の最奥部?」
「そうだよ」
賭けに勝った。どうだい、これがおれの運の良さだ。
「じゃあ、コスモ・スクエア国の王女さまはどこにいるの?」
「ええっと……、奥の壁際で、結晶体に閉じ込められている」
「どうやって救け出すっていうの?」
「聖剣クリスタルソードで……」
「はいはい、それはいまはないわけでしょ? もしかして、魔物もその聖剣でしか斃せないってオチじゃないでしょうね」
「そういうオチです」
「使えねぇ」
おれがクリスタルソードを持っていないということで、シナリオも魔物が出現しないというふうに変更されていたらいいのだが、そこまで都合のいい話になるだろうか。
壁沿いに前進する。空間の中央なんかを堂々と歩くのは危険だった。足音を忍ばして、おそるおそる歩を進める。
「なにかあるわ」
ミニィが指先の照明を前方に伸ばした。
ぼんやりと暗闇に浮かんでいるのは、大きな岩であった。高さ三メートル、幅二メートル。学校の校庭か校舎の脇に置かれている、なにかの碑のような感じである。
「あっ」
近づいてみると、まさしくおれが予想していたものがそこにあった。
岩は透明な結晶体で、その岩の内部に一人の少女が固められていた。黄色いドレスをまとい、正面を困惑顔で見つめている。
「で? どうすんの?」
ミニィが問うが、おれはどうすればいいのかわからない。小説版では、魔物の血で染まった聖剣クリスタルソードを岩の表面につきたてると、結晶体は砕け散り、閉じ込められていた王女・アルテミスがその戒めを解かれるのだ。しかし、ここには魔物もいないし、聖剣もない。もっとも、この状況で魔物が現れたら、戦う手段がないのだが……。
完全に手詰まりだ。
「でも、とにかく、運び出すぐらいはしたいわね」
「いや、しかし、この大きな岩をどうやって運ぶんだ。重そうだぞ」
「そうねぇ……、脳筋のヘラクレスでも無理かも……」
ミニィが腕組みをして、岩を眺めている。
「だったら、削り出すか。その釘バットで」
「削り出す……?」
小説を書いていたせいか、それ以外の選択を思いつけない頭の固さがあったのかもしれない。ミニィの案に膝を打つ思いであった。
「よし……」
おれは釘バットを握り、王女の周囲の岩を慎重に叩き始めた。カツンと音がしたがひびも入らない。
今度はやや強く叩いた。
岩の表面が小さく砕けた。
「なんとかなりそうじゃん!」
「いや、これ……すげぇ時間がかかりそうだよ」
腹も減っているのに、ひと晩じゅうこんな辛気くさいことやっていられるか。
「でも他に方法がないし。わたしの魔法力をアテにされても……ん、ちょっと待って」
「なにかいいこと思いついた?」
おれは期待した。
作者のおれが思いつかないことをキャラが考えつけるとは普通なさそうだが、いまはもう藁にも縋るというか、なんとかしてほしい気持ちでいっぱいだった。
「その釘バットをみせてちょうだい」
「なにをするんだ?」
おれは釘バットをミニィに向けた。打ち込まれた何本もの釘の頭についたオーグルの皮膚や体毛が血といっしょにかすかに異臭を放っている。
ミニィはそこへ左手──明かりを灯してないほうの手のひらをかざした。
「強化魔法をかけておくわ。これで少しは作業が楽になると思うから、やってみて」
釘バットの先端が蛍光塗料を塗っているかのようにぼんやりと光っている。
「ああ、ありがとう」
おれは釘バットで王女の周囲の岩を叩いた。すると、岩の表面は簡単に崩れ始めた。
「お、これ、いけるぞ」
おれは手応えを感じ、ミニィを振り返った。
「うん、じゃあ、がんばってね」
「って、おめぇだけお菓子食ってんじゃねぇよ!」
ミニィがその場で座ってリュックから出したペロペロキャンディを口に入れていた。
ミニィからキャラメルを二粒だけめぐんでもらい、一粒三百なのでこれで六百メートルは走れるはずだからという謎の言葉をかけられて、おれは王女の掘り出し作業に汗を流している。
幸い、ラスボスが現れることなく作業は順調に進んだ。王女に傷をつけないように気をつけつつ、ほんの数分ほどで完了した。
取り出した王女は、しかしまだ結晶体の中にある。生きているのだと思うが、まるで氷で固められたようで、ぴくりとも動かない。結晶を溶かす魔法が必要だ。
ミニィ曰く、そんな高度な魔法は使えない。使えるとしたら、よほど能力の高い魔法使いか、もしくは聖剣のようなアイテムが必要だろうと。
仕方ない。これを背中に担いでいくしかない。
「それはいいけど……」
ミニィは訊いた。
「どうやってここから脱出するの? 聖剣がないと脱出できないって言ってたよね」
「ええっと……聖剣クリスタルソードによって、結晶から王女を救出したときに、脱出口が開けるんだよ」
「まぁ、なんと都合のいいシナリオね」
おれの小説が陳腐だと言われたような気がして、ムッとした。
そのとき──。
ずしん、という地響きがした。
嫌な予感がした。
ミニィはすかさず、指先の灯りを周囲に向けた。
「うっ!」
おれの声がのどからもれた。
一匹の異形のモンスターが巨体を揺らして近づいてくるのが、薄暗がりのなかに見てとれた。
魔物。ラスボス登場。おれは死を覚悟した。
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