3 私の仕事
普段より一〇分遅れで一人暮らしの自宅を出て共有のロボットカーに乗る。
居住区天井の
等間隔に植えられた背が低い街路樹、樹脂構造材で覆われたプレーンで規格化された建築物が立ち並ぶ居住区を抜け、階層移動用の薄暗いバイパストンネルに入る。
直径約十二キロ、幅三キロに及ぶリング状のクラウドスフィア航宙要塞は、私達「二番目の人類」およそ二万人が暮らす第三の巨大生活圏である。
その内部構造は六つの階層状になっていて、雲の惑星側に向いた第一層居住区から勤務先がある第五層の製造区まで三十分は余裕で掛かる。
つまり、遅刻だ。
「何の為に君に預けたと思っているんだ。普段ならともかく、選りに選って今日」
勤務先の所長ことゲルダ・グロンホルムのお小言である。
だがしかし、彼は床に低く屈んでいて、視線の先に居るのはナザニーだ。
「あの…… 遅刻したのは「私」、なんですけど」
私は低い位置の所長を見降ろし、冷ややかに言い放つ。
彼はにわかに立ち上がり、長い手脚を揺り動かして大袈裟に驚くジェスチャー。
いい加減慣れたが、実にわざとらしい。
ライトグレイの長い髪にひょろりと高い背、一見してmとfのどちらの素体か分からない。細く長い目の目尻を常に下げていて、不機嫌な顔など滅多に見たことがない。
背後で私と同じオフホワイトの制服を着た同僚達が、くすくすと笑う声が聞こえる。
Variable Alloy Research and Development、通称〈VARD〉の開発室。
明るい正円形フロアの窓際にスタッフ各々のパーテーションが立てられている。
現在の私はフロア中央に構える所長のディスプレイデスクの前。
もちろんナザニーの上に座ったままだが。
「あはは、ごめんごめん。ついうっかり」
「あの、うっかりじゃないでしょう? 確かに遅刻は私の不徳の致すところですが、私を出汁に笑いを取るのはやめてください」
恥ずかしながら、このやり取りは今回が初めてではない。
彼は私を揶揄うことにある種の喜びを感じている。
私が遅刻しなければ良いだけの話だが………
「君達「人類」にとってユーモアは重要な文化要素だろう? 僕はそれを尊重したいんだ」
うんざりする私を軽く無視して、ゲルダはその顔に満面の笑みを浮かべる。
「いやあ「二番目の人類」の中で君ぐらいのものだよ、生活習慣に大きな揺らぎがあるのは。極めて「旧人類」のごく普通の人に近い」
ゲルダ・グロンホルム。その名が示す通り、彼は私達「二番目の人類」とは違う存在。
大銀河文明連帯十二文明圏のうちの一つ、アネクドの人類から私達の社会に「観察者」として送り込まれているのだ。わざわざ私達と同じクローン素体に記憶を注入してまで。
だが、彼は自称「旧人類文明のマニア」。その歴は百八十年にも及び、趣味が高じて「二番目の人類」の観察者に志願したらしい。物好きな異星人が居たものである。
因みに彼の文明名は私達には発音できないので、「アネクド」は便宜上の呼び名である。旧人類の北方の大国の言葉「anekdot /滑稽な小噺」から来ており、本人はいたく気に入っている。
「僕が知ってる文明史上の旧人類と比べて、「二番目の人類」はみんな真面目で大人しいからね。君は仕事の方は特に優秀だから、バランスが取れてる。退屈しなくていいよ」
「念のためにお伺いしますが、それ、褒めてないですよね?」
「ううーん、どうだろう………?」
ゲルダは天井に視線を向け、本気で首を傾げている。
私は長い長いため息を吐かざるを得ない。
確かに私達のクローン素体は、大銀河文明連帯がサルベージした旧人類のそれを基礎として、二百五十六通りのデザイン・ゲノムから成り立っている。
特殊なリボ核酸、xx+RNAで個別にチューニングされているとは言え、クローン素体同士にそう大きな違いはないはず…… なのだが。
私達「二番目の人類」は討伐ミッションの負傷による身体欠損は決して珍しくない。
結果として欠損したまま兵徒を引退する仲間も数多いが、身体機能をほぼ補える優秀な義肢により補助ロボットまで必要とする者は少ない。
だが、ナザニーは一人暮らしの私への気遣いと称し、ゲルダが無理やり用意したもの。
私は「ダメな子」のレッテルを貼られたのである。認めたくないが。
「あの、おふたりとも、そろそろ来客の……… 時間」
ゲルダの背後から聞こえる鈴鳴りの声。ニレだ。
彼女はミッション・パートナーが現在〈ジェネクト〉後のリハビリ中のため、兵徒任務に就けない期間だけお手伝いに来ている現役の二級兵徒である。
小さな身体に大きな瞳、お菓子みたいなふわふわ頭が可愛らしい。
だが、その表情には僅かに憂いの影が落ちている。
ニレはVARDに来る前、〈ジェネクト〉の誤起動により「死に帰り」した人物と出会い、最後に立ち会ってしまった。その経験が今も根深く跡を引いていると聞く。
要するにお手伝いも彼女自身のリハビリなのだ。
それはさて置き、ゲルダは思い出したように手を打った。
「そうだ、今日は例のパーツを観に「
「えっ………」
およそ一万人が兵役に就く航宙要塞内で、まだ八組・十六名しか認定されていない。
「ええと、来客は第三航宙時一〇〇〇、四名とうかがってます」
「ウチのテストルームへは、移動と昼食を挟んで一三〇〇だったね」
「機材の搬入も、きのう、すべて終わりました」
「あ、あの、それって………」
私が驚いているのは、現在のケイがその専任槍士官だからだ。
「それ、専任槍士官……… で間違いないんですか?」
「そうだよ、例のパーツは君がデザインをしたんだから、君も同席。あれ、言わなかったっけ?」
「ええ、ただの来客だと………」
「例のパーツ、ヴァリオギアのサブアームは専任槍士官のオーダーなのに?」
「うっ………」
ゲルダは再び首を傾げながら、視線を私からナザニーに移した。
「ナザニー、君にも託けていたはずだけど……」
〈私はシズの介護補助ロボット。質問されないことは答えられません〉
私のお尻の下で悪びれもなく宣うナザニー。
こりゃ参った、と吹き出すゲルダ。絶句する私。
〈私を活かすも殺すも、シズ次第です〉
その割には一言多い。
つい中に「人」が入っているのではないかと疑ってしまう。
いつかぶっ壊して確かめてやる。
「と言うか、専任槍士官だったら、何か困る?」
「いや、だからそれは、その………」
***
場所は第六層の宇宙港、VARDが管理するヴァリオギア専用テストルーム。
全高およそ十二メートルの「ヒト型の戦闘機」にダンスを踊らせられるくらい広い。
一G重力下の大気エリア。後方一角を除く壁が乳白色の耐衝撃樹脂パネルに覆われ、いくつかの試験用障害物が転がっていることを除けば殺風景な空間だ。
「ナザニー、サブアームのセットアップは順調?」
「ナザニエル」の愛称を持つ二世代前のヴァリオギア・ユイット。
その非ニューラルジェル型のコクピットの中で、私が座るシート左横のナザニーに声を掛ける。
長い四本の脚をコンパクトに折り畳み、コンソールの窪みにすっぽりと収まっている。
彼のために設計された接続ボックスだ。
〈ここは我が家のようなもの。問題ありません。あと五秒で完了します〉
ポポポポッ……… と電子音。目の前に広がるホログラムの投影視界に、次々と角が丸い情報窓が立ち上がる。システムに異常は見当たらない。
私は手元のタッチタブを操ってナザニエルを整備ハンガーから降ろす。
樹脂製の床を踏みしめる巨大な足先の音が外部マイクを通じてコクピットに届く。
『各モニター、すべて準備が整いました。シズ、だいじょうぶ?』
「了解、いつでも「デモ」を始められる」
制御室で稼働テストのアシストをするニレ、それに応える私。
現行型のヴァリオギア・ディスと違い、ナザニエルは神経接続にニューラルジェルが採用されていない。そのため接続は左耳の後ろ側に埋め込められたコネクタからケーブルを介して取る。
ナザニエルが旧型だからだが、試験中に何度も乗り降りしては神経質な検査機器を触らなければならず、要するにジェル接続は機器を汚すので都合が悪いのである。
私の格好は仕事着の制服のまま、他はインカムを付けているだけ。
コクピットを満たしているのはジェルではなく、標準気圧の酸素と窒素。つまり空気だ。
〈お手柔らかに、どうぞ〉
上下に薄い涙滴型のセンサードームを頭部に持つグレーの巨体。極限まで理想化された人体をそのまま巨大化したような現行型と比べれば、ナザニエルは手脚も太く胴体も厚い。
可変アロイのピーク出力が低く関節可動域に僅かに不感帯を残すものの、独特の個性があって私は気に入っている。ナザニーの不遜な態度は癪に触るが。
『では、サブアームのデモンストレーションを開始します』
制御室で見学する来客に向かってゲルダが告げる。
コクピットの外はナザニエルの稼働音以外に音は無く、彼の声だけが響き渡った。
私は整備ハンガー横のラックに立て掛けられた模造のランスガンをサブアームで掴む。
ナザニエルの肩に備えられたそれは本来の腕より長く試作型のため無骨だ。
制御室にナザニエルの背を向け、ランスガンを半身で構える。
右脚でナザニエルの巨体を押し出し、左脚を一歩前に踏み込む。縦に模造の銃槍を振り下ろす。
続けて今度は右脚を前へ一歩、左の足先で押す。
ランスガンの切っ先を加速させ、何もない空間を真横に薙いだ。
「ヒュッ」と外部マイクが拾うのは、銃槍の刃先が鳴らす風切り音。
また一歩踏み出し、今度は前方に突きを入れる。
退くと同時にサブアームの指先でランスガンをくるりと回転させ、ナザニエルの向きを反転。
最初と同じ動作を速度を上げて繰り返す。
次にランスガンを斜め上へ高く放り投げ、サブアームの掌を床に突いてナザニエルを前転。
起き上がると同時に、落下するそれを受け止めた。
「ふうっ」
関節の可動はスムーズ、可変アロイは低反応域から思いのほかパワーが出ている。
可変速度も上々だ。自らのデザインながら、よく出来ていると自賛する。
一瞬だけ制御室に視線を送る。横に長い窓から見える人影は六名。一人背が高いゲルダと小さなニレ、他四名の専任槍士官の中にケイの姿は見当たらない。
ほっと胸を撫で下ろした。
実のところ、私はケイと顔を合わせるのが嫌でデモのパイロットに志願し、早々とナザニエルのコクピットの中で篭っていたのだ。私は子どもか。
〈気を抜くと『また』失敗しますよ〉
「ああんもう、煩いなあっ」
ナザニエルを後方に跳躍させ、着地ざまにランスガンを横一文字に薙ぎ抜く――― はずがサブアームの掌から模造のそれがすっぽ抜けた。
「あ」
次の瞬間、外部マイクが拾ったのは「ゴスッ」と気持ちの良い音。
ヴァリオギアの神経接続はパイロットの意思に充実な精密動作を保証するが、搭乗者のミスをも忠実に再現する欠点でもある。
音の方向に向くと、ランスガンは制御室直上の壁に真っ直ぐ突き刺さっていた。
少し下方にズレれていれば大惨事だ。
「あ、あ、あ、あ………」
私はまた、やらかした。
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