本作は、作者自身が企画した「月が綺麗ですね」という台詞を必ず散りばめる約束事の元に描かれた作品集の中の一つだ。
一部の記憶が欠落したまま、それでもフォトスタンドに残るその女性と巡り合うことを期待して月上の宇宙ステーションのカフェで働く主人公十字屋透と、そのフォトスタンドの女性、透が「秋さん」と呼ぶ女性=薫「偶然」巡り合う物語。
世界観はまだ2000年代であろうか、まだ22世紀を跨がない時代設定のような気がするのは、ところどころに散りばめられた現代社会に存在する概念の言葉、例えば携帯端末、1LDKなど。月の宇宙ステーションと現代風の描写のミスマッチがとても面白い。
スーパームーンを表裏逆転した「スーパーアース」の日に、スペシャルメニューを提案させようと目論む店員、昇藤咲は何故ゆえに透と薫が親密になるようにけしかけるのか。
その答えは急に一人称から三人称視点に転ずる最後の二行にあり、そこにたどり着くための複雑な伏線がありとあらゆるところに張り巡らされている。読むたびに味わい深く、そして読み返す楽しみがある。
(そして私はしてやられた。薫が作中で何度も繰り返し同じ本を読む理由を咲が同じように述べているのだ。)
しかしこの物語の真髄はそこだけではない。
詳細は実際に作品を読んでいただきたいのだが、この物語の深みを感じる部分である。
しかし、私が一番驚いたのは、そのセリフをまさか月の上で言わせるというアイディアだった。(実際には言ってないが)
また私が穿った見方をしている一つはこのカフェの名前、「スカーレット」だが、緋色(スカーレット)をした小さな花サンプリテニアの花言葉は「純愛、小さな強さ、秘められた情熱」だ。
薫と咲。二人を象徴しているような色の名前が付いたカフェで、透は「偶然」にこの二人に出会うのである。