短編の迷路

威響カケル

ハイ・ヌーン(真昼の決闘)

 どうして刀を抜いたのだろう。いや、抜かなくてはならなくなったのだろうか。

 頭がぼーっとしている。はて、おれは誰だったのだろうかと。

「×××!」

 相手は激しく怒鳴っているが、何を言っているのかはさっぱり解らない。

「×××××! ××!」

「だから拙者、戦いに負けたくはない!」

「×××!」

 侍は、相手が何を怒鳴っているか言葉が理解できなかった。自分に銃口を向けていたから、きっと激昂しているのだろう。こっちは日本刀一本であり、どうしても不公平さは拭えなかった。

 真上に白く燃える太陽。赤茶けた砂漠。遠くに砂に汚れた家屋が幾つか建っており、どう見ても西部劇映画の一場面だ。

 相手は髭面でカーボーイハットを被っていて、黒いシャツ、焦げ茶のズボンの腰にガンベルトを巻いていて、拍車のついたブーツをガツガツ踏み鳴らしている。かなり頭にきているらしいが、それでも何をしたいのかは、やはり解らなかった。ただし、決闘ならば受けて立つ他ない。それが武士道というものだからだ。

 大地の上に陽炎が立っていて、日差しが皮膚を焼いていく。相手と二人きりのギリギリの場面だった。

「××××! ×××!」

「だから、拙者は理由を知りたい! 貴様が憤慨している理由言え、それを知らねば戦意が湧かぬ!」

 すると急にガンマンが銃をホルダーに戻したかと思うと、不意にくるりと背中を向けて遠ざかって行ってしまった。あまりに唐突な退場で、侍はむしろぽかんとしてしまった。

「……なんだ?」

 抜いた剣を鞘に戻すことも忘れ、突っ立っているしかなかった。はて、一体何だったのでござろうかと。

 砂地を踏んで、建物の一つに中に入ってみた。そこは酒場だったが客は一人もいなかった。

「いらっしゃいませ」

 カウンターの向こうににこやかな男が一人きり。

「あ、その……」

「日本酒? ございますよ」と微笑んだ。

「いや、それより拙者、どうもぜにを持っておらんようで……」

「いえいえ、ここは全て無料ですから。そういう世界ですし」

「銭がいらぬのか⁉」

「はい。そんな世界ですから」

 納得がいかない。だが、いらないというなら渡りに船だ。侍はカウンター席に腰を下ろした。

「では、酒ではなく飯を頼めんかな? 汁と魚と飯と漬け物でもあれば良いのだが」

「ございますよ。ちょっとお待ちを」

 店主は手品師のように華麗に手を動かし、あっという間に注文の品をこしらえた。

「温かいうちにどうぞ」

 差し出された盆の上には所望の品。香りの良い焼き魚。そして味噌汁と炊きたての飯の湯気。

「ほほう、日本食が作れるのか。これはかたじけないことだ」と、箸を取った。

 汁も魚も飯も美味いし、おまけにお代わり自由。侍は汁を三杯、魚を二尾、飯を三杯お代わりした。

「お侍様、明日は誰が決闘相手なのです?」と、店主が問うてきた。

 はて、どういう意味だろう。侍が目を丸くしながら首を傾げていると、店主は急に思い付いたように手を打った。

「ひょっとして、まだ説明をお受けになっておられない! これは驚きました。そういう手違いは滅多にないことなので!」

「どういう意味でござるか?」

「今から役所に行って下さい。そこでチュートリアルを受けることができますから」

「チュートリアル?」

「先に申し上げておきますが、ここはゲームの世界ではありません。死後の世界ですからね」

「死後⁉」

「はい」店主は満面の笑みで、そう返してきたのだ。


 役所はガラガラだった。職員が五人ほどだけ、パソコンの画面に見入っていた。

「どなたか、話を聞いて下さらぬか。酒場の店主に訊いたが、チュートリアルがなんとやらで……」

「あ……」一人の中年が、侍に焦った表情を向けた。「良かったぁ。侍1818さん。手違いで先に決闘場に送られてしまったと、さっき聞いたばかりですよ」

「手違い……とな?」

「そうなんです。そこの、そう、その席に座って下さい。遅ればせながら説明をしますから」

 手で示された椅子に座って、職員と向き合いながら話を聞いた。

 職員の話を聞くと、このエリアは生きていた頃、戦いから逃げまくったヘタレだけが集められている場だという。なんと屈辱的な話であろうか。

「拙者は断じてヘタレではない! いや、なかったはずだ!」

「皆さんそうおっしゃるんですよ。だから、決闘をして、ヘタレでないことを証明してもらいただけです。じきに生前の記憶も戻って来ますから、それも踏まえて勝利を目指して下さい」

 それから侍はチュートリアルを受けた。大きな画面で示されながら、実際に刀の使い方を教わった。

 刀は不利だと文句を言うと、ここは死後の世界で、拳銃も刀も対等であることを説明された。刀の動きも拳銃の弾の動きもしごくゆっくりなのだという。ただ、拳銃は弾切れがあるので、刀の方が有利なこともあると言われた。

「ヘタレでないことが証明されれば別のエリアに移されます。どこだかは解りませんし、天国か、地獄かの判断も移動の後です」

「どうして最初に審判を行なわぬ?」

「本人が真実を認めたがらないからですよ。自覚していないのが一番厄介なんでね。自分は賢いとか、優しいとか、真面目とか、正しいとか、自分自身で過大評価して、それを信じ切っているやからばかりで。死後の世界では思い違いを捨ててもらう必要があるんです。このエリアであなたがヘタレでない証明ができたら、あなたが正しいってことです」

「拙者がヘタレではない事実を証明しろ、ということだな?」

「そのとおり」

「承知した。ヘタレではないということを、嫌というほど知らしめてやろうではないか」

 侍は揚々と役所を後にした。

 大股で表を歩いて行く侍を、職員は窓から見送りながら呟いた。

「己を知らないやつばっかりだな。ゴキブリを見ただけでひゃーひゃー逃げ惑うようなやつなのに……」

 侍は鼻息を荒くしていた。拙者を臆病者と言うのか、生前の記憶はまだはっきりしないが、きっと猛者に違いない。でなくては、この腰の刀がこれほどしっくりするはずがないのだ。堂々と胸を張って侍は酒場に戻った。

「おや、もうお戻りで?」

 店主は相変わらず愛想が良かったが、彼は客と話をしている途中だった。客は剣を腰に帯びた西洋の剣士だった。

「あちらは侍1818さんで、新入りさんですよ」と、侍のことを剣士に紹介した。

 すると、西洋の剣士はにこりと笑って「ようこそ、腰抜けワールドへ」と挨拶した。

 決闘したガンマンの言葉は分からなかったのに、その白人の言葉ははっきり日本語として聞こえた。チュートリアルを終えた効果だという。

「腰抜けワールドとは聞き捨てなりませぬな」と、武士の品格を示しながら、剣士の隣に腰を下ろした。

「でも、事実ですからね」

「拙者は違いますな」と言ってから緑茶を注文した。

 剣士は紅茶を飲みながら微笑み、スコーンにジャムを付けて食べた。侍には緑茶が出されたが、お茶菓子に大福がついていた。

「かたじけない」

「毎日決闘しなくてはならないわけですから、たっぷり食べて精を付けて下さいね」

「うむ」

 宿は酒場の隣だと役所で聞いたので、大福を食べ終わって宿屋に向かった。そこは宿というより、独身寮のようだった。寝泊まりしている全員が決闘に勝つために暮らしている人たちだという。侍が毎日決闘する相手も、ここに住んでいる者たちということになる。殺し合いをする相手と同じ屋根の下とは、こんな悲痛なこともないだろうと侍は思った。

 部屋に案内され、座布団に座った。部屋は和室で心は落ち着いた。侍は役所で観た決闘表の対戦相手の名前を思い出した。明日の相手はジム552というガンマンだった。決闘は昼の一時きっかり。場所は今日と同じところだ。

 静かに黙考していると、廊下から複数の笑い声が聞こえてきた。実に楽しそうな騒ぎになって、大勢の歌声にまでになった。どうしたことかと廊下に出てみると、宿の広間から騒々しい音が聞こえる。興味を抑えきれなくなった侍は、ドアを隙間ほど開けて、中を覗いた。

 やや、あらゆる武闘家の格好をした連中が酒盛りをしながら肩を組んで仲良さげにしているではないか。まるで友人たちで親睦を深めているかのように。

 なんたること、こんなことだからヘタレと言われるわけだ。侍はぎりぎりと歯を食いしばってその場から離れた。

 役所の連中に馬鹿にされて腹が立たないのだろうか? 自ら、腰抜けワールドと言うなど恥だと感じないのだろうか。 

 侍は自分の部屋に戻って、敷かれていた布団に横になって目を閉じた。こんな場所からはさっさとおさらばする。あんな連中と一緒にされるのはごめんだ。


 早朝に目が覚め、部屋には運ばれて来た朝食を食べ終わった侍は外に出て、一人で赤い土の上を歩いた。生暖かい風に吹かれながら、真昼の決闘に思いをはせる。今日の決闘で勝つ。明日も勝つ。全部で十度勝つと、ヘタレでないとの認定がおりる。

 ただし、勝つだけでは駄目だ。伝説になるような名勝負をしなくてはならない。そして真の猛者であると見せ付けてやるのだ。

 着物の裾が風になびいていた。侍は刀を鞘こと抜き、まじまじと眺めながら呟いた。

「頼むぞ、お主だけが頼りだ」

 ひとしきりそこで過ごし、昼前に酒場に行って握り飯をひとつ食べた。決闘の時間が間近になった。と、急に腹の具合が芳しからぬ状態になってしまった。慌ててかわやを借り、店主に腹の薬を出してもらった。

「よくあるんです。精神的なものですけどね」と、いつもの笑顔だ。

「この世界に、お医者はおられるのか?」

「おりませんよ。死んでますから、もう死にませんしね」と、また微笑む。

「なら、かような痛みは……」

「精神的な作用です。身体が傷付いても平気な人もいますし、七転八倒でのたうち回って気絶を繰り返す人もいます。死後の世界は精神の世界で心の強さの問題なんです。決闘で負った傷は酷く痛むそうですよ。これは意図的に互いで遣り合うわけですから、気が狂いかねないほどの悶絶らしいですね。痛みは何日も続くようですが、それに効くお薬はどこにもないので覚悟しておいて下さい」

 痛み。それも気が狂いかねないほどの悶絶なもの。医者はおらず、薬も皆無とは。それを知った途端、侍の生前の記憶が薄々と蘇りかけた。毛穴という毛穴から汗が噴き出し、にわかに身体が震えだしてきた。

 決闘? 壮絶な痛みを受ける可能性があると知って、怨みもない相手と戦う意味はなんだ? 怖ろしい。尋常でないことを日々履行しなくてはならないなどとは。

「決闘を中止することはできないんですか?」

 侍がそう尋ねると、店主はおや? という顔をした。

「急に現代語に戻りましたね。それ、記憶が戻りつつある証拠ですよ。ちなみに決闘の延期は不可能です。戦いたくないのなら引き分けにするのは可能です」

「戦わず引き分け? どうやって?」

「互いに武器を抜いて、また戻し、双方そこから離れるのが暗黙の了解です」

 聞いて合点がいった。昨日のガンマンが不意に立ち去ったのは、引き分けのしきたりを通していたのだ。

「引き分けはよくあるんですか?」

「よくあるどころか……」店主は笑い声を立てた。「殆どは引き分けです」

 そうか、なるほど。ヘタレとそしられても、遺恨のない相手と戦うなど馬鹿げていると皆が理解しているのならば自分だけ無理する必要はなかろう。そう自覚した途端、腹痛は嘘のように消えた。

「そろそろ時間ですよ、侍1818さん。遅れるのは良くありませんよ」

「では、行ってきます!」と、腰の剣を正した。

 俄然やる気が出た。ちょっとした演技をすれば安全に過ごしていられる。

 軽くなった足取りで所定の場所に到着した。すると、昨日の男が待っていた。

「手違いがあったから、やり直しだそうだ。本気で来るなよ、新人。互いに怪我でもしたらつまらんからな」と語り掛けて来た。

 今日は日本語としてはっきり聞こえ、相手の意図を知ることができて不安もない。

「解りました。引き分けにしましょう」

「お? 話が解るやつになったな、それでいい。おれたちは平和主義者で、それを誇りにしていくべきなんだ」

「平和主義に同意します。人と世界は平和でなくてはならない」

「そうだ、争うなんて馬鹿だ」

「ええ、そうです。全ての争いが人間を堕落させます」

 互いに武器を抜いて、そのまま戻し、そしてそれぞれ別の方向へ去った。これで今日の決闘は消化されたわけだ。


 皆と仲良くなって、毎夜のどんちゃん騒ぎ。日中はのんべんだらり過ごすのが性に合い、酒場にも行かなくなった。

「ここは働く必要はないし、死ぬことも老いることもない」

「平和主義で得しましたよ。ただ、女性が居ないのは残念ですね」

 仲間とだらだら過ごす幸せ。何事にも怯えなくていいのだから、腰抜けワールド万々歳だ。

 気楽な日々が続いていたある日、侍1818は役所に呼び出された。

「三か月経って、そろそろ慣れてきたところでしょうが、侍1818さんの審判の順番が来たそうで、今夜、ここから出ていただくことになります」と、職員は書類をめくりながら、神経質そうに言った。

「どうしてです? 他の人たちは何十年も居て……」

「個々に事情が違います。彼らだって、いつかは出ることになる。侍1818さんは一度も決闘に勝たなかったわけで、ヘタレ確定になったんですから、他の人を気にしている場合じゃないんです」

「皆も同じじゃないですか、誰も勝ってない」

「それを信じたんですか? 争わないから善良だと思っているなら馬鹿ですよ。戦わないヘタレだからこそ、こずるいことも平気でやります」

 職員は不機嫌そうに、バンバン判のようなものを書類に押し、その一枚を押し付けてきた。

「今夜、この紙を持って出て下さい。大切な書類ですから、何があろうと忘れないように」そう言って、さっさと別のところへ行ってしまった。

 頭が真っ白になって立ち尽くしていた侍1818。この三月の仲間との親睦は何だったのだろう。一生の友になったと肩を抱き合ったのは嘘だったかと呆然としていると、あることを思い出し、役所を飛び出して行った。

 全速力で赤茶けた大地を走って、侍はドアを蹴破るようにして酒場に飛び込んだのだ。

「店主さん、あんた、嘘を言ったでしょう⁈」

 ちょっと驚いたような店主だったが、返した言葉は冷静そのものだった。

「私は嘘など言っておりませんが」

「いやいや言った。決闘は引き分けばかりだと!」

「おやおや、侍1818さん。私は殆ど、引き分け、と申したんですよ」

「……殆ど」

「引き分けは八割くらいで、二割が八百長。皆さん立場を維持するためにそうするのです。一勝すらないと審判で心証が悪い。天国か、地獄かで雲泥の差になりますからね」

 勝敗と引き分け率をコントロールし、地獄を免れるために仲良しの演技。本音は自分だけ助かりたいが、八百長に乗ってくれる相手は必要で、無理してでも仲間と付き合う。力関係の序列がないことで、女同士のような陰険な関係になるという。

「なら……騙されたんだ」と顔色をなくした。すると、店主が呆れ顔で言った。

「違いますよ、あなたが事実を知ろうとしなかっただけだ。そもそも真剣に決闘するためのエリアです。決闘の引き分けに同意したあなたも同罪で、自分だけ被害者ぶるのはどうかと思いますがね」

「引き分けの作法を教えたのはあなただ!」

 それを耳にした店主の眉根がぐっと沈み込んだ。

「いい加減になさい! 私は酒場の店主であり、お客との会話は酒の肴に過ぎません。あなたが従うべきは役所のアドバイスだったわけで、私に転嫁するのはお門違いです!」

 店主が口調を強くしただけで、侍は身体をぶるぶる震えさせ、目を白黒させて口を開けなくなった。店主が目を鋭くすると、追い立てられた犬のように全速力で店から逃げ出してしまったのだ。

 店主はカウンターの上を布巾で丁寧に拭きながら「ヘタレ」と呟いてから鼻で笑った。


 侍1818は足取りを重くしていた。どこまで続くか解らないほど廊下は長かったが、立ち止まることは許されなかった。

 レスラーほどの体格の男たちが、侍1818の前後にぴたりと付いている。少しでも

 歩が緩むと、容赦なく怒鳴りつけられた。

 審判の部屋。そこへ入れば一方的に判決を言い渡されるだけ。反論も釈明も、ましてや文句などもっての外だ。

 侍1818は体中ぐっしょり汗をかいていた。生前の記憶を全て取り戻していたせいで、碌でもない想像しかできなかった。

 やがて、侍1818は大きな部屋の中央に立たされた。眼前に壇上があり、そこへ老人がやって来た途端、唐突に言葉が始まった。

「判決を言い渡す、心して聞け。大石一男、お前はヘタレ罪により有罪。行き先は地獄」

「ヘ、ヘタレ罪⁈」

「罪状理由を申し述べる。生前、お前の彼女が酔っ払いに絡まれた時、一緒にいたにも関わらず、恐怖心から一人で逃走。彼女は見知らぬリーマンに助けられたが、お前は警察に通報すらせず、家で酒を飲んで現実逃避。呆れた彼女に別れを言われ、別れたくないためストーカー化。元カノに多大な迷惑をかけた末、訴えられ、その腹いせに元カノのマンションから飛び降り自殺。ヘタレのくせに陰湿で卑怯。ヘタレは死んでも治っておらず、地獄以外の選択肢は考えられない。逆らうことなく刑を受け入れ、真摯に地獄へ赴くことを命ず」

 言い終えた老人はそっけなく退場してしまった。

 ぶるぶる震える侍1818は、地獄の門に向かって引きずられるように歩かされていったのだ。(終)

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