クリームソーダ on the Moon
すえもり
第1話
『……静かの海南部には強風注意報が出ております。お出かけの際はご注意ください。ところで本日、十月三十一日はスーパーアースですね!』
『はい。静かの海地方では、夜八時から九時頃、約三十年ぶりに地球との距離が近くなり、大きく見えるでしょう』
『人類が
『そうですね。今では逆になってしまいましたから』
『それでは、アーカイブから当時のスーパームーンの映像をお楽しみいただきながら、今夜はお別れです』
『どうぞ皆様、素敵な夜をお過ごしください』
私は、カフェの厨房の壁掛け棚に置かれた小型端末をちらりと見遣る。黒い画面の中央に、丸い白銀の天体が輝いていた。
私が店長を務めるこのカフェ『スカーレット』は、着陸ステーション内にある。厚いガラスで隔てられてはいるものの、壁沿いの客席からは宇宙船から降りてきた人々を見下ろすことができ、さらにその向こうの巨大なガラスの向こうには、帰ってきた宇宙船が見える。
常連客は、やはりステーションで働く人々だ。朝早くから夜遅くまで、カフェインを必要とするワーカーのために、カフェ・スカーレットは一年中ほとんど眠ることのないステーションで、朝六時から夜十時まで店を開けている。店長を務める私は、スタッフの薄い早朝と夜に分けて勤務している。
呼び鈴が鳴った。
見慣れた女性の姿を認め、私は薄く笑みを浮かべた。その人は、なぜか毎年九月から十一月にしか姿を見せない。だから私は、勝手に『秋さん』と呼んでいる。
秋さんは、この店がよほど気に入ったのか、秋の間は毎晩、閉店の一時間前に現れ閉店とともに帰る。おそらく宇宙船関連の仕事をしているのだと思うが、詳しいところはよく分からない。仕事帰りに誰かと待ち合わせしているのかもしれない。
年齢は私と同じくらいの四十代前後だと思われる。上品なグレイヘアをシニヨンにしていて、タイトスカートのスーツがよく似合う。ヒールは日によって変わる。エナメルなど派手なものも多いので、足元が見えない事務仕事、たとえば窓口係などだろうか。
「いつもの」と注文されたカプチーノを持って行くと、ちょうど彼女が手にしている携帯端末の通知音が鳴った。彼女は手を伸ばしかけて、引っ込めた。着信ではないのだろう。私はカップを机に置いて、カウンターからそっと彼女の様子を窺った。
秋さんは横目で端末をチラチラ見て気にかけつつ、しばらく窓の外の着陸場を見つめてからカップを手にとった。そして、今では読む人が少なくなった紙の文庫本を取り出すと、ページをめくりながら、時々思い出したようにカプチーノを飲んだ。そして中身が半分ほどになったところで、ようやく端末を操作しはじめた。
ここまでの流れは、いつもと全く同じだ。彼女はドリンクがなくなるとマドレーヌやクッキーなどを注文する。
この時間にカフェインを摂取するのは、耐性があるからなのか、それとも眠りたくない理由があるからなのか。
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