第3話

 男の子が欲しいと思っていた藤本家と、女の子が欲しいと思っていた山下家は、私と浩介によってその願いを叶えることができた。


山下家は百合絵さんの巡視船が航海に出て、自衛官のお父様が当直司令とかの勤務が重なると、浩介が3日以上一人になる事がある。


 そんなとき浩介は、

「食事して風呂沸かして洗濯物干して学校に行く。たったそれだけだ。全然問題ないよ」


 そう言っていたが、私は勝手に山下家に入って冷蔵庫を開け、腐りやすいものを料理して浩介と食べたり、浩介を我が家に泊めたりしていた。


休みの日には、私は山下家でお父様から料理を習ったり、(ワイルドな野戦料理で一人暮らしや急な来客のとき役に立つ)家事や掃除の手伝いをしたりして、比較的穏やかにすごしていたが、これまで静かだった我が家の方は、浩介によって嵐が通過したように掻き回されることになる。


 私が高三のときだ。浩介と取っ組み合いの喧嘩をしているとき、母が買い物から帰ってきた。


「どうしたの?」と理由を聞く母に、


「浩介が私のペンケースにムカデを入れたのッ」


 ようやく浩介を押さえつけた私は馬乗りになって、そのまま浩介を殴り続けながら母に訴えた。


「だってゴムじゃん」


「ゴムだって、心臓が止まるぐらいビックリしたんだからね」


 育ちの良い母は取っ組み合いの喧嘩を初めて見るので、止めるよりも珍しそうに見ていたが、私も浩介もどこかで笑っていたし、浩介はただの一度も攻撃の手を出さないので安心したのか、可笑しそうに「休憩したら」とジュースを入れてくれた。


 私は二日前に庭でムカデに噛まれていた。


「私がムカデに拒否反応するの知っててやるんだから、悪質だわ」



 両親は夕食の席で私の怒る姿を見て、「ナオが今までに無い豊かな感情表現をしてる」と、浩介をなじる私を笑うばかりだ。



 浩介は「ごめんよー」とふざけた声を出しながらテーブルの下に頭を下げた。


「うそだ。全然悪いと思ってない」


「だけどこんなになるまで頭を殴ったんだから、勘弁してなやらなくちゃ」


「何をひと事みたいにいってるの。もっとチャンと謝って……」


 顔を上げた浩介を見て、私は悲鳴を上げて箸を放りだした。


 たんこぶだらけの頭に例のムカデを乗せた浩介が立ち上がる。



 呆気にとられた三人の前で浩介が宴会用のソフビの被り物を取ると、両親が大爆笑をして私は泣き出してしまった。


 でもそのおかげで私はムカデに免疫ができたのだ。


「よし。次はゴキブリの免疫を作ろう」


「絶対嫌だ。もしそんなことしたらこの家の出入りを禁止して、何も教えてやらない」


それでも絶交するとまでは言えないのが私の弱いところだ。



 今――私は神大の国際部グローバル科1年で、浩介は高3の受験生だ。


 書店で偶然を装い出会った日の五日前。



 掃き出し窓から差し込む陽が暖かい縁側で、ネコのミミが余りにも気持ち良さそうに伸びをして寝転んだ。


 それを見た私達も、それまでやっていた数学のノートと参考書を縁側に移して、寝転びながら勉強することにした。



「あーッ。きもちがいい」浩介が私の横で、ミミのように伸びをした。


「あのさ、関数行列式ってあるじゃん」


 入試には出ないはずだと思いながらも、答える。


「W[ y₁, y₂] のこと? y₁, y₂のロンスキアンという?」


「知ってるんだ。じゃあ、定数変化法」


「斉次方程式の解の1次結合における定数を関数に変える方法。書こうか」


「まいった。折角シバさんから教えて貰ってたのに」


「なーに? 急に」


「いや、いつまでたってもナオに追いつけないなと思って」


 そういえばこの何ヶ月か前から、やたらと質問が多くなった気がしていた。


 まるで私を言い負かそうとしているかのようなのだ。


 何?コンプレックス!


 まさかね。浩介が私より優秀なのは誰もが知っている。


「大丈夫だよ。コウが今の私の年になったとき、貴方は私よりもずっと上のレベルにいる。コウ、目を瞑ってごらん」


 私は目を瞑った浩介に被さり「エネルギーを注入してあげる」と言って唇に唇を重ねた。


 すると浩介は私の首に腕を回して抱え、もう一方の手を服の裾から入れて胸を掴んだ。


「あっ……ちょっとコウ、コウスケ……」


 唇が塞がっていたが、確かに、やめろとは言わなかった気がする。


 それどころかもっと前にコウスケから私を抱きたいと言われて心の準備ができていたら、それから家に誰も居なかったら、どうなっていたか判らない。


 だが、その時父がノックもせずに「ステップルを貸してくれ」と言いながら入ってきたのだ。



       


 

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