父の鯰になりたるを知りながら殺して喰う

渡柏きなこ

父の鯰になりたるを知りながら殺して喰う


 昔、都の北のとある寺に、上覚という三十路間近の役人がいた。それなりに身ぎれいにした、それなりに精悍な顔つきの役人だったが、心はガキのままだった。

上覚は、真面目のフリをするのが得意だった。周りからはよく真面目だなぁという風に扱われた。


 自分が人一倍の阿呆だというのは、上覚はとっくに気が付いていた。だけれども、それをそのままむき出しにしているのは具合が悪いから、まっすぐに背筋を伸ばして、真剣な目を構えてふんふんと頷くのが得意になった。実際そうすると、失敗しても周りがかばってくれ、成功したときには周りに崇拝してもらえた。


 だがそうなっても本人はまったく嬉しくもなんともない。さも誠実そうに振る舞っていたら、なんとなく万事がくるくる回って、なんとなくうまくいってしまっただけのことである。しかし上覚が長い付き合いの友人や世話になった人などに思い切ってそれを打ち明けてみても、例の真面目なフリのお陰で、彼らは上覚の独白を、ただの謙遜と打ち破り、笑いながら捨てた。上覚は、阿呆だが、阿呆なりに苦しんでいたと思う。


 中でも上覚を苦しめていたのは、同じく役人だった義理の父親である。上覚がもう少し若いころのことだが、血の繋がりがないせいか、それとも本人も相当の阿呆だったからか、上覚の義父は上覚の真面目な面の皮に大いにだまされ転がり、自分の財産やら権力やら、あらゆるものを上覚になげうって、安らかに死んだ。


 困惑したのは上覚である。役人になんぞなりたくもない彼に、義父は社会を変えることの価値を語り、真面目な顔の上覚に機嫌を良くしては、自分にできなかった夢を託す相手はこの上覚以外にはありえないと、いつのまにか心に決めてしまっていたのである。上覚は義父の紹介で食事をすることになった偉い人と不味い酒を飲みながら「早く終わらないかなぁ」と顔以外全部をしかめていたが、義父は満足そうにしていた。


 義父が死に、上覚は焼けた義父の骨の前でさんざん泣いた。それが息子の義務だと思って、ありもしない涙を振り絞って泣いた。いつまで悲しんでいるのが適当なのだろうかと、周囲の様子を伺いながらしばらく過ごし、けれどもそんな生活は段々辛くなってきて、しかし急激に元気よくなるのも不自然な気がして、徐々に徐々に、階段を登るようにして元気さを表した。


 すっかり元気になるころには、彼はもう役人だった。身も心も役人ではなかったが、社会通念上、役人とされる立場にいた。阿呆だが特定の勉強はできる性質だったし、彼の地頭の悪さをわかった上で上手く使ってやろうとする奇特な人間も多少はいたため、どうにかこうにか上覚は毎日をやっていかせていた。


 上覚はたまの休みに家に帰ると、よく髪を掻き毟って「全然面白くない!」と叫んだ。馬鹿にしないであげてほしい。これは切実な問題である。そのことが痛切にわかる読者もいるだろう。上覚の真面目の皮の少し下で、朱い肉がごりごりと滅裂に角度を変えながら押し込められていくのを、見なくともわかる人がきっといるだろう。


 そんな折、のことである。久々に見た夢の中で、上覚がふと眉をあげると、そこには別段懐かしくもない、義父の姿が立っていた。


 もし生きていたらこれくらいの歳になっていただろうという、嫌な本当らしさを伴って、少々やつれ気味になった夢中の義父は、ところどころ茶色に煤けた乳白色の、とてもじゃあないが手には馴染みそうにないほど太くぼこぼことした、しかしさきっぽだけは鋭く尖っている杖をついて、それにろくに体重も預けずに、立っていた。


 渋い顔の義父を見て、上覚は肝を冷やした。ついに自分の欺瞞が悟られたのだと思った。だが、そうではなかった。しばらく無言でむつかしい顔をしていた義父は、やがて静かにこう言った。


「いまの時分、君は忙しい盛りだろうし、こんなことを頼むのも気が引けるのですが……」義父は上覚に敬語で話すのが常だった。

「明後日、昼に台風が来て、貴方が住んでいる寺は倒れちゃうだろうと思います。でね、そのとき私は寺の下で大きな鯰に成っているだろうから、それを貴方に、ちょっと助けて欲しいのです。こんな話は誰にでもするものじゃありません。真面目な君ならと思ってお願いしているのです。鯰になった私を、どこか広い川かなんかに流しといてください。賀茂川なんかちょうど良いと思いますので……」


 夢を見た初日は上覚も不思議で、周りに話すこともあったが、他人の夢に耳を傾ける者などそうはおらず、その日はすぐに暮れた。


 翌々朝、台風はやってきた。上覚は着物の裾を汚しながら、街の家々を修理してまわった。しかし、生来の阿呆さはこういった切羽詰まったときにこそ彼を無能にした。上覚は人にとんちんかんな指示を出して呆れさせ、采配上手の人間が緊急に割って入って場をとり仕切った。上覚は周りに「すみません、焦ってしまって」と、さも焦ってさえいなければどうとでもなったかのように言い訳したが、心の中では、何度こういうことになっても、自分は役には立たないだろうとわかっていた。


 風雨は強く、二時間もすると、上覚の住んでいた寺は本当に吹き倒された。雨の止むほんの数分前のことであった。


 寺の天井には雨水が溜まっており、寺が倒れると道へあふれた。その中には大きな魚が何匹か混じっていて、家々の補修で疲れ果て、腹の減っていた付近の者たちは、桶を手に、後で食うつもりで、魚を捕えて回った。


 そんな中、上覚の前に三尺ほどある鯰が這い出た。それを見た上覚は「おお、美味そう」と思ってまずは鉄の棒でひっぱたき、効果が薄いと見るや、もってきた草刈鎌でえらを何度も何度も、何度もなぞって絶命させると、布にくるんで桶へ放り投げた。


 正直鎌でえらを二、三度やったときに「あっ!」と思って上覚は一度手を止めたが、目の前でだらんとしている鯰を見て「まあ、もうやってしまったものは仕方がない」と再び鎌を振るったところはある。


 しばらく後。一息ついた上覚はひろった魚を持ち寄って、家の近い仲間たちと鍋をやることにした。同僚が「その鯰、夢に出てきた奴じゃ?」と苦い顔をしたが、他ならぬその同僚が一口食べて美味いと絶賛するので、上覚も義父を口へ運んだ。いままで食べたどんな鯰よりも美味かった。


 きっと亡き父上の肉だから美味いんだろうなと、笑えない冗談のつもりもなく上覚が目をつむったとき、彼には見えた。よれよれの体で、割れて血の吹き出した頭で、赤い肉のほじくられた首で、船を漕ぐように、先の尖った白い杖を振りかぶる父親。

ぐえ、と上覚はたまらずえづいた。喉に鯰の骨がかかっている。周りのものには見えない。だが上覚には、自分の首の裏のところから、真白な骨が皮を突き破って、生えているのがわかった。水を飲んでものりを飲んでもこの骨はとれないということがわかった。


 もんどりうって転げる上覚を、見て同僚たちは少し距離をとり、そうしながらもやはり見ていた。かぁ、かぁ、と喉の奥をひっぺがそうとするような嗚咽の隙間から、上覚が密かに、笑っているのが聞こえた。上覚が転げる端から床に点々と赤い跡が続くので、傷は見えなくともどこかから、上覚の血がしぶいているのだとわかった。


「私ばっかりが、悪いのじゃないでしょう」と上覚は言った。おえおえと、さっき食った鍋が逆流しても、彼は笑うのをやめなかった。


「私ばっかりが、悪いのじゃないでしょう。あなたも半分、悪いはずでしょう。あなたの、見る目のないことが、責任の半分のはずでしょう。私は、確かに阿呆でした。でも、それを見破れなかったのは誰ですか。私をよく知りもしないのに、勝手に大事なことを託したのは誰ですか。同じ呪うなら、私だけでなく、ご自分も呪ったらよろしいでしょう」


 激しく暴れていた上覚だったが、身体に力は注れたままで、だけれども段々とおとなしくなり、遂には掠れるような声で次のように言って、絶命した。


「阿呆は阿呆らしくいねばなりませんか、父上」


 発言の意図がわからなかったので、周りの人は上覚の、気が触れたから亡くなったのだと思った。道で拾った魚なんぞだから、何か良くないものでも入っていたのではないかと思った。そうして気味を悪がって、彼らは鯰を食わなくなったとのことである。

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