夜勤メシ

まり雪

夜勤メシ

 突然ですが、多くの生物には『概日リズム』と呼ばれる体内時計が存在し、それは太陽の光によって調整されています。

 その機能のおかげで私たち人間は夜になると眠くなるし、朝になれば目が覚めるのです。


 しかし。

 人間社会には、そんな自然の営みに反逆するかのような職種やシフトが存在します。


『夜勤』と呼ばれるものです。


 これを書いている私も、その反逆者のうちの一人。

 今日も今日とて、出勤直後から様々なトラブルが重なり、一息つけたのは深夜の2時12分。

 出勤前、家で最後にご飯を食べてからほぼ半日は経っています……。

 今日の締め業務や明日のための様々な準備など、山のように積み重なった膨大な仕事を普段の倍近いスピードで進めたせいでしょうか。もう頭も身体もへとへとです……。


 最初に述べた通り、人間という生き物は本来朝起きて夜眠るのが普通です。自然です。生物学的にそのようにできています。

 我々反逆者は、その自然の摂理に逆らう報酬として夜勤手当なるものが支給されるわけですね。

 ですがその代償として、夜勤を長く続けていると疲れもたまりやすくなりますし、ふとした時に「あ、命削ってんなぁ……」と思う瞬間も多々あります。


 そのような環境で、しかもトラブルまで舞い込んできてはもう大変。疲労も数倍。お腹だって空くしストレスだって溜まってしまいます。

 では、それをどう解消するか。


 そう。答えは一つ。


『カロリー』


 これ以外にありえません。


「小木クン」


 私は財布から1000円札を2枚、取り出します。


「……! はい、なんでありましょう長官!」


 今日の夜勤の相方はアルバイトの小木君。近くの大学に通う学生で、ここで働き始めてから3年は経つベテランの夜勤補助です。

 そんな彼と共に戦い抜いた夜は数知れず……。そうして生まれた阿吽の呼吸で、くだらない小芝居を続けます。


「これは私の家に代々伝わる家宝。これを、例のブツと代えてきてくれまいか」

「そ、そんな……長官! そんな大事なもの、私なぞに託していいものでは……!」

「いいんだ。君がいいんだ。小木君」

「ちょ、長官……」

「この傷では、私はもう長くない。この老いぼれの命が尽きる前に、あと一度でいいからあの幸せな気持ちに浸りたいんだ。それが、たとえ違法であっても……な」

「うう……」

「ついでに、君の分も買ってきたまえ。これくらいしか、君の仕事に報いることができないからね……」

「……わかりました。不肖小木。最後の任務、必ずや果たしてまいります!」

「うむ。任せたぞ」

「はい!」


 そう言って、ジャケットを脱ぎ捨てた小木君は威勢よく深夜の繁華街へ飛び出していったのでした。




 今か今かと待つこと、10分。


「ただいまです~」

「お! おかえり~」


 すっかり素に戻った小木君が裏口から帰ってきました。


「これ、お釣りです」

「はいはい。ありがとね~」


 急いで戻ってきたのでしょうか。少しだけ息の上がった小木君から小銭を受け取り、私は手を洗います。

 彼も私に続いて手洗いを済ませ、デスクのキーボードをどかして2人で例のブツを透明の袋から取り出しました。


 密閉された、白い台形の使い捨て容器。


 抑えきれず漏れ出てくる熱気となんとも香ばしい香りが、くたくたに疲れきった私たちの食欲をこれでもかと掻き立てます。


「では……」

「いただきまーす!」


 そう言いながら、ふたをカパッと開ける小木君と私。


 パソコン画面ばかり見ていた私の両目が、その中身を見るなり輝きを取り戻していくのが分かります。

 小木君はもう待ちきれなかったのか、すでに大口を開けてそれをかきこんでいました。


「かーっ! やっぱこの時間に食うの、たまんないっすねー!」


 私も、それに続いてガーっとお箸を使って口の中へ放り込んでいきます。


「うん……! うん……!」


 そう。例のブツとは……。


『牛丼』


 牛肉と、白米。

 タンパク質と、炭水化物。

 その夢のコラボレーションが、絶妙な味付けにより一体化した、その奇跡。


「はふはふ……小木君は今日も大盛りつゆだく?」


 小木君がいつも頼むのは、若者らしい牛丼大盛りのつゆだく。

 まっ白なお米に甘みの効いたおつゆがたっぷりと染みこんでいて、とっても美味しそう……。


「はひ。大竹さんはチーズ牛丼でよかったですよね?」

「うん!」


 疲労。

 空腹。

 仕事の達成感。

 そしてなにより『こんな時間に高カロリーなチーズ牛丼を食べてしまっている』というその背徳感(スパイス)。


 これらが牛丼の温かみで糸を引くくらいとろっとろにとろけたチーズと混ぜ合わさり、舌の上で複雑な化学反応を起こしてとんでもない幸福感を生み出してくれるのです。


 一口かきこむ度に、疲れが吹き飛んでいきます!

 心臓が活力を取り戻し、命がたぎります!


 うおおおおおお!


「「ごちそうさまでした!!」」


 2人そろって、あっという間に米粒一つ残さず平らげてしまいました。


「よっしゃ! じゃあ朝まで共に頑張ろうではないか! 小木君!」


 牛丼パワーで無敵状態に入った私は、一時休戦していたパソコン画面に向き直り、再戦を挑みます。


「いや、オレこれから仮眠時間なんで」

「……えっ」


 まさか、ここまできての謀反ですと……。


「そ、そうだよね。ごめんすっかり忘れてたや……。」


 最低でも2~3時間。交代で休憩をとるのがうちの職場の決まりです。


「じゃ、5時には起きるんで」

「う、うん。おやすみ……」

「うっす。おやすみなさい」


 信頼できるパートナーは、そういえば休憩時間にはシビアなのでした。

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夜勤メシ まり雪 @mariyuki

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