第2話
案の定、呼び鈴が鳴った。
「バニラアイスをください」
彼女は文庫本に目を落としたまま、素っ気なく注文する。この態度も、いつも通りだ。しかしアイスを注文したことだけがイレギュラーだった。
「かしこまりました」
「あっ……やっぱりクリームソーダにしようかしら」
秋さんはメニューの上で目を滑らせた。
「今日でしたら、スペシャルメニューもありますよ」
「スペシャル?」
私は、スタッフの一人である
「よくわかりませんがSNS映えするようですし、はちみつレモンジュースが懐かしい味だと好評です」
秋さんはラミネートされたメニューをしばらく眺めると、じゃあこれで、と言った。
厨房に戻ると、昇藤さんが目を輝かせつつ、「秋さんがフロートを!」と囁いた。
「別に騒ぐほどのことじゃなかろう。そういう気分のときもあるんだろ」
丸々した小鳥のような体格の彼女は、器用な手さばきでスペシャルフロートを作り上げた。それから、名刺大の白いカードをエプロンのポケットから出した。
「ほら! これを底に敷きますね」
「やめんか!」
取り上げたカードには、丸々した小さい字で私の連絡先が書かれている。
「どうして~このために考えたメニューなんですよう」
「まったくお節介だな、昇藤さんは」
私はカードをポケットに仕舞った。昇藤さんは口を尖らせているが、無視しておく。
「せっかく喋れたのにね~。無口でシャイなのもいいけど、今までに逃した幸運は数知れずピョン! ね~もったいないよね~」
彼女は時々こうやって陶器のウサギの砂糖入れ(頭部に穴があいている)で一人話芸を繰り広げる。
「はいはい」
話は二日前に遡る。
秋さんは、三、四年ほど前から見かけるようになった客だ。しかし、いまだに謎多き客である。たまたま厨房で彼女の話をしていると、昇藤さんが口を開いた。
「店長、知ってます? 秋さんは同じ本を繰り返し読んでるんですよ」
「本当? よくわかったね」
彼女は、読んだことがある本だから分かると言う。タイトルを聞いてみたら、確か家の本棚にも並んでいる本の題名だった。大昔に買った積読本だろう。記憶にない。
「よっぽどお好きなんでしょうね」
「何回も同じ本を読むなんて、俺には出来ないけどな」
「好きな本なら読みませんか?」
私は、うーん、と眉間にシワを寄せた。
「展開を知ってるのに読む必要、あるか?」
「伏線を見つけたりしますよ!」
「ふーん……」
「何を読んでるか聞くついでに、聞いてみたらどうです?」
「何を?」
「うちに通う理由ですよ!」
「いや、そんなの他の人にも聞かないでしょ?」
「じゃあ店長の連絡先を書いた紙をカプチーノと一緒に置いてみましょ」
「そ、そんなんじゃない! からかうな」
昇藤さんは、片眉を上げて口元に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そういえば」
彼女は携帯を操作し、ニュースを開いて見せた。
「明後日はスーパー・アースですよ」
「ああ」
そんなことをニュースで言っていたかもしれない。
「なにか特別メニューを作って、うまいこと秋さんに話しかけて連絡先を」
私は彼女の頭に軽いゲンコツを降らせた。
「余計なお世話だ」
「だって~店長ってイケオジなのに独身のままなんてもったいないですよ~。いいですよ、結婚は。あ~でも秋さん、やっぱり人妻かな……」
ニヤついている彼女も、人妻である。
「ふつうに考えて、そうだろ」
「結婚指輪はしてませんでしたよ? ねえ! 地球をソーダアイスに見立ててフロートにしましょ? 話すきっかけになるかもしれませんよ!」
昇藤さんは、嬉しそうな顔でメモを取り始めた。
「それで言うんだピョン……一緒にカプチーノを飲みたいですってね……ブツブツ……うふ、ふふ」
最後はよく聞き取れなかったが、どうせロクな事じゃないだろう。キミの瞳に乾杯とか、そういう類の歯が浮きそうな甘ったるいセリフに違いない。
「俺は、ナンパはしない」
「店長の、例の運命の人。待ってるだけじゃ人生終わるかもですよ。遠くの星より、近くの花」
「はいはい」
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