試験プレイヤー
これでは落ちる。多分、いやおそらく、いやいや確実に。和也本人が、そう思うのだから、まず確実に駄目だろう。
大学受験を一度失敗し、二度目の夏のことだ。予備校に通うこともせず、自力で大学受験を突破するべく、日々、自室に引き籠もっている。
二浪はできない。再チャレンジは一度だけという親との約束。正に背水の陣で挑むべき状態だったが、本人はどこか他人事のように感じていた。
「……うっせぇなー、ミンミンゼミ」
窓際の桜の木に蝉が集まり、猛暑の夏が更に暑苦しく感じる。和也はベッドの上でだらしなくグミを噛みながら、やる気のない寝返りを打った。
だらだらする余裕はないが、勉強する気にならない。勉強しているふりをするだけで、三食昼寝付きの生活が送れるのだから、この安楽さが続けばOKというくらいの気持だ。
「腹減ったぁ……」
スマホを見ると午後三時。昼食の焼きそばはとっくに消化済み。冷蔵庫に何かが入っているはずだと身をのろのろと起こし、階段を下りていった。
一階には誰もいない。両親は仕事に出ていて、弟は高校に行っている。冷蔵庫の中をあさり、冷凍たこ焼きを取り出してレンジで温めて食べた。
一人で食卓に着いているとき、食器棚の引き出しが半開きになっているのに気付いた。
「誰だよ、だらしねえなぁ」
食べ終わって皿を洗うために席を立ち、引き出しを押し込もうとした時、中に変わった柄の封筒があるのが目にとまった。
「なんだ?」
宛名シールが剥がされた開封済みの封筒。何の気なしに中身を引き出すと、一枚きりの書類が入っていた。プリントアウトの文章を読んでいくうち、和也は酷くムカムカした。
中川和也様。
お客様が新型ゲームの試験プレイヤーに当選いたしました。ご連絡いただければ、新型ゲーム機をお送りします。プレイして感想などお聞かせ下さい。当選番号15864425
それは和也宛の懸賞当選の知らせだったのだ。懸賞を趣味にしている母親が、家族の名を使って応募する時があるのだが、当選したときには賞品は貰える約束になっていた。想像するに、当選したはいいが、ゲーム機ということで自分に内緒にしたのだろう。これにはかなり気分が悪かった。浪人中でゲームが駄目だとしても一言あってしかるべきだ。
手紙に書かれていたURLのページをスマホで開き、当選番号を入力してみると新型ゲームの詳しい内容を読むことができた。
「これ、まじですげーじゃん!」
特別開発中のハイスペックゲーム。これまでと全く違うゲームシステムだと書かれてある。
「これ、貰うしかないっしょ!」
日時指定で配達してもらえばいい。一人の時に受け取れば家族に知られることもない。和也は月曜の午前中に届けてもらうことにしたのだ。
八月が半分過ぎ去ったが、和也にその実感はない。彼が住んでいるゲームの世界には季節はなかったからだ。
小型VRゴーグルには小型マイクが付いていて、和也はプレイヤーたちと会話しながらタスクを進める。メンバーはたった五人だが、それは試験プレイヤーに当選したのが五人だけだったからだ。
和也はミクミという女の子と特に親しくなった。他の三人は中年男性で、十代のプレイヤーはミクミと和也だけだ。
「ねえ、カズ。ここの計算できる?」
「また?」
「だって、このミッションは重要よ」
白い肌、グリーンの目。長い髪はサラサラしたメタリックブルーだ。ミニスカートがひらひらしていて、長い足がすらりと伸びている。ミクミのアバターはとても愛らしいが、ハイクラスのものではない。ハイクラスのアバターを獲得するためにはミッションをクリアする必要があったし、和也もアバターもパッとしない。
「今回は難しい問題ばっかりだな」
「だって、この世界の頂点に立つためには知恵と知識が必要なんだもの。このゲームがオープンになったら、世界中の優秀な人たちがライバルになるわ。今のうちにレベルを上げておかなくちゃ、ただの泡沫プレイヤーに成り下がるだけよ」
「そうだな、このゲームの最大の特徴は、レベルが上がれば上がるほど、現実での金儲けができるってことだからな」
「このゲームの世界の中に、あらゆる企業が広告を出すらしいからね。その広告料がプレイヤーの収益になるってわけだもん。レベルが上がれば上がるほど、収益が毎月沢山貰えるって話だし」
「動画を作って、再生回数上げて金儲けするのとは違って、ここではレベルが上になるだけで、毎月収入を得ることができるってんだから、正に新しい時代の到来だよな」
「だから、今のうちに私たちは必死でレベルを上げておかなくちゃ損なの。試験プレイヤーに当選したアドバンテージを有効に使わなくちゃ馬鹿よ」
「よし、頑張って問題解いてみるか」
「その調子よ、カズ。プラチナプレイヤーの座に着けるのは一握りらしいけど、年間で一億以上稼げるらしいし、頑張りましょうよ!」
「よし、このゲームで億万長者になってやるぜ!」
和也は胸を張った。大学受験なんかどうだっていうんだ。学歴なんてどうせ高給を取るためじゃないか。ならば、今からゲームで稼いで一人で暮らせばいいんだと思い、情熱の全てを注ぎ込んだ。ミクミと一緒にこのゲームの覇者となるには、眠るのも惜しんでミッションに挑むしかない。
「今夜も夕食を食べないのか、和也は?」
「勉強を中断したくないから、部屋でおにぎり食べるって」
「栄養足りてないんじゃないのか?」
「無理やり口に押し込むわけにいかないでしょ? 食べたくなったら冷蔵庫から出して勝手に食べるわよ」
「それにしても急に勉強熱心になったな。和也はどちらかって言うと、渋々勉強するタイプだったのに」
「さすがにお尻に火が付いたんじゃない? 二浪は無理だって解っているはずよ。弟と一緒に大学生一年なんて嫌でしょうし」
夫婦の向かいの席で保が静かに食べていた。真面目な秀才で無口な高校二年生。進学高での成績は常にトップ。成績そこそこの兄と違って未来は光り輝いていた。
「保ほどじゃなくていいから、和也も一生懸命やってくれればいい」
「ま、どこかに入学さえしてくれればね。金銭的にはきついけど、和也では国立は無理だろうから」
母親は茶碗を持ったままで溜息を吐き、父親はグラスのビールを飲み干してから席を立った。四人家族、ほぼ同じようなサイクルで生活は回っていた。
夕食の後片付けの手伝いを終えた保は、風呂に入ってから二階に上がった。二つ並んだドアの左が兄の和也の部屋だった。保はそのドアを暫く眺めて自分の部屋に入った。
勉強机に着いて、宿題と予習を始めると兄の部屋からくぐもった声が聞こえてくる。
「あー間違えちまった。ヤバい、ランク落ちちまう! ミクミ、フォローを頼む!」
毎日兄の声が聞こえてくるが、熱心に勉強しているふうはない。夜中を過ぎても声が止まらず、このところ毎日そうだった。
「……まあ、しょうがないな……」
勉強を終えた保がパソコンを起動した。勉強机の隣のテーブルには立派な自作パソコン。保は機械いじりとプログラム制作が趣味で、小遣いの殆どをパソコン関係につぎ込んでいる。一人きりでコツコツ努力するのが好きな性格だ。
映し出された画面には英数字の羅列のみ。今日もプログラムをせっせと強化した。兄の声に惑わされないよう、目的に向かって着々と物事を成していく。兄弟違う性格で、両親は弟に目を掛けているのだが、それは保には迷惑な話だった。親が自分に期待すればするほど、兄はやる気を失ってふてくされていく。保に責任はないのだが、兄の態度は悪くなるばかりだ。
保は兄が嫌いではなかったが、プライドは高いが努力は嫌い、という性格が厄介だとは思っていた。兄は頭が悪いわけではない。ただ、楽をしていい目をみたいという考えであり、それでは破滅に向かうだけだろうと、兄を心配していたのだ。もし、二度目の大学受験に失敗して高卒で就職したとしても、プライドの高い兄では長続きしそうにない。大学卒という肩書きはプライドの高い兄にこそ、必要不可欠なはずだった。
熱心にタイピングを続けた保は、キリのいいところでベッドに横になり、耳栓を押し込んで眠りに着いた。
夏が過ぎて秋がやって来た。そして瞬く間に冬。
和也のセンター試験が近付いてきた。その頃にはゲーム依存症状が出ていて、他の何もかもに虚ろな状態だったが、家族は勉強疲れと錯覚してくれていた。
ゲームの開発が遅れて、オープンがどんどん遅くなっていたが、いよいよ春にオープン確定になったので、受験勉強そっちのけで必死にレベル上げをしていた。
センター試験は両親の手前、受けるしかない。どうせ落ちるが、落ちて両親との軋轢が生まれたとしても、ゲームで稼いで一人暮らしするつもりでいた。一億円プレイヤーになれれば勝ち組だからだ。
そして雪がちらつく日、気の乗らない和也は受験場にとぼとぼ向かった。
「おめでとう! 絶対に受からないと思っていた国立に受かるなんて、さすがに母さんも驚いたわよ!」
母も父も満面の笑みを浮かべていたが、本当に驚いていたのは和也自身だった。自分の偏差値では完全不可能だと思っていただけにぽかんとしている状態だった。
テーブルの上にはご馳走、合格おめでとうとチョコレートで書かれたホールケーキも乗っていた。
「兄ちゃん、良かったね」と保も心からホッとして笑った。
「……ああ、うん。まあな……」
「本当に勉強したものね。まるで取り憑かれたみたいに」
「夏からずっと凄い集中力だったな。見直したぞ、和也」
ただ、和也は実のところ、あまり嬉しくなかった。それはゲーム会社がオープンを断念したというお知らせを発表していたからだ。
資金面に問題が生じ、誠に残念ながらオープンを断念する決定に至りました。試験プレイヤーの方々には、ご協力いただきまして誠にありがとうございました。と、記述はそれだけ。サイトは開けなくなっていて、ミクミとのチャットも不可能になった。連絡先も教え合っておらず、関係はぷつりと切れてしまった。
一億円プレイヤーになれたかも知れないが、資金面の問題なら仕方ない。そう割り切るしかないだろうし、これからは花の大学生だ。
それにしても運が良かったのだ。受験内容がゲームの内容としごく類似していたのだからだ。そもそもクイズゲームの世界だったが、娯楽やスポーツの内容も多かったことから、あまりピンときていなかった。
ゲームの回答方式もマークシートだったし、受験時もゲームをしている錯覚になった。リスニングも楽々だったのは、ゲームでやり込んでいたためだ。
全ては怪我の功名というところか。金儲けはできなくなったし、ミクミのことが気になっていたので残念だが、また、新しいゲームが開発される可能性もある。気長に待つしかなかろう。
夕食の後、部屋に戻っていた保は兄の試験合格の結果に心底胸を撫で下ろしていた。
「本当に手間が掛かるよ、兄ちゃんは……」
保のパソコンの画面に映っていたのは、和也が熱中していたゲームの世界だった。
「これで、これも用なしになったな」
そのゲームの世界もミクミのキャラターも、実は保が一人きりで作り上げたプログラムだった。ゲーム機械も彼の手作りで、試験プレイヤーの当選の手紙から全ては保の仕掛けたことだ。
「口うるさく勉強しろって言っても、絶対やらない性格だからな」
プライドが高く、天邪鬼の兄を操るために考え出した方法だったが、この秘密は墓場まで持っていかなくてはならない。もしもミクミの正体が弟の作ったAIだと知ったら、恋愛感情を持っていた兄は死んでも許してくれないだろう。
「馬鹿は、賢く誘導してやる必要があるからな……」
保はクリックしてゲームの世界全てを削除した。そしてソフトを使って、完璧に痕跡を消し去ったのであった。(終)
短編の迷路 威響カケル @kakeru
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